私の暮らし方を突き放して分析してみると、たぶんこのようになります。同じ道を進むことに興味のある方はおられますか。技術そのものをより自由に解釈できるスキルのある人間が、世界にはもっと必要な気がします。
元々私はスケールする技術を使う人間ですが、スケールさせることを本気で考えるのは、ブランドに乗せた時です。ブランドから自由にソロで動けば、小さく、自由に、イテレーティブに回せる。技術を自家薬籠に入れてしまえば、ブランドに乗せても確実に回せる。
技術にもっと自由な解釈を与えること、それそのものがオープンソースという手段の本質ですね。
整理された正統教義どおりに日々の儀式を遂行するカセドラルではなく、技術からあらゆる価値を汲み尽くすバザールである、ということですね。カセドラルとバザールを自在に行き来する「人間」ということが、「カセドラル」や「バザール」という個別の場所(手法)ということよりも重要で魅力的である、という状態を作り出す。それが我々がすでに行っており、また我々がこれから行わなければならないことであるように思います。
最後に、今手がけている作業結果の例を置いておきます。サーバが動いていれば、画像をクリックすると実際のサイトにつながるかもしれません。
2021-11-13 追記:本当は怖い伽藍とバザール
このエントリをご覧いただきありがとうございます。このエントリを出してから、本当は怖い伽藍とバザールへの LGTM を複数いただきました。確かに、深く関係ある話だと思いますし、こちらのエントリは本当の「伽藍とバザール」からの抜き書きですので、より重みがあります。
「楽しみが能率をあげる」ということであり、また「伝統的なソフトウェアプロジェクトの60%から75%は、結局完成せずに終わるか、あるいはその予定顧客に拒絶される」という現実の傾向の中で、いかに「限られている唯一のリソースである、才能ある人々の関心」を糾合していくか、ということなのではないかと思っています。
2011-11-13 追記:イテレーティブということ
イテレーティブとは何でしょう。「解決策を実装してみるまでは、問題を完全には理解しきれない」という状況の中で、まずは「実装してみることで理解をする」ということをします。これが、ラフを何度か描く、ということに似ているかもしれません。イテレーティブということに関する私の理解はおおよそこういうところです。プロトタイプは3つ目からまともに評価可能になる、という感覚があります。
行政のシステムでは、使用する技術を教本レベルでも理解せずに発注するということがあると聞きますが、本来は「2回は失敗して3回目を作っているところ」辺りからではないと、集団を統率してプロジェクトを動かすことはできない、という技術分野もあるように思います。
私が関わっているウェブ地図の分野は、おそらくそういった技術分野です。レイヤとして薄い・浅いからこそイテレーティブに回せる、という側面もあるかもしれません。ウェブ地図というのは、薄くて浅いからこそ、高いクオリティとパフォーマンスを求められる技術分野です。だからこそ、どれだけ反復をして改善ができたか、という世界になります。
ウェブ地図は薄くて浅い。地図ですから。だから何度でも繰り返す。
あるいは、イテレーティブとは、「最適化をする、しかし早すぎる最適化は行わない」という意味であるように思いました。あるいは、イテレーティブとは、「適切な最適化を実施するのに最短のやり方」なのかもしれません。