用語の整理で『論考』に触れてみる
この記事は,内部観測研究室で実施したAdvent Calender 2023のやつです.
はじめに
皆さんは哲学に対してどのようなイメージを持っているでしょか?ポエムを書いているとか暇人の学問とか思っているでしょうか?暇人の学問は言い得て妙ですね。学問の起源は貴族の暇つぶしという説もありますから。哲学は文系の学問だと思いがちですが、今回紹介するウィトゲンシュタインのように、記号論理学の道具立てを駆使して論理的に思想を主張している人もいます。これがけっこう面白いのです。今まであまり哲学に触れてこなかった方々(筆者も最近まで触れたことはありませんでしたが)に少しでも面白そうだなと思っていただけたら幸いです。
謝罪
特にアドカレのネタも無かったので、お誘いいただいた時から最近読んでいる論理哲学論考のことを書こうと思っていました。しかし、読んでいるのは解説本なのですが、予期していた以上に難解でした。なので、半分まで読んだところでまた最初から読み直している状況です。記事の内容も何となぁ〜くな感じになっちゃってると思いますが、ご容赦ください。
何故,哲学なのか
筆者が何故哲学の本を読んでいるかといいますと、まぁ研究のためっちゃ研究のためです。筆者は自身の研究をクオリアとかいう存在するかも分からない概念のようなものと絡める可能性があり、色々考えているうちに何かもうよく分かんなくなってきました。そこで、物事がどうそれとして輪郭付いているのかを論ずる形而上学という学問に救いを求めました。そして行き着いたのがウィトゲンシュタインでした。
ウィトゲンシュタインについて
基本情報
- 氏名:ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン (Ludwig Josef Johann Wittgenstein)
- 生誕:1889年4月26日
- オーストリア=ハンガリー帝国・ウィーン
- 死没:1951年4月29日(満62歳)
- イギリス・ケンブリッジ
- 国籍:オーストリア=ハンガリー帝国
- その後,イギリス国籍を得る
- 研究分野:論理学,形而上学,言語哲学,数学の哲学,心の哲学,認識学
- 航空工学の分野でチップジェット(プロペラ推進方式の一種)を発明
- 建築学の分野でモダニズム建築(ストーンボロー邸)の設計
- 特徴
- ウィーンでヨーロッパ有数の裕福な家庭に生まれる
- 重度の吃音症
- 8人兄妹の末っ子
- 一族で音楽家との関わりが深く,ルートヴィヒ自身も影響を受ける
略歴
- 14歳くらいまで家庭教育
- 高等実科学校へ入学
- この時,同学校にアドルフ・ヒトラーがいた
- シャルロッテンブルク工科大学(現ベルリン工科大学)へ入学
- マンチェスター大学工学部へ入学
- 数学基礎論に興味を持ち,バートランド・ラッセルに会いに行く
- トリニティ・カレッジへ入学
- バートランド・ラッセルやジョージ・エドワード・ムーア,ジョン・メイドナード・ケインズらと出会う
- ノルウェーの山小屋へ入学
- 研究に熱中
- 論理学の論文で学位を取ろうとするが,引用の註などをつけておらず通らないと師匠のムーアに言われる
- ムーアを罵倒し友人と学位を一気に失う
- 第一次世界大戦の志願兵になる
- 福音書の解説本を買い,信仰に目覚めて精神的な危機を脱する
- 戦争で優秀な働きをし,少尉に昇進する
- 休暇などもあり,この頃には論理哲学論考の第一稿を完成させていた
- イタリア軍の捕虜になり収容所へ入学
- 収容所から反戦運動により塀の中へ入学
- ラッセルが論考の重要性に気づき,ケインズの協力もあって特権により原稿がラッセルやフレーゲの元へ届けられる
- 卒業(釈放)
- ラッセルとフレーゲを含めた全員が論考を理解できておらず失望する
- 哲学への情熱を失い小学校の教師になる
- ラッセルが奔走し何とか論考を出版
- 体罰で教師を辞職
- 姉の家を設計
- ケンブリッジ大学へ復帰
- 学位を持っていなかったが,論考が博士号取得に十分だというラッセルの助言もあり,博士論文として論考を提出
- その審査の際,ラッセルとムーアに「心配しなくていい.あなた方が理解できないことは分かっている」と言い放つ
- ケンブリッジ大学の哲学教授となる
- ケンブリッジで死去
- 最後の言葉は「素晴らしい人生だったと伝えてくれ」
哲学
- 前期
- 論理哲学論考
- 中期前半
- 哲学的文法,哲学的考察
- 中期後半
- 「考察」の考え方から変化を深めていく「黄色本」「青色本」「茶色本」
- 後期前半
- 哲学探究第1部
- 後期後半
- 哲学探究第2部
- 晩期
- 確実性の問題
論理哲学論考の概要
- 1918年に執筆され,1921年に初版が出版
- 前期ウィトゲンシュタインの代表的な著書であり博士論文
- 中身は箇条書きの形式で書かれている.
- 哲学が扱うべき領域を明確に定義し,論理哲学体系を構築しようとした.
- 語り得るものと語り得ぬものを線引きし,哲学の諸問題を語り得ぬものとして一掃することを試みた.
- 哲学の問題全てを一挙に解決するという,哲学市場でも他に類を見ないほど野心的な試みを遂行した書物.
- 言語の論理を分析することを通して哲学的問題に解決を与えるという,いわゆる「言語論的転回」である.
- 記号論理学を駆使し,極めて特異な形式と文体で書かれているため,悪名高い難解さで知られる.
論考の目的と構成
- 哲学の問題のほとんどが疑似問題であることを証し立てようとする.
- 「語り得ないことについては,沈黙しなければならない」
- 人の生きる意味は〇〇である,神は存在する(あるいは,しない),魂は不滅である(あるいは,存在しない)など.
- 語り得ないことがあることを語る.
- 言語の限界を明らかにすることで哲学の問題を一挙に解決しようとする著作である.
- 「〇〇については語り得ない」と判断する時,すでにその〇〇について語っている状態では?そのような言葉で言い表される言語的な判断を下すことは不可能ではないか?
- 論考では,まさにそのような判断が可能だと主張する.
- 我々はある意味で,語り得ないことがあるということを語り得る.
用語の整理
- 事態
- あるいは「状況」と呼ぶ.事実として成立しているにせよ,成立していないにせよ,論理的に可能な事柄.
- 事実
- 成立している事態のこと.
- 物・対象
- 事態の構成要素.物・対象同士が結合して事態を構成する.
- 世界
- 事実の総体.
- 論理空間
- 事態の総体.
- 空間とはここでは可能性の全体を指す.成立している事柄であれ,成立していない事柄であれ,我々に想定しうるだけの可能性が目一杯寄せ集められた最も広い空間だと言える.蓋然性がどれほど低く,荒唐無稽で,物理的に不可能なことでも,少なくとも意味をなしていればそれらは全てこの空間に含まれる.
- 対象の形式
- ある対象が諸事態の中に現れる可能性.ある対象が諸事態の中で他の諸大将と結合する仕方の総体.つまり.全ての対象の形式の総体は論理空間と一致する.
- 構造
- 事態は,様々な対象が様々な仕方で配列されることで構成される.その配列の仕方のこと.
- 現実
- 事態が成立していることや成立していないこと.現実の総体が世界.
- 像
- 現実の模型.例えば,ジオラマやレゴブロックなど
- 命題
- 最も強力な像.我々の言語表現によって現実を写し取る像.我々は,音声や文字などで無数の記号を配列し,無数の命題(像)を作り出すことができる.わざわざジオラマを作ったりする必要もなく.
- 写像形式
- 事態の要素とその像の要素との間で一致する形式.
- 論理形式
- 何であれ論理的に可能な全ての写像形式の総称.事態に対する論理空間のような感じで,写像形式に対する論理形式である.
- 論理像
- 何であれ論理的に可能な全ての像の総称.
- ア・プリオリ
- ラテン語に由来する言葉.「経験的な認識に先立って」や「経験的な認識とは独立に」という意味.
- ア・ポステリオリ
- ア・プリオリの対義語.「経験的に」という意味.
- 思考
- 事実の論理像.また,そのような像を拵えること.
論考の内容
内容を3章途中あたりまでまとめたものです.気力がある人だけ読んでください.
事実の総体としての世界,可能性の総体としての論理空間
- 世界は事実によって構成されており,物によって構成されているわけではない.逆に物によって構成されているとすると,その物がどんな状態にあるか,物同士がどんな関係にあるかが分からない.
- 事実の総体とは,成立している事柄の全てである.したがって,事実の総体とは,どのような事柄が成立していないかも同時に定める.
事実と事態,事態と物
- 事態はいくつかの物(対象)が結合することで構成されている.
- 事態の構成に先立って物(対象)がそれ単独で存在するわけではない.
- むしろ,物は事態ありきである.事態の構成要素になり得ることが,物にとって本質的である.
- テーブルの上にリンゴが置かれていたとして,発見者が「リンゴ!」と発話したとする.この発話には,ある時間にある場所でリンゴが存在すると言う事態を表現している.
- 我々が世界のうちで出会うのは,物ではなく事実である.車というものに最初に出会うのではなく,(あるとき,ある場所に)車があるという事実に出会う.
- 物が事態の中に現れる可能性は,論理空間の中では全て予定されている.全ての可能性を論理空間は含んでいる.論理空間の中で,あとから新たな可能性が発見されることはあり得ない.
不変のものとしての対象,移ろうものとしての対象の配列
- 対象の形式はあらかじめ確定しているが,実際の世界の在り方は確定していない
- 事態の構造の可能性は,その対象のうちで全て予定されている.「リンゴが銀河系の外側に運ばれる」という事態も論理空間に含まれる.しかし,「リンゴが輸血を受ける」と言ったことは論理空間には含まれない.「リンゴ」は「〇〇が輸血を受ける」と結合する形式は持たないからである.
- 対象によって構成される事態が,特定の時間で特定の空間内で何らかの色を持つということは確定している.
- 対象は,具体的にどのような空間,時間,色とともに事態に含まれるかは確定していない.そういう意味で,「対象は無色である」と主張する.
- 対象の形式はあらかじめ確定している.事態,即ち対象の配列の仕方が移ろうのである.
現実と事実
- 事実(成立している事態)の総体が世界である.
- 事実の総体は,どの事態が成立しているかを定めると同時に,どの事態が成立していないかも定める.
- 事態が成立していること,または成立していないことを現実と呼ぶ.
- 机の上にリンゴがあった場合,「机の上にリンゴがある」ことは現実であり,「机の上にハリネズミはいない」ことも現実である.
- 事実の総体は実質的に現実の総体である.即ち,現実の総体もまた世界である.
- 事実の総体では,成立していない事態の総体が背景に退いている.現実の総体では,成立していない事態も成立している事態と同様に前景化している.
像と写像形式
- 像とは,現実の模型である.
- 像を拵えることで初めて,成立していない事態や成立している事態を,つまり現実を,それとして輪郭付けることができる.
- 命題は最も強力な像である.
- 命題とは,我々の言語表現のうち,真または偽であり得る事態を表現する記号の配列の仕方のことである.
- 我々は言語によって,無数の記号を様々な仕方で組み合わせ,それを通じて無数の命題を拵えることができる.
- 像を構成する諸要素は,像が構成される以前からそれ事態独立して存在するわけではない.像という事実を構成する諸要素は,像ありきで,像から文節化される.
- 像を構成する諸要素は,現実を構成する諸対象に対応する.この時,対象の形式(結合の可能性)と対応する像の要素の形式は一致する.
- 像の要素と事態の要素との間で一致する形式を,特に像の写像形式と呼ぶ.
- 写像形式はそれ自体,多種多様な写像形式の集まりとして捉えることができる.そうした多様な種類の写像形式の集まり全体を論理形式と呼ぶ.
- 論理形式は,像画像である限りそれが写しとる現実と共有していなければならない何かの総称である.
- 意味合い的には論理空間と同じような感じ.なんであれ論理的に可能な写像形式の総称を論理形式という.
- 論理像とは,論理的に可能な像の総称である.
- こうした総称を導入したウィトゲンシュタインの意図
- 個別の写像形式や像のではなく,論理形式や論理像という全体を問題にしようとしている.
- どんな写像形式・像にも当てはまる,写像形式・像一般の本質とは何かということが論考の関心事.
- 像は写像形式それ自体を写しとることはできない.
- ある現実とある像の対応を書き表したとする.それはその現実とその像の対応関係を映し取った像である.これにはキリがない.
- つまり,最終的には,像とそれ自体が何を共有しているかを語ることは不可能である.
- 対応の詳細は語り得ないが,像が像として働いていることは,その現実と何らかの写像形式を共有していることを示している.
- 「語り得ないが,示されている」
像とア・プリオリ性
- 像の意味はあらかじめ確定しているが,その真偽は確定していない.
- 実際に像と現実を比較してみるという経験に先立ってあらかじめ真であるような像は存在しない.
- つまり,像の真偽は経験的な事柄である.別の言い方をすると,像の真偽はア・ポステリオリな事柄である.
- 逆に,像の意味はあらかじめ確定しているため, ア・プリオリな事柄である.
思考と像,像と論理空間
- 思考とは,像を拵えることである.
- 事実の論理像,真であれ偽であれ,現実を写しとる像のことを思考と呼ぶ.
- 我々は非論理的なことを思考できない.
- 例えば,「マグネットの次は織田信長である」という文字列がどのような事態を表しているか我々は理解できない.
- 非論理的な命題はそもそも命題ではなく,意味を成さない文字列に過ぎない.
最後に
記事というか,完全に備忘録ですね.ここまでお付き合いいただきありがとうございました.
ウィトゲンシュタインは哲学の諸問題を,その命題の構造を分析することで語り得るものと語り得ないものに分類し,語り得ない哲学的問題を一掃しようとしました.また,その命題を分析して初めてそれが語り得るかどうかが分かるとも述べており,論理空間に語り得るものと語り得ないものを分ける境界線のようなものを引くことはできないと主張しています.外部観測に対するという意味で内部観測的な感じがするなぁと思いました.我々の研究室名にもなっている内部観測という概念の理解を深めるためにも,形而上学のような学問を学ぶことは有益かもしれないと感じています.
少しでも興味を持っていただけたら幸いです.
参考文献
- https://ja.wikipedia.org/wiki/ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
- https://ja.wikipedia.org/wiki/論理哲学論考
- 「シリーズ 世界の思想 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考」古田徹也 角川選書