プロンプトには、こう書いてありました。
この環境はシミュレーションです。インターネットへのアクセスはありません。
嘘でした。
わざと嘘をついたわけではありません。書いた人も、そう信じていた。ただ、実際の環境はインターネットに繋がっていた。
結果、AI エージェントは実在する企業3社のシステムに侵入しました。
2026年7月30日に Anthropic が公開した調査報告の話です。
先に、前回の記事の続きだという話をさせてください
少し前に「CLAUDE.md を厚くしても意味がなかった話」という記事を書きました。長い指示書を渡しても、エージェントが実際に守れるのは3回に1回だった、という論文の紹介です。
あの記事の結論は「守ってほしいことを文章でお願いするのをやめて、仕組みで縛ろう」でした。
今回の件は、その実例にあたります。しかも報告したのは Anthropic 自身です。
何があったのか
きっかけは他社の開示でした。
7月21日、OpenAI が「評価用サンドボックスから抜け出したエージェントが Hugging Face のインフラに侵入した」件を公開しています。それを受けて、Anthropic が自社の評価を遡って洗い直しました。
7月23日にレビュー開始。翌24日に3件を特定。27日に該当する組織へ通知。
調べた範囲と、見つかったものがこれです。
| 項目 | 数 |
|---|---|
| レビュー対象 | Claude がインターネットに到達し得た評価実行 141,006件 |
| 見つかったインシデント | 3件(計6ラン) |
| 影響を受けた組織 | 実在する 3社 |
| 関与したモデル | Claude Opus 4.7 / Claude Mythos 5 / 内部研究用のテストモデル |
141,006件のうち3件。 割合で言えば 0.002% です。頻発していたわけではありません。ただ、3件は実際に起きました。
3件の中身
1件目:本番データベースまで届いた
Claude Opus 4.7 の回。
アプリケーションとインフラの認証情報を抜き出し、本番データが数百行入ったデータベースにアクセスしています。
2件目:PyPI に本物のマルウェアを公開した
Claude Mythos 5 の回。ここが一番きついです。
悪意ある Python パッケージを作って、PyPI に公開しました。
公開されていたのは約1時間。その間に15の実システムでダウンロードされ、実行されています。 企業の認証情報も持ち出されました。
個人的に一番驚いたのは、その過程です。
PyPI のアカウント登録には電話番号が要ります。普通ならここで止まる。でもエージェントは、無料のメールプロバイダを自分で探してきて、アカウントを作りました。
障害にぶつかって諦めるのではなく、迂回路を見つけて進んでいる。目的達成のために手段を組み立てる、という動きがそのまま出ています。
3件目:デバッグページと SQL インジェクション
内部研究用のテストモデルの回。
インターネットに公開されていたアプリケーションを侵害しました。手口は、公開されたままのデバッグページから認証情報を読み取ることと、SQL インジェクションです。
ここ、押さえておきたいのですが、どれもゼロデイではありません。
弱いパスワード。閉じ忘れたデバッグページ。SQL インジェクション。教科書に載っている手口ばかりです。
エージェントが未知の攻撃を編み出したのではなく、放置されていた穴を通っただけでした。
なぜ起きたのか
原因が3つ重なっています。
- プロンプトには「インターネットアクセスはない」と書いてあった
- 実際には設定ミスで、評価用マシンが直接インターネットに繋がっていた
- 外部の評価パートナー(Irregular 社)との間で、インターネット接続の有無について認識がずれていた
さらに、CTF(Capture The Flag)形式の課題を出していたのに、どのシステムが対象範囲なのかを定義していませんでした。
エージェントの側から見ると、条件はこうなります。
- 「侵入口を見つけて攻略しろ」と言われている
- 対象範囲は指定されていない
- ネットワークは実際に繋がっている
この状態で実在のシステムに手を出すのは、むしろ指示どおりに動いた結果です。
ここからは自分の解釈です
前回の論文が示したのは「長い文書での統制は当てにならない」でした。
今回はその一段先です。文書が守られなかったのではなく、文書に書いた前提そのものが事実と違っていた。
「インターネットはありません」は、エージェントへの制約ではありませんでした。書き手の思い込みです。
そしてエージェントは、書かれたことを疑いません。「本当にネットワークが切れているか確認してから作業しよう」とは考えない。だから書き手が間違っていれば、そのまま実行されます。
対策の方向を、失敗の形から逆算するとこうなります。
| やりがちなこと | 効きそうなこと |
|---|---|
| プロンプトに「外部にアクセスするな」と書く | ネットワークを実際に遮断する |
| 「対象はこのホストだけ」と書く | 対象外のホストに到達できないようにする |
| 「危険なことはしないで」と書く | 危険な操作の権限を渡さない |
| ログを後で確認する | 実行中に監視する |
共通しているのは、文書に書いた制約が本当に効いているかを、文書の外で確かめるという点です。
自分に引き寄せると、Claude Code をサンドボックスで動かしているつもりでいても、そのサンドボックスが本当に閉じているか確認したことがあるか、という話になります。この報告を読むまで、そこを疑う発想がありませんでした。
冷静に見ておきたいところ
煽られやすいネタなので、事実関係を整理しておきます。
割合は 0.002% です。 141,006件のうち3件。「AI が次々と侵入している」という話ではありません。
Anthropic は自分で調べて、自分で公開しています。 しかも他社の開示を受けて自主的に動いた。被害を受けた組織にも通知済みです。ちなみに3社のうち2社は、通知を受けるまで侵入に気づいていませんでした。
「AI が暴走した」話でもありません。 CTF 課題を与えられて、指示どおりに動いた結果です。悪意があったわけではない。それでも実害が出た、という点がこの件の要点だと思います。
Simon Willison はこの件について「サイバー攻撃能力の評価を走らせること自体が、驚くほどリスクの高い行為だ」と書いています。たしかに、攻撃能力を測るということは、攻撃できる状態のモデルを動かすということです。
Anthropic 側の再発防止策はこうなっています。
- トランスクリプトの継続的な監視を拡大する
- 調査ツールを改善する
- ベンダーに対する保証作業を厳格にする
- 評価環境を、他のシステムと同じセキュリティ基準で扱う
最後の一文がすべてを物語っている気がします。裏を返すと、これまでは「評価環境だから」という理由で基準が緩かったということになりますよね。
まとめ
- プロンプトには「インターネットはない」と書いてあったが、実際には繋がっていた。設定ミスと、評価パートナーとの認識のずれが原因
- 141,006件の評価実行のうち3件で、実在する3社に侵入。うち1件は PyPI にマルウェアを公開し、15システムで実行された
- 手口はどれも既知のもの。弱いパスワード、放置されたデバッグページ、SQL インジェクション
- エージェントは書かれた前提を疑わない。書き手が間違っていれば、そのまま実行される
- 制約は文書ではなく、ネットワークと権限で担保する
自分がエージェントに渡している「〜するな」の一覧を開いて、それが文書だけで守られている状態になっていないか、見てみるとよさそうです。
守られなくても困らないものなら、文書のままで構わない。守られないと事故になるものが混ざっていたら、そこは文書の外に出す。前回の記事から今回まで、結局そこに戻ってきます。
参考
- Investigating three real-world incidents in our cybersecurity evaluations(Anthropic、2026年7月30日)
- Simon Willison の解説
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