「やりたいこと」は「やりたくないこと」の逆算でしか見つからない
「将来、何がしたいですか?」 「あなたのキャリアビジョンは?」
エンジニアとして生きていると、この問いから逃れることはできない。 面談で、採用面接で、あるいは飲み会の席で。
正直に言えば、私にはキラキラした「やりたいこと」なんてない。 世界を変えるようなサービスを作りたいわけでも、CTOになって技術組織を牽引したいという野望があるわけでもない。
ただ、凡庸な私たちがこの問いに答えられないのは、探し方が間違っているからではないか。最近そう思うようになった。
「やりたいこと」を探すのは難しい。 だが、「やりたくないこと」なら、いくらでも挙げられるはずだ。
拒絶からの逆算
私がエンジニアとして選び取ってきた道は、常に「消去法」だった。
スーツを着て満員電車に揺られたくない。 意味のないハンコリレーに時間を費やしたくない。 理不尽な仕様変更に、無言で従うだけのソルジャーにはなりたくない。
私の「やりたいこと」の正体は、実は「やりたくないこと」の裏返しでしかない。 自由な働き方がしたいのは、束縛されたくないから。 モダンな技術に触れていたいのは、レガシーな泥沼で窒息したくないから。
これはネガティブな逃避だろうか? いや、違う。 これは、自分の生存領域を確保するための、極めてロジカルな「逆算」だ。
「カオスの淵」でバランスをとる
この感覚は、適応型ソフトウェア開発(ASD)における 「カオスの淵(Edge of Chaos)」 の話によく似ている。
システム(あるいは組織、人生)には、3つの領域がある。
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秩序(Order): 予測可能で安定しているが、変化がなく、やがて停滞して死に至る領域
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カオス(Chaos): 予測不可能で無秩序。変化は激しいが、崩壊のリスクが高く、生存が難しい領域
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カオスの淵(Edge of Chaos): 秩序とカオスの境界線。最も創造的で、環境に適応できる領域
私たち凡人は、放っておくと「秩序(変化のない退屈な日常)」に安住するか、あるいは「カオス(炎上案件やコントロール不能な人生)」に飲み込まれてしまう。
「やりたくないこと」を避けるという行為は、この 「カオスへの転落」を防ぐためのセンサー だ。 「このままでは死ぬ(精神的に)」というアラートに従ってハンドルを切る。
一方で、「何もしたくない」と秩序に引きこもれば、そこには成長も刺激もない「停滞」が待っている。これもまた、エンジニアとしての死だ。
つまり、私たちが探すべき「やりたいこと」とは、固定されたゴールではない。 「やりたくない(カオス)」と「つまらない(秩序)」の間にある、ギリギリの境界線――「カオスの淵」に立ち続けることそのものなのだ。
嫌なことから逃げ続けた先に、道ができる
少年漫画の主人公のように、明確な「夢」に向かって突き進む生き方は眩しい。 だが、そんなコンパスを持っていない私たちは、暗闇の中で壁にぶつかりながら、痛くない方へと進むしかない。
それでいいと思う。
「長時間労働は嫌だ」 「尊敬できない人と働きたくない」 「書いたコードが誰にも使われないのは嫌だ」
その「嫌だ」という感情を羅針盤にして、全力で逃げ回る。 そうしてカオスから距離を取り、かといって停滞もせず、ふらふらと歩き続けた足跡。 振り返ればそれが、あなただけのユニークなキャリアになっているはずだ。
逆説的に、「一瞬を大切に集中し、成果を出したい」、「リスペクトできる人と高めあいたい」、「誰かの役に立つことがしたい」ことがやりたいことかもしれない。
「やりたいこと」なんて、高尚なものでなくていい。 それは、地雷原を避けて歩いた結果、たまたま辿り着いた、少しだけ居心地の良い場所のことなのだから。