独学限界組に届けたい。質問できる環境があるだけで、人はとんでもなく伸びる(42Tokyoでの1年)
独学で頑張ってきた人へ。
一人で進むのもすばらしいけれど、
「質問できる環境」があると、学習はもっと加速します。
42Tokyoに入学した日の私のステータスはこうだった。
- 目的:おもしろそうだから来た
- 装備:好奇心だけ(武器も防具もなし)
- プログラミング経験:あまりない
RPGで例えるなら、低レベルの遊び人が好奇心だけ持ってダンジョンに突入したような状態だった。
42で最初に衝撃を受けたのは「技術」ではなく「文化」
42には経験者も未経験者も、学生も社会人もいて、技術レベルは本当にバラバラ。
ただ、一番驚いたのはそこではなかった。
質問しても嫌な顔をされない。
むしろ、
- 「どこで引っかかってる?」
- 「一緒に流れ追ってみる?」
- 「自分はこう見たら整理できたよ」
そんな空気が自然にある。
会社では質問しても回答につながらないことがあり、
質問した側が気まずくなる雰囲気が残ることもあった。
だから42で、
- 質問しても嫌な顔をされない
- 質問すると喜ばれる
- しかも一緒に考えてくれる
この文化は、最初こそ違和感だったが、すぐに快適になった。
「教えてもらう」じゃなくて「一緒に考える」が標準
42では、回答だけが渡されることはほとんどない。
- 「実行前にどう動くと思ってた?」
- 「値が変わったらどうなる?」
- 「似てる例、思いつく?」
“答え”をもらうのではなく、
理解に向かうプロセスを一緒に辿ってくれる。
その結果、
「自分で考えられる力が増える」という副産物が確実に残る。
再帰関数で感じた“理解のブレイクスルー”
1人でやっていた頃、再帰関数という仕組みをあまり理解できなかった。
「自分で自分を呼ぶの、複雑すぎない?」
「どこで終わるの?ほんと戻ってくるの?」
この感情のまま2〜3日停滞していたが、
隣の人と紙に状態を書き出しながら整理すると、一気に理解が進んだ。
- 呼び出す
- 値を変化させる
- 終了条件を満たしたら戻る
- 最後にまとめて返ってくる
たったこれだけのことなのに、
頭の中で情報が混線したままだと理解が前に進まなかった。
じわじわ効いた一番の成長
理解の瞬間そのものより、
そこから先の“じわじわ効く成長”のほうがインパクトがあった。
- 対話すると理解が跳ねる
- 質問の仕方がどんどん洗練される
- 「どこがわからないのか」を言語化できる
- 情報の収集 → 整理 → フィードバックがうまく回る
- AIへの聞き方も同時に上達していく
理解って、知識の量より“対話の質”で一気に変わるんだと実感した。
さらに面白いのは、
学ぶことそのものより 「みんなで理解にたどり着くプロセス」 が楽しくなっていったこと。
自分が困っていたとき助けてもらったから、
隣で困っている人がいたら自然と助ける。
それでまた自分の理解も深まる。
その連鎖が続く。
42は“1人で戦う場所”ではなく、
みんなで強くなるためのダンジョンなんだと思った。
「先生がいない」のに学習が促進される理由
もうひとつ強く感じたのは、「先生がいないこと」が逆に学習を加速させていたということ。
教えてくれる人がいないから困るのではなく、
自分から情報を取りにいくことが当たり前になるように設計されている。
自分で調べる。
周りと対話して考える。
それでもわからなければAIにも聞く。
それでも整理しきれなければ、また誰かと話す。
こうして学びの循環が自然に発生する。
そして先生がいないからこそ、
「教える側」も「教えられる側」も存在しない。
全員が学習者で、全員が仲間になる。
上下関係がなく、対等に助け合えるからこそ、
質問もしやすく、理解も深まりやすい。
1年過ごして見えた42の本質
外から見た42の印象は
- ハード
- 自由
- カオス
と言われがちだ。
でも中に1年いると、もう少しシンプルな構造だった。
質問 → 対話 → 理解 → 成長
このサイクルを遠慮なく回し続けられる環境がある。
特別な才能が必要なわけでもなく、
根性勝負が延々と続く場所でもなく、
文化として“学び合う仕組み”が存在している。
まとめ
42を一言で表すなら、
質問と対話が学習を加速させる文化がある場所
質問する側も、質問される側も、対等。
知識の量より、理解しようとする姿勢が評価される。
できないを隠す必要がない。
その環境に1年いると、
自然と学習が前に進むようになる。
もしこの記事を読んでいる誰かが、
- 独学で限界を感じている
- 質問できる相手がいない
- 「一緒に考えられる仲間」がほしい
そう感じているなら、42Tokyoはかなり相性がいいと思う!
この記事が誰かの学びの一歩の後押しになれば嬉しいです。