弊社には「プログラミングがはじめて」という新入社員も多く、まずは次のようなスクリプト(ソースコード)から書きはじめます。
let A = 10;
let B = 20;
if (A + B > 30) {
console.log("合計は30より大きいです。");
} else{
console.log("合計は30より小さいです。");
}
少し前のこと。私はまさにこの場面にいました。
開発職がすくない弊社で、ようやく開発仲間が増えるかもしれない───そう思うと嬉しくなり、ついつい色々と話してしまいました。
「スクリプト動いたんだね。どれどれ。あ!ここ、変数には分かりやすい名前をつけるといいよ。『リーダブルコード』って本があって、参考になるから読んでみて。それから、変数には型を指定できるよ。たとえば、数字しか入らないようにするとか(以下略)」
「アドバイス」という名の「否定」
上記のように「アドバイス」をしてしまった私。時間が巻き戻るのなら、最初にソースコードを見たときに「いいね!」と褒めてあげればよかったと思います。
「ソースコードを書けて偉い。」
「そもそも動くものを作れたことが偉い。」
「新しいことにチャレンジして偉い。」
そんなふうに、まずは肯定的な言葉をかけるべきでした。
はじめてプログラミングを触った彼も、不安と期待でいっぱいだったはずです。私の反応をとても気にしていたように思います。そして、どちらかといえば「褒められたい」と思っていたでしょう。
もし、私が「おめでとう。今日からプログラマーデビューだね(笑)」なんて気さくに言えていたなら、彼にとって安心できる先輩になれたでしょう。
しかし、私はひとことめに「あ!じつはこんなやり方もあるんだよね!」と、自分の言いたいことだけをいってしまったのです。
これは推測になりますが、きっとガッカリしたでしょうね。
少なくとも心地よくはなかったはずで、「ああ、この人はそういうタイプなんだ。」と思われ、苦手意識を持たれてしまった可能性があります。はじめたばかりだと分かっているにもかかわらず、それを我慢できずに言ってしまうのですから、性格が最悪です。
だって、アドバイスができて気持ちよくなっているのは指摘者側、つまりは私だけであり、言われた側からすれば、それは「ただの否定」なのですから。
もしかしたら何も思われておらず、『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』かもしれません。ああ…でもやっぱり「なんかこの人苦手だな」って思われたかもしれません。
───皆さんは、私に対して「女々しいやつだな」って思われたでしょうか。それとも、教えられた方が傷ついたとて「会社は学校じゃねーんだよ」「そんな奴はエンジニア向いてない」と思われたでしょうか。
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こんな格言があります。
「You are not your code(あなたはあなたのコードではない)」
自分が書いたコードに対するフィードバック───「このコードは改善の余地がある」「ここの設計が良くない」といった指摘に対して、自分自身への否定だと感じてしまうことがあるようです。しかし、それは誤解であり、「コードをより良くするための指摘であって、書いた人の価値を決めるものではない。」という考え方です。
中級者、上級者の方でもこれを意識することがあるといいます。どうでしょう、初心者ならほとんどの場合で、否定されたと受け取ってしまうのではないでしょうか?
私は、この「否定」は大きく3種類あると考えています。
- ①気になるところを指摘しよう。
- ②もっといい方法を提案しよう。
- ③分からないところを教えてあげよう。
「いやいや、否定って(笑)」と思われたでしょうか。
妻が『ゼルダの伝説』をはじめまして
話は変わりますが、つい先日に妻が『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』をはじめまして、私はよく妻のプレイを見ています。
どんな類のゲームなのか3行でいうと、謎解き+アクションゲームで、敵と戦ったりダンジョンを攻略するゲームです。主人公が多種多様な「カリモノ」を使いこなし、正解がひとつではない謎解きをプレイヤーの好みの方法で解いていくっていうゲームです。
本記事を読むにあたっては、「プレイスタイルに個人差が出やすく、性格や思考によって進め方が全然違うゲーム」だと思っていただければ、それでよいです。
で、妻がゲームをしているときに、私は前のセクションで挙げた3種類の「否定」をすべてしてしまったのです。私にとっては、よかれと思っていったアドバイスでした。
①バクダンで壊せそうなところがある

「そこ、壊せそうじゃない?」
「そこって?」
「え、左の、あ、壁じゃなくて」
「どこよ…」
②序盤で手に入るザコいモンスターばかり使う

「さっき、もっと強そうなの手に入れてなかったっけ」
「なにが?」
「カラスじゃなくて、もっと強そうなやつ。どんな攻撃するんかなーって」
「また後でね」
③多分こうなんだろうな(謎解き)

「あー、これゼルダあるあるやな」
「………」
「墓地って押して動かせるんやで」
「………#」
それで、私がどうなったかなんて言うまでもありませんよね。「余計なこというんだったら見んといて!」「私がやってるんだから好きにやらせて!」とボロクソに怒られてしまいました。
まぁ、そりゃそうです。
せっかく自分で考えて、楽しんでゲームしてるのに横から「そうじゃなくない?」「試しにこうやってよ!」「え、なんでそんなことするの?」なんて言われたらクッソイライラするに決まっています。
───でもさ…
これ、ついつい言いたくなりません?「あ、俺わかったわかった!きっとこうだ!」と言いたくなりません?
だって気になりません。「そこの絶対バクダンで壊せるやん!宝箱とかありそう、気になるー!」ってなりません?
”何も考えずにやってる人”は少ない
妻のゲームで登場した「②序盤で手に入るザコいモンスターばかり使う」について、私は「非効率的なことをしているな」と思っていました。弱いモンスターを味方にして戦うんじゃなくて、強いモンスターを味方にしろよと。
しかし、浅いのは私のほうでした。
実はこのカラス、攻撃力が弱い代わりに、敵を攻撃するとルピー(ゲーム内のお金)を奪うため、金策になるそうです。
このゲーム、意外とお金を使うらしく、こうやって攻略の途中でお金を集めておくと、次の村に着いたときにスムーズに買い物ができるようです。
妻は敵を効率よく倒すより、お金を集めることに重きをおいていたのです。
私はそれを知らず「もっと強いモンスターがいるのに、それでさっさと倒してしまえばいいのに。」と思っていました。
妻は「よく分からないから」とか「考えるのが面倒だから」というような理由───ようするに、なにも考えずにカラスを使っていたわけではなかったのです。(にしても、使い過ぎだろ!って思ってますけど。)
冒頭の、プログラミングを始めた彼もそうです。何か理由があってそういうスクリプトになっていたはずで:
「最初だから、とりあえず動くものを作りたかった。」
「不安だったから、まずは先輩に見てもらいたかった。」
「コピペしたから動いたけど、なんでこう動いたのか考えていた。」
こんな理由があったのでしょう。
それなのに、いきなり「もっといい方法がある!」と言われても、それは的外れなアドバイスとしか言いようがありません。
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ここに差し込むか迷ったのですが───
皆さんも最初からお気づきだったと思いますが、この記事のタイトルはありえません。「だからアドバイスをやめよう!」という主張は、組織(ここでは「家族」も組織とします)に属している限りは、不可能だからです。
では、私のこの体験が伝えたいことは何でしょうか。
それは、「言いたがりをやめろ」ということです。
そもそも、人はよほどのことがない限り、アドバイスを求めることはありません。伸びる人は放っておいても勝手に伸びますし、本当に困っているなら向こうから聞いてきます。
「アドバイスをしなければ」というマインドではなく、「アドバイスはしなくてもよい」のマインドでいたとしても、さして大きな問題にはなりません。
ちなみに、メジャーリーグには「教えないことが名コーチ」という考え方があるようです。私の場合は「アドバイスって難しい…分からない…」と半ばあきらめているだけなのですが、これを言い訳にしてしまってたりします。
メジャーリーグには昔から『教えないことが名コーチ』という格言がある。教えたくても教えない。その気持ちを大切にしてほしい。
出典:野村克也 著書『指導者のエゴが才能をダメにする』
「言いたがり」には特効薬がない
そういうわけで、私は「言いたがり」からやめてみようと思ったわけで、皆さんにもこの経験を伝えたかったのです。少なくとも、これは気をつけて損はないはず、と思ったので。
聞かれたときだけ。そう、聞かれたときだけ答えればいいんです。
しかし、これもまた難しいのです。
直近の私の失敗を上げますと、次の日に捨てるゴミをまとめてくれている妻に「明日の朝でよくない?今やっても邪魔になるだけじゃね?」って言ってしまった事ですかね。せっかく手間のかかる家事をやってくれていたのに、ひどいことを言ってしまいました。
どうやら「言いたがり」というのは、気を付けているだけでは、ついつい口から出てしまうようです。これまでの人生の中で育ち続けた『クセ』ということです。特効薬もなさそうです。
私は、たびたび「人生の枷(かせ)になってるな」と思い、後悔ばかりをしているのですが、皆さんはどうでしょうか。
以上です。
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■コラム、エッセイ、評論、あるいは雑談
これ見てください。
絵面的にも、絶対にやり方違うと思いません?
妻はカラスでちまちま攻撃してボスを倒しました。![]()
こういうときには、もっと強い批判が口をついて出てしまいます:
「ふつうに考えたら違うって分かるやん。」
「いやいや、これ絶対べつのやり方あるやろ。」
「ぇぇぇ…、なんでこんなことしてんの?」
ここまで言ってしまうと、否定を通りこして、もはや攻撃ですね。