で原子軌道に対して対称操作がどのように行列表示されるかや対角化(既約分解)がどのように調べられるかを見ました。
今回は環境の影響を受けて原子内の電子の環境(ポテンシャルエネルギー)の対称性が落ちたときにどのような分析ができるか見てみたいと思います。
対称性が失われたとき
水素原子モデルのハミルトニアンH_0は球対称かつ反転対称($O(3)$不変)ですが、ここに外から電場がかかるなどするとO(3)対称性は破綻してしまいます。(基本的に原子核からのクーロン力以外で球対称に電場をかけるのは無理ですね)
となると電場の項$\Delta H(\mathbf{r})$が
\begin{align}
\exists G \subsetneq O(3) & \ s.t. \ \forall g \in G; U(g) \Delta H(\mathbf{r}) U^\dagger(g) = \Delta H(\mathbf{r}) \\
\exists g \in O(3) &\ s.t. \ U(g) \Delta H(\mathbf{r}) U^\dagger(g) \neq \Delta H(\mathbf{r})
\end{align}
だとすれば
H(\mathbf{r}) = H_0(\mathbf{r}) + \Delta H(\mathbf{r})
はもはや$O(3)$不変でなくなってしまいます。このとき何が起こるかというと$V_l$は既約空間ではなくなってしまいます。そのため基底をとり直して
V_l = \tilde{V}^{(1)}_l \oplus \tilde{V}^{(2)}_l \oplus \cdots
のようにさらに既約分解する必要が出てきて、$\tilde{V}^{(p)}_l$ごとに固有値も違う値になります。$l \rightarrow l + \alpha^{(p)}_l$
配位子と配位子場
ではそのような電場はどこでできるのかというと結晶中で金属イオンを囲む配位子(酸化物イオンとか塩素イオンとか)が生み出します。
例えばMnO(酸化マンガン)だとMnイオンの周りに八面体状で酸素が並ぶので八面体と同じ対称性のある電場が中心のマンガンイオンにかかります。
(Aflowより https://aflowlib.org/material/?id=aflow:05a462ead4524742)
こうした配位子が中心のイオンに対して作る電場を配位子場と呼びます。
配位子場の対称性は点群と呼ばれる有限群で表されます。例えば先のMnOの例だと$O_h \subset O(3)$という点群の対称性が保たれます。
対称性が失われたときの既約分解
リー群あるいは有限群$G$の対称性を持っていた系が部分群$H \subset G$に落ちたとき、何が起きるかというと$G$で既約表現だったものが既約表現ではなくなります。
$G$の既約表現を$(\sigma_\lambda,V_\lambda)$, $H$の既約表現を$(\pi_\mu, W_\mu)$ とすれば、$H$の対称性では類関数の正規直交基底は$H$の指標$\chi_{\pi_\mu}$なので、$\sigma_\lambda$の$H$への制限$\sigma_\lambda|_H: H \rightarrow \mathrm{End}(W)$について
\chi_{\sigma_\lambda |_H}(h) = \sum_{\mu \in M} c_\mu \chi_{\pi_\mu}(h)
と線形結合で書けるはずです。また、このとき、$c_\mu$は$V_\lambda$を直和分解したときに$W_\mu$と同型な空間が含まれる個数を表します。($V_\lambda$がある$W_\mu$と同型な複数の異なるベクトル空間に分解されることもあるからです。)
こうやって指標を対称性が崩れた後の部分群の指標の線形結合で書き直せば、固有空間がどのように分裂していくのかを知ることができます。
参考
http://mukiken.eng.niigata-u.ac.jp/satokougi/daigakuin/gunron.pdf
例:Mn原子からMnOへの結晶化
例としてMn原子($O(3)$対称)からMnO結晶(Mnは$O_h$対称)に変化したときを考えます。
ここで空間反転$I$と恒等変換$E$に対して
C_2 = \{E,I\} \subset O(3)
とおけば、$O(3)$は$SO(3)$を正規部分群として
O(3)/SO(3) = \{[E],[I]\} \simeq C_2
で
O(3) = \{nh \mid n \in C_2, h \in SO(3)\}
です。
よって$O(3)$の元は$SO(3)$の元を使って
O(p,\mathbf{\hat{n},\theta}) = pR(\mathbf{\hat{n},\theta}) \in O(3)
($p=\pm 1$)と書けます。
ここで、球面調和関数を反転すると
I\ket{l,m} = (-1)^l \ket{l,m} \in V_l
なので、既約空間を$SO(3)$から変えません。
そこで$O(3)$の表現$\tilde{\pi}_{V_l}$は
$SO(3)$の表現$\pi_{V_l}$を使って
\tilde{\pi}_{V_l}(O(p,\mathbf{\hat{n}},\theta)) = p^l \pi_{V_l}(R(\mathbf{\hat{n}},\theta))
と表されます。なので基本的に$SO(3)$から$O \in SO(3)$への対称性の破れを考えれば既約分解は$SO(3)$と同じです。(空間は$I$に対する符号変化が$l$毎に違いますが)ちなみに反転$I$が失われただけでは既約分解された行列のブロック構造も変化がありません。
Oの既約空間と指標
下表が$O$の指標表です。
| $E$ | $8C_3$ | $6C_2$ | $6C_4$ | $3C_2$ | |
|---|---|---|---|---|---|
| $A_1$ | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
| $A_2$ | 1 | 1 | -1 | -1 | 1 |
| $E$ | 2 | -1 | 0 | 0 | 2 |
| $T_1$ | 3 | 0 | -1 | 1 | -1 |
| $T_2$ | 3 | 0 | 1 | -1 | -1 |
縦軸はOの既約空間の(線形同型性で分類した)同値類、
横軸は共役類です。(係数は共役類の元の数)
SO(3)のOへの制限における指標
$V_l$に対して指標は全てz軸周りの回転だけ考えればよくて
\chi_l(\phi) = \frac{\sin \left[ (2l+1)\frac{\phi}{2}\right]}{\sin\frac{\phi}{2}}
に
\begin{align}
E &\rightarrow \phi = 0 \\
C_2 &\rightarrow \phi = \pi \\
C_3 &\rightarrow \phi = 2\pi/3 \\
C_4 &\rightarrow \phi = \pi/2 \\
\end{align}
を代入すればいいです。
| $E$ | $8C_3$ | $6C_2$ | $6C_4$ | $3C_2$ | |
|---|---|---|---|---|---|
| $V_0$ | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
| $V_1$ | 3 | 0 | -1 | 1 | -1 |
| $V_2$ | 5 | -1 | 1 | -1 | 1 |
既約分解の計算
$SO(3)$の指標を$O$の指標の線形結合で表したときの係数
n_l(W) = \frac{1}{|O|} \sum_{[g] \in O/\sim} |[g]| \left( \chi^{SO(3)}_{V_l}(g) \right)^*\chi^O_{W}(g)
を計算します。
s軌道
\begin{align}
n_0(A_1) &= \frac{1 + 8 + 6 + 6 + 3}{24} = 1 \\
n_0(A_2) &= \frac{1 + 8 - 6 - 6 + 3}{24} = 0 \\
n_0(E) &= \frac{2 \cdot 1 - 8 + 0 + 0 + 2\cdot 3}{24} = 0 \\
n_0(T_1) &= \frac{3 \cdot 1 + 0 - 6 + 6 - 3}{24} = 0 \\
n_0(T_2) &= \frac{3 \cdot 1 + 0 + 6 - 6 - 3}{24} = 0
\end{align}
より
V_0 \simeq A_1
p軌道
\begin{align}
n_0(A_1) &= \frac{3 + 0 - 6 + 6 - 3}{24} = 0 \\
n_0(A_2) &= \frac{3 + 0 + 6 - 6 - 3}{24} = 0 \\
n_0(E) &= \frac{2 \cdot 3 - 0 + 0 + 0 - 2\cdot 3}{24} = 0 \\
n_0(T_1) &= \frac{3 \cdot 3 + 0 + 6 + 6 + 3}{24} = 1 \\
n_0(T_2) &= \frac{3 \cdot 3 + 0 - 6 - 6 + 3}{24} = 0
\end{align}
より
V_1 \simeq T_1
d軌道
\begin{align}
n_0(A_1) &= \frac{5 - 8 + 6 - 6 + 3}{24} = 0 \\
n_0(A_2) &= \frac{5 - 8 - 6 + 6 + 3}{24} = 0 \\
n_0(E) &= \frac{2 \cdot 5 + 8 + 0 + 0 + 2\cdot 3}{24} = 1 \\
n_0(T_1) &= \frac{3 \cdot 5 + 0 - 6 - 6 - 3}{24} = 0 \\
n_0(T_2) &= \frac{3 \cdot 5 + 0 + 6 + 6 - 3}{24} = 1
\end{align}
より
V_2 \simeq E \oplus T_2
で、$V_2$が2つの既約空間$E,T_2$に分かれることが分かりました。よって$d$軌道に対してこれらの間で配位子場によるエネルギーギャップ$\Delta$が生じると分かります。
O(3)からOhへ対称性が落ちた場合
$SO(3) \rightarrow O$の既約分解で得た各固有関数は$(-1)^l$の反転$I$に対する変化があるのでそれを表すために添え字$g/u$(g:反転対称、u:反転非対称)をつけます。
よってs,p,d軌道に対する既約空間は
| 軌道 | 同型な既約空間 |
|---|---|
| $s$ | $A_{1g}$ |
| $p$ | $T_{1u}$ |
| $d$ | $E_g$ |
| $d$ | $T_{2g}$ |
の4つとなります。ただd軌道間に生じたエネルギー差$\Delta$の大きさや符号がどうなるかはこの議論ではわかりません。あくまで定性論です。実際には結晶の種類によって符号やギャップの大きさはまちまちです。
計算ツール
手計算は面倒なので
https://www.gap-system.org/
という純粋数学向けの代数計算パッケージを使ってスクリプトをclaude codeに作ってもらいました。(純粋数学向けなので、材料工学で一般的なマリケンの記号とか全く関係なくラベリングされているため、gap indexを翻訳するのに苦労しました…)
$O(3)$からある結晶点群$G$に対称性が落ちた時に電子軌道の分裂の仕方を計算してくれます。
手順
make download
で必要なgapのパッケージ
- https://www.math.rwth-aachen.de/~Thomas.Breuer/ctbllib/ctbllib-1.3.11.tar.gz
- https://www.math.rwth-aachen.de/~Thomas.Breuer/atlasrep/atlasrep-2.1.11.tar.gz
- https://github.com/gap-packages/utils/releases/download/v0.96/utils-0.96.tar.gz
をダウンロードして
make build
でイメージを作ります。(dockreを起動しておいてください)
make run
を実行するとコンテナが立って、点群を選ぶと$s,p,d,f$軌道の規約空間のリストを返してくれます。
$ make run
docker compose run --rm sage sage irrReduce.py
Container ligandfieldsplitting-sage-run-985e668fa129 Creating
Container ligandfieldsplitting-sage-run-985e668fa129 Created
1. C1
2. C2
3. C2h
4. C2v
5. C3
6. C3h
7. C3i
8. C3v
9. C4
10. C4h
11. C4v
12. C6
13. C6h
14. C6v
15. Ci
16. Cs
17. D2
18. D2d
19. D2h
20. D3
21. D3d
22. D3h
23. D4
24. D4h
25. D6
26. D6h
27. O
28. Oh
29. S4
30. T
31. Td
32. Th
点群を選択 (番号または名前): 28
{
"s": {
"A1g": 1
},
"p": {
"T1u": 1
},
"d": {
"Eg": 1,
"T2g": 1
},
"f": {
"A2u": 1,
"T2u": 1,
"T1u": 1
}
}

