この記事は、FDMプリンタで3Dプリントしたギアの歯形を定量的に解析した研究シリーズの番外編として書いた。研究の詳細は「老眼でも測れた」シリーズを参照してほしい。AIはその研究の補助道具として実際に使い続けてきた。
AIを長時間使い続けると、一つのことが見えてくる。
AIは既に人類が蓄積した知識を高速に整理・変換・接続することに優れている。コード生成、文書整理、エラー解析、仮説の比較——こうした用途では非常に強力な補助道具になる。しかし、まだ誰も答えを持っていない問題に対しては、途端に頼りなくなる。
これはAIの欠陥というより、構造的な限界だ。現在の生成AIは大量のテキストを学習して動作している。本質的には「既に存在している情報」を利用しているため、人類がまだ言語化していない領域では不安定になる。さらにAIには、問われたら何らかの応答を返そうとする性質がある。未知の問題に対して「わからない」と沈黙することが苦手だ。
一方、研究や発見の現場では「まだ分からない」という状態に長時間耐えることが必要になる。その力がAIには設計上欠けている。
だからこそ、AIを本当の意味で道具として使いこなすには、AIが答えられない領域を自分で探索し続ける力が必要になる。
探索し続けるために何が必要か
では、その力はどこから来るのか。
最も重要なのは「おかしい」と感じる感度だと思われる。多くの人が当たり前として流してしまう現象に対して、「なぜそうなるのか」と引っかかれる能力である。その感度は、自分で測ること、長く観察すること、説明のつかない違和感を捨てないこと、権威や常識を必要以上に絶対視しないことによって維持されやすい。
興味深いのは、その感度は「新しく作る」というより「消さない」ことに近い可能性があることだ。子供は自然に「なぜ?」を繰り返す。しかし成長の過程で「そういうものだ」と説明を止められる場面が増えていく。違和感そのものを失ってしまう人も少なくない。探索し続けられる人間とは、その違和感を完全には手放さなかった人なのかもしれない。
作った時間が後から一本につながる
ある技術者は、仕事そのものには真面目に取り組みながらも、「長時間職場にいること」を人生の中心には置かなかった。空いた時間でプログラム言語、流体力学、RC、電子工作などを独学していた。
当時は単なる趣味に見えていたものが、後になって互いにつながっていく。BASICで書いた判定プログラム、独学した流体力学、Arduinoによる測定、PythonとOpenCVによる画像解析——それらは後年の研究で一本につながった。
人間の知識は、すぐ役立つものだけが意味を持つわけではない。長い時間をかけて、別々だった経験が後から結びつくことがある。そして種を蒔き続けた人間にだけ、後から芽が出る。
AIが答えられない場所に、発見がある
AIを使いこなすとはどういうことか。AIが得意な領域を任せながら、AIが答えられない場所を自分で探索し続けることだ。
AIが答えを出せる範囲は、既知の知識の組み合わせである。その範囲内で動いている限り、世界にまだない発見は生まれない。AIが答えを出せなくなった先——そこが本当の未知であり、発見の起点になる。
AIを使って「答えをもらう」ことで満足する人間と、AIが答えられない場所から先へ進む人間とでは、道具の使い方が根本的に違う。
AIは既知の世界の中の秘書として機能する。しかし探索のパートナーには、自分自身がなるしかない。
筆者がAIを補助道具として使いながら進めてきた研究の実例は、「老眼でも測れた」シリーズにまとめている。言葉だけでなく、実際の測定データと解析ツールを伴った記録である。