#創作者としての活動を通して
私は株式会社グロービスにて、デザインやコンテンツ開発のお手伝いをする傍ら、個人的に作品を作る活動もちょこちょことやっております。(ホームページ)
そこで、今回は僭越ながら「アート」についての所感を記事にしようかと思います。
Qiitaを利用されている方はエンジニアの方が多いかと思いますが、何かを作る職業の一つとしてアートについて少しでも興味を持っていただければと思います。
アートは難しい、よくわからない、ということを耳にすることが多々あります。
でも、アートというのは本来全然難しいことではないと私は思っています。
なぜなら、鑑賞者にとってのアートは平たく言うと「感動すること」だからです。
その作品をみて、楽しくなったり、衝撃を受けたり、考えさせられたり、何かに気づいたり…
それらの感情や思考というものは、自分の中から勝手に湧き出てくるものです。
そして、アートというのはその勝手に湧き出てくる何かを楽しむものなのです。
こと日本においては、有名だから、みんながすごいと言っているからと、まるでありがたいものを拝みに行くような感覚で展示に行く方が多いように思います。
「ゲルニカ」だろうが「モナリザ」だろうが「太陽の塔」だろうが、そこに心をうごかされないのであれば、その鑑賞者にとってのアートはそこに存在しないと私は思います。
アートを難しくしている原因として私は下記要因があると思っています。
- アートの特性
- アート作品の社会的な価値
- 現代アート
####1.アートの特性
少しデザインについて述べると、デザインにはユーザーやクライアントがいるので、必ずその相手のことを意識して制作をする必要があります。
それに対し、アートは「表現すること」そのものが作者にとっての目的なので、特定の誰かのためにの表現ではなく、自分の中にあるこれがいいと思う表現することになります。
なのでアートは「作者」と「作品に共鳴してアートを体験できた人」の間にしか存在しません。なので、作品に対してなにも感じ得なかった人にとっては理解しがたいものとして捉えられてしまいます。
####2.アート作品の価値
これはどちらかと言うと、反感からくる理解不能という感じだと思います。
アート作品は、そのもの自体の価値とは別に、歴史的・学術的な価値や、また資産としての価値といった社会的な価値がつきます。それらによって、ときにとてつもない値段がつくこと、また先に述べたアートの特性が相まって、余計に摩訶不思議な現象として捉えられがちなのです。
####3.現代アート
アートを難しくしている原因でインパクトが大きいのはここだと思います。
アートは表現することだと先に述べましたが、その表現というものは、技術や科学の発展と同じように、人類の営みの中であらゆる表現が開発されてきたのです。
先人のアーティストたちが、類まれなる才能をいかんなく発揮し、いろいろな表現に手をつけていった結果、現代アートと呼ばれるものには「よくある公衆便所の便器に落書きして置いただけ」という表現が出現したりしてしまうのです。
つまり、その発展の歴史や内情を知らないとわかりづらくなっており、また技術の発展とともにあらゆる表現が可能になったものも相まって、さらにアートを属人的なものにしているように思います。
しかしながら、色々と知っていくうちに良さや面白さを体験できるともいえますね。
逆にいうと、今の世にはあらゆる表現が存在します。
その中にはきっと自分に合った「アート」が存在するはずなので、是非アートを毛嫌いせずに楽しんでいただければと思います。
鑑賞者として、時には表現者として。
短いですが、今回のところは以上です。
(感想やご意見あればありがたいです)