本気を笑う老人にならないための生存戦略
シニアエンジニアとして経験を積むということは、効率を手に入れるということだ。 かつては冷や汗をかきながら三日三晩悩み抜いたエラーも、今ではログを一行見ただけで鼻歌交じりに解決できてしまう。
「慣れ」は素晴らしい。それは、私たちが生き残ってきた証だ。 だが、最近気づいたことがある。この「慣れ」の先には、エンジニアとして、いや人間として最も恐ろしい「腐敗」が待っている。
だんだん慣れてくると、本気を出さなくても仕事が回るようになる。 本気を出さなくてもよくなると、筋肉が落ちるように、いざという時に本気を出せなくなる。 本気を出せなくなると、がむしゃらに頑張っている他人を見て「要領が悪いな」と羨むようになる。 そして最後には、その羨望を隠すために、本気を笑うようになるのだ。
私は、それだけは死んでも嫌だ。 私は本気で生きていたいし、本気で生きている人を冷笑するような、干からびた老人にはなりたくない。
だから私は、定期的にあえて 「バーンアウト前提の働き方」 を選択する。
「本気」のリハビリテーション
誤解しないでほしいが、これはブラック労働の推奨ではない。 これは、鈍ってしまった魂を叩き直すための、自発的なリハビリテーションだ。
自分にとって「今の実力ではギリギリ届かないかもしれない」というハードルを、意識的に設定する。 それは、無謀なスケジュールの個人開発かもしれないし、全く知見のない技術領域への登壇かもしれない。このひとりアドベントカレンダーもそれにあたる。
そこで私は、自分を追い込む。 適応型ソフトウェア開発(ASD)で言うところの「秩序」から、あえてコントロール不能な 「カオス」 の領域へと身を投じる。
当然、つらい。 ほんとに意味がわからない。 「なんでこんなこと引き受けたんだ」と後悔し、胃が痛くなり、バーンアウト寸前まで突っ走って、最後は泥のように倒れ込む。全部自分が自分に約束したことなんだがね。
スマートではない。効率的でもない。 シニアにもなって何をやっているんだと、自分でも思う。
灰の中から蘇るたびに、視座が変わる
しかし、この「擬似的な死(バーンアウト寸前)」を経て、泥の中から這い上がってきたとき、不思議な現象が起きる。
今回のバーンアウトをした原因を突き詰めることで、自分の中の知らなかった気づきが明確になったり、思考プロセスが1段階深くなったりする。
かつて必死にならないとクリアできなかった課題が、いつの間にか「本気を出さなくてもよい領域」に変わっている。 死ぬ気で走ったあと、ジョギングが羽のように軽く感じるあの感覚だ。
自分を極限まで使い倒して壊すことで、強制的に回復・修復(超回復)させ、以前よりも太い精神的筋肉を手に入れる。 この確実なレベルアップの体感こそが、私がこの荒療治をやめられない理由だ。
「冷笑」という老いへの抵抗
本気を出すのは、本当につらい。 恥をかくかもしれないし、失敗して評価を下げるかもしれない。 スマートに、省エネで、80点の仕事を続けるほうが、よほど賢い生き方だろう。
けれど、安全圏から若手の情熱を眺めて、「まあ、君もそのうちわかるよ」なんて薄ら笑いを浮かべる自分になるくらいなら、私は何度でも火の中に飛び込んで、火傷だらけになるほうを選ぶ。
「やるか、死ぬか」
私が恐れるのは、肉体の疲労ではない。 心が冷え切り、情熱を笑うようになった時、私は本当の意味で「死ぬ」のだと思っている。
だから私は、明日もまた、懲りずに自分を追い込むだろう。 倒れるギリギリまで走った後にしか見えない、あの鮮やかな景色を見るために。