「メガバンクのシステム」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? 堅牢、巨大、そして何より「絶対に止まってはいけない」というプレッシャー。
現在、金融業界ではAI(人工知能)の活用が急速に進んでおり、その裏側では最新のGPU推論基盤が、極めてセキュアな環境で構築されています。
この記事では、そんなエンタープライズ(大規模企業)向けのインフラ案件で求められる知識を、背景から詳しく解説します。大学生の皆さんが、将来プロフェッショナルなインフラエンジニアを目指すためのロードマップとして活用してください。
1. ネットワーク:閉域網とハイブリッドクラウドの設計
金融機関のデータは「資産」そのものです。そのため、インターネットから隔離された**閉域網(Closed Network)**での構築が鉄則となります。
AWS Direct Connect と VPC 設計
クラウド(AWS)とオンプレミス(自社データセンター)を接続するには、公共のインターネットを通らない専用線が必要です。
- AWS Direct Connect (DX): オンプレミスとAWSのVPCを物理的な専用線で結ぶサービスです。
- VPC Endpoints (AWS PrivateLink): 通常、AWSのサービス(S3など)にアクセスするにはインターネットを通りますが、これを使うことでVPC内部からのみ通信を完結させます。
帯域設計とルーティング
銀行のトランザクションは膨大です。「どの程度のデータが流れるか(スループット)」を予測し、ネットワークの帯域(1Gbps、10Gbpsなど)を設計します。ここでは、動的ルーティングプロトコルである**BGP (Border Gateway Protocol)**の知識も欠かせません。
2. GPUコンピューティング:AIを動かす「心臓部」
AIモデル(推論)を高速に動かすためには、CPUではなく**GPU (Graphics Processing Unit)**が必要です。これをインフラとして提供するには、単に「高性能なPC」を用意するだけでは不十分です。
GPUスタックの階層構造
GPUをアプリケーションから叩くためには、複数のレイヤーを正しく積み上げる必要があります。
- ハードウェア: NVIDIA A100 / H100 等の計算用GPU。
- ドライバ: OSがGPUを認識するための基本ソフト。
- CUDA (Compute Unified Device Architecture): NVIDIAが提供する、GPUで並列計算を行うためのプラットフォーム。
- cuDNN: 深層学習(ディープラーニング)用のプリミティブライブラリ。
コンテナによる実行環境のポータビリティ
現在、AI実行環境の主流はDockerなどのコンテナ技術です。
- NVIDIA Container Toolkit: コンテナの中からホスト側のGPUを安全に利用するための仕組みです。これがないと、コンテナ内で「GPUが見つからない」という事態に陥ります。
3. 性能検証と負荷試験:システムの限界を知る
「構築して終わり」ではありません。数千万人のユーザーが使う銀行システムでは、ピーク時にシステムが耐えられるかを科学的に証明する必要があります。
ベンチマーク指標
- レイテンシ(Latency): リクエストを送ってから結果が返るまでの時間(ms)。特に「P99(上位1%の遅い通信)」などのパーセンタイル値が重要視されます。
- スループット(Throughput): 単位時間あたりに処理できるリクエスト数(RPS: Requests Per Second)。
試験手法の種類
| 試験名 | 目的 |
|---|---|
| ロードテスト | 予測される通常・最大負荷をかけて、性能が目標値を満たすか確認。 |
| ストレステスト | 限界を超える負荷をかけ、システムがどう壊れるか、復旧可能かを確認。 |
| ソークテスト | 長時間負荷をかけ続け、メモリリークなどで徐々に不安定にならないかを確認。 |
4. IaC (Infrastructure as Code):自動化による再現性
大規模な環境を手動でポチポチと設定するのは、金融システムでは「悪」とされます。手順のミス(ヒューマンエラー)が許されないからです。
- Terraform: AWSのVPC、サブネット、インスタンスなどの「リソース」をコードで定義します。
- Ansible: 立ち上がったサーバー内部の設定(OSの設定、ドライバのインストール、セキュリティパッチの適用)を自動化します。
- Immutable Infrastructure: 一度構築したサーバーを変更(Update)するのではなく、新しい設定で作り直して差し替える(Replace)考え方です。
5. オブザーバビリティ(観測性):異変を即座に検知する
「動いているはず」ではなく「正常に動いていることを証明し続ける」必要があります。
- メトリクス収集: PrometheusやAmazon CloudWatchを用いて、CPU/GPU使用率、メモリ消費量、エラー率を可視化します。
- ログ管理: 全ての通信ログやエラーログを、一箇所に集約して分析できる状態にします。
さて、上記は、ネットワークやGPUの基礎、そして負荷試験の概要について触れました。ここから、さらに一歩踏み込んで解説します。
大学の講義ではなかなか出てこない、実務の「泥臭くも面白い」部分をのぞいてみましょう。
6. セキュリティとガバナンス:銀行の「鉄の掟」
銀行のシステムにおいて、セキュリティは「機能の一つ」ではなく「前提条件」です。ここでは、AWSにおける高度な権限管理と暗号化の知識が求められます。
IAM (Identity and Access Management) の最小権限原則
「誰が・どのリソースに・何をできるか」を定義するのがIAMですが、プロの世界では**「最小権限(Least Privilege)」**を徹底します。
- IAM Policy / Role: 「とりあえず管理者権限(Administrator)」は厳禁です。推論実行に必要なS3への読み取り権限だけ、CloudWatchへの書き込み権限だけ、といった具合に、ポリシードキュメントをJSONで細かく記述します。
- SCP (Service Control Policies): 組織全体で「このリージョン以外は使わせない」「特定の強力な操作を禁止する」といったガードレールを敷く技術です。
データの暗号化 (At Rest & In Transit)
- AWS KMS (Key Management Service): ストレージ(EBS)やS3に保存されるデータは、必ずKMSで作成した鍵で暗号化します。
- TLS 1.3: 通信中のデータも暗号化されますが、閉域網であっても最新の暗号化プロトコルを使用し、証明書の管理(ACMなど)を適切に行う知識が必要です。
7. Kubernetes (EKS) と GPU スケジューリング
大規模なGPU基盤では、複数のコンテナを効率よく動かすために Kubernetes (K8s) が使われることが増えています。しかし、GPUをK8sで扱うには特有の知識が必要です。
NVIDIA Device Plugin for Kubernetes
通常、K8sはCPUやメモリのリソースしか認識しません。GPUを「リソース」として認識させ、各コンテナに割り当てるためには、NVIDIA Device Pluginを導入する必要があります。
- GPU Scheduling: 「どのノードのどのGPUが空いているか」をK8sが判断し、推論ジョブを適切に配置します。
- Taints and Tolerations: 高価なGPUサーバーに、GPUを必要としない軽いプログラムが紛れ込まないようにする「仕分け」の仕組みです。
8. ストレージ戦略:AIモデルの「重さ」に耐える
AIの推論モデル(LLMなど)は、ファイルサイズが数GB〜数十GBに及ぶことも珍しくありません。これをいかに高速にロードし、推論を回すかが鍵となります。
スループットとIOPS
- Amazon FSx for Lustre: 非常に高いスループットを誇る並列ファイルシステムです。大量の学習データや巨大なモデルをGPUに流し込む際に、ストレージがボトルネックにならないように設計します。
-
EBS (Elastic Block Store) の最適化: SSDの性能(IOPS)が足りないと、モデルの読み込みだけで数分待たされることになります。
gp3やio2といったボリュームタイプの特性を理解しておく必要があります。
9. 負荷試験の「科学的」アプローチ
前回の記事で紹介した負荷試験ですが、実際には「ただツールを叩く」だけではありません。
シナリオ設計とデータの有意性
- ワークロードのモデル化: 「1秒間に100人が同時にアクセスし、そのうち20%が重い画像推論を行う」といった、現実のユーザー行動に基づいたシナリオを数式化します。
- リソースの相関分析: 「リクエストが増えたときに、GPUメモリが枯渇しているのか、それともネットワーク帯域が限界なのか?」を、メトリクスのグラフを重ね合わせて分析します。ここで統計学的な視点(平均値だけでなく、標準偏差や外れ値を見る力)が活きてきます。
10. インフラエンジニアの「マインドセット」
最後に、技術以上に大切なのが**「自動化への執念」と「ドキュメントの正確性」**です。
- 手順書(Runbook)の重要性: 銀行の案件では、自分が作ったシステムを別の運用チームに引き渡すことがあります。誰が読んでも1文字のミスなく再現できる手順書を書く能力は、コーディングスキルと同じくらい評価されます。
- 「壊れること」を前提にする: どんなに優れたインフラもいつかは壊れます。壊れたときにどう検知し、どう自動復旧(Self-healing)させるか。この「レジリエンス(回復力)」の設計こそが、プロの腕の見せ所です。
大学生の皆さんへのメッセージ
今回紹介した技術要素(AWS, GPU, K8s, IaC)は、今のIT業界で最も価値が高い領域の一つです。
まずは、自分のPCにLinuxをインストールし、Pythonで簡単なAIモデルを動かすところから始めてみてください。次に、それをDockerコンテナに詰め、クラウドの安いインスタンスで動かしてみる。その「一歩」の積み重ねが、数年後にメガバンクの基幹システムを支えるエンジニアとしてのキャリアに繋がります。