「短所」という名の、制御不能な「才能」について
「あなたの強みはなんですか?」 そう聞かれて、即座に答えられるほど私は自分に自信がない。 けれど、「あなたの短所は?」と聞かれれば、一晩中でも語り明かせる気がする。
空気が読めない、こだわりが強すぎる、考えすぎて手が止まる、人の顔色を伺いすぎる。 私たちは往々にして、自分の「至らなさ」に絶望し、それを矯正しようと人生の大半を費やす。
だが、最近になって一つの仮説に辿り着いた。 「短所」とは、実は欠落ではない。 それは、自分で制御しきれないほど肥大化した「才能」の暴走結果なのではないか、と考えている。
トラウマから生まれた「生存機能」
なぜ、私たちには特定の「短所」があるのか。 それは、かつて私たちが「トラウマ」になるような過酷な環境から、自分自身を守るために生み出した、究極の「環境適応能力」だからだ。
例えば、「人の顔色を伺いすぎる」という短所を持つ人がいるとする。 それは恐らく、幼少期や過去の職場において、相手の微細な感情の変化を読み取らなければ生き延びられない環境にいたからだ。 身を守るために、センサーの感度を極限まで高める必要があった。
その結果、どうなったか。 そのセンサーは「高感度」すぎて、平和な日常ではノイズを拾いすぎるようになった。これが「短所」として現れる。
私たちは、その適応プロセスで負った「痛み」や「恐怖」ばかりを記憶している。 だから、自分が手に入れた「圧倒的な検知能力(才能)」の価値を忘れ、それが引き起こすエラー(短所)だけを見て自己嫌悪に陥る。
才能は勝手に強くなる
さらに厄介なことがある。 この「才能(=生存本能)」は、持ち主の意思とは無関係に、知らず知らずのうちに強化され続ける。 適応型ソフトウェアが、環境の変化に合わせて自律的に進化するように、私たちの防衛本能もまた、学習をやめない。
だから、年を重ねるごとに「短所が悪化している」と感じることがある。 それはあなたがダメになったからではない。 あなたの「才能」が、あまりにも優秀に育ちすぎて、今のあなたの制御能力(スペック)を超えてしまっただけなのだ。
F1のエンジンを積んだ軽自動車が、公道を走ればどうなるか。 当然、事故を起こす。 私たちはその事故現場(短所)だけを見て、「自分は運転が下手だ」と嘆いているに過ぎない。
「短所」の裏返しに、最強の武器がある
だから、才能を見つける方法は実はシンプルだ。 あなたが最も悩み、隠したいと願っている「短所」を直視し、ひっくり返せばいい。
「こだわりが強すぎて納期が守れない」なら、それは「品質への異常な執着」という才能だ。 「飽きっぽい」なら、それは「常に新しい環境への適応を模索する」という才能だ。
短所を矯正しようとしてはいけない。それは、せっかく磨き上げた鋭利な刃物を、丸めてただの鉄屑にするようなものだ。 必要なのは、その暴れ馬のようなエネルギーを乗りこなすための「制御方法」を学ぶこと、あるいはその過剰なスペックが許される「場所」を見つけることだけだ。
結論
もしあなたが今、自分のどうしようもない欠点に打ちひしがれているなら。 それは、あなたが無能である証明ではない。 あなたがかつて、何らかの困難に立ち向かい、生き延びるために手に入れた「勲章」が、今もなお熱を帯びて唸っている証拠だ。
その歪(いびつ)さは、あなたの歴史であり、誰にも真似できない圧倒的な優位性だ。 「短所」というラベルを剥がして、その下にある巨大なエネルギーの正体を見つめてほしい。
そこにはきっと、あなたをあなた足らしめる、痛々しいほどの才能が眠っているはずだから。