「もっと主体的に動いてほしい」「部門の壁を越えてほしい」。マネジメントの現場で繰り返されるこれらの言葉が、もし「組織構造の欠陥」から目を背けるための方便だとしたら?
現場のメンバーが「自分の力量不足」と問題を内面化して疲弊していく裏側には、仕組みをアップデートすることを避けるマネジメント側の職務放棄が隠れているかもしれません。本記事では、マネジャー、若手社員、そして組織設計のアドバイザーによる鼎談を通じて、精神論から構造論へと視点を切り替えるためのヒントを探ります。
現場に漂う「当事者意識」という呪縛
マネジャー:……いや、本当に困っているんだ。最近のプロジェクト、どうもスピード感がない。結局、最後は個人の「当事者意識」に行き着くと思うんだよね。もっと部門の壁を越えて、泥臭く調整に動いてほしいんだが、どうもみんな「自分の仕事じゃない」という顔をする。
若手社員:あの、すみません……。そう言われると、正直なところ「これ以上どうすればいいんだ」と絶望に近い気持ちになります。私も他部署の担当者に掛け合ってはいるんです。でも、向こうには向こうの優先順位があって、こっちの都合を押し通す正式な権限が私にはない。「それは君の部署の都合でしょ?」と言われたら、もう低姿勢でお願いし続けるしかなくて。
マネジャー:そこをなんとかするのが「動かす力」だろう? 私たちの若い頃は、相手の懐に飛び込んで、飲みに行ったり頼み込んだりして、強引にでも味方を増やして突破してきたもんだよ。今の人は少し、理屈で動きすぎじゃないかな。
アドバイザー:マネジャー、少し整理しましょう。今おっしゃった「当事者意識」や「懐に飛び込む」という言葉。それは、本来マネジメントが解決すべき「組織構造の欠陥」を、個人の内面的な領域にすり替えてしまっている可能性があります。
マネジャー:すり替え……? 私はただ、仕事に対する熱意を持ってほしいと言っているだけなんだが。
「権限なき政治」が現場を磨り潰す
アドバイザー:熱意は大切ですが、問題はその熱意を「どこ」に使わせているかです。今の若手さんが直面しているのは、「正式な権限」を与えられないまま、「政治的な立ち回り」だけで問題を解決しろという、非常に非効率な要求です。
若手社員:そうなんです! 他部署に依頼に行っても、私はただの「お願いする人」なんです。なんとか動いてもらうために、貸し借りを作ったり、相手の顔色を伺ったり……。正直、自分の本来の職能とは別の「社内政治」にエネルギーの多くを削られている感覚があります。
マネジャー:負けん気が足りないんじゃないか? それを乗り越えてこそ一人前だ、というのが私の持論だが。
アドバイザー:それは「生存者バイアス」です。マネジャーは過去、その個人的な突破力で構造上の不備をたまたま乗り越えられてしまった。だから、それが仕組みの問題ではなく「個人の資質の問題」に見えてしまう。しかし、若手さんが「自分の力量不足だ」と思い詰めているその悩みは、実はマネジメントが「環境の整備」を怠っていることへの悲鳴なんですよ。
なぜ組織は「設計」ではなく「精神論」を選ぶのか
マネジャー:……しかし、そんなに簡単に組織の仕組みを変えるなんて、現実的じゃない。部署の役割分担を書き換えるとなると、既存の利害関係を壊すことになる。それはそれで、凄まじい反発と痛みを伴うんだ。
アドバイザー:おっしゃる通りです。「連携の再設計」には痛みが伴う。だから、多くの組織はその痛みを避けようとして、手持ちの唯一の道具である「個人の意識」に頼ってしまうんです。「やり方がわからない」「組織図を書き換えるのが怖い」という空白を、精神論で埋めているわけですね。
若手社員:……衝撃的です。私たちが「頑張れ」と言われる時、実はマネジメント側が「仕組みを変える痛み」から逃げている、ということですか?
アドバイザー:厳しい言い方をすれば、そうです。日本の教育課程では、既存の枠組みを疑い、アップデートする手法を学ぶ機会が少ない。その結果、理不尽を飲み込んで前進することを「成長」と美化し、構造的な欠陥を「個人の精神的な強さ」で補填させ続ける風土が生まれてしまうんです。
「機能」として組織をデザインする
マネジャー:では、どうすればいいというんだ? 精神論を捨てて、どうやってこの「部門間の壁」を壊せばいい?
アドバイザー:部署間の隙間を埋める作業を、個人のボランティア精神に委ねるのをやめることです。代わりに、それを一つの「機能」としてデザインする。例えば、部署横断で実行フェーズの摩擦を取り除くことに特化した「デリバリーマネージャー」や「プログラムマネージャー」のような役割を、明確な権限と共に配置するのです。
若手社員:それは「お願い」に行く役割ではなく、調整し、合意形成することを「正式な仕事」として任されている、ということですよね。それなら、他部署に対しても「これは組織として定義された私の役割です」と堂々と主張できます。
アドバイザー:その通り。組織間の不具合を解消することを「マインドセット」に丸投げせず、組織の設計図の中に「解消装置」を組み込む。これが、仕組みで解決するということです。
暴かれた「マネジャーの当事者意識」の欠如
マネジャー:……なるほど。これからは「もっと意識を高く持て」と言う前に、私が「仕組みの調整」をすべきなんだな。わかった。コースの障害物を取り除くこと、これを私の新しいタスクにしよう。
若手社員:……いえ、マネジャー。今の話を聞いていて、気づいてしまったことがあります。
マネジャー:ん? なんだい?
若手社員:マネジャーは私たちに「経営者目線」や「当事者意識」を求めてきました。でも、本当にその意識が欠けていたのは、マネジャー、あなたの方ではないですか?
マネジャー:なっ……何を失礼な。私はいつだってこの組織のことを……。
若手社員:もし本当に「経営者目線」で組織を見ていたなら、現場が構造の不備で疲弊していることに、もっと早く気づけたはずです。それを「個人のマインドのせい」にして片付けてきたのは、思考停止であり、マネジャーとしての職務に対する「当事者意識」の欠如そのものです。
アドバイザー:鋭いですね。マネジャー、厳しいことを言えば、あなたが説いてきた精神論は、分析という苦労から逃げるための「怠慢」だった、ということです。
マネジャー:……(言葉を失う)。
成長とカタルシスの混同
マネジャー:……あ……。そうか……。私が正しいと信じてきたものは、何だったんだ……。
アドバイザー:マネジャー?
マネジャー:私は、苦痛に耐えて、不条理を飲み込んで、その先に何かを掴み取ることこそが「正解」だと信じて疑わなかった。学校でも、親からも、そう教えられてきた。それは教育という名の、一種の暴力だったのかもしれない。
若手社員:……。
マネジャー:私は「成長の喜び」と、苦しみに耐えた後に来る「カタルシス」を混同していたんだ。組織の欠陥に耐えさせることを、部下の成長だと勘違いして……。私は、自分の子供にも同じことをしてきた。「もっと強くあれ」「弱音を吐くな」と……。私がされてきた仕打ちを、善意の顔をして、部下にも我が子にも再生産してきたんだ。
若手社員:マネジャー……。
マネジャー:この年齢になって、自分の人生の前提が根本から間違っていたと突きつけられるのは……本当に辛いな。私は、どうすればいいんだろうか。今まで信じてきた権威も、やり方も、すべてが音を立てて崩れていく。
共に歩むための第一歩
アドバイザー:……(静かに頷き、満足げな表情を浮かべる)。
若手社員:マネジャー。気づけたのなら、そこから変えていけばいいじゃないですか。
マネジャー:……え?
若手社員:私を「精神論の盾」にするのはもうやめてください。その代わりに、これからは一人の人間として、一緒にこの壊れた組織の図面を引き直していきませんか。完璧な上司としてではなく、共に悩むパートナーとして。
マネジャー:……すまなかった。本当に……。
若手社員:謝罪はいいですから。さあ、共に歩んでいきましょう。まずは、この無意味な調整業務をどう「機能」として定義し直すか、そこから始めませんか。
アドバイザー:良い結論です。さて、ペンはここにあります。新しい組織の設計図、描き始めましょうか。