カオスの淵で、凡庸な私が「露出」を選んだ理由
2025年が暮れようとしている。 エンジニアとして13年以上を生きてきて、毎年この時期になると「今年もなんとか生き残った」という安堵と、来年への微かな緊張が入り混じる。
今年の私を一言で表すなら、それは 「露出」 だった。
フロントエンドエンジニアとして、外の世界へ自分を晒すこと。 安全な組織の内側に引きこもるのではなく、評価という風雨が吹き荒れる場所へ、自らの足で踏み出した一年だった。
狂気と規律の「2年連続・一人アドベントカレンダー」
昨年に続き、今年も一人でアドベントカレンダーを完走した。2年連続である。
周囲からは狂気だと言われるかもしれない。師走の繁忙期に、毎日記事を書き、公開ボタンを押す。そのプレッシャーは、何度やっても胃が痛くなる。 それでもなぜやるのかと問われれば、これは私にとっての 「生存確認」 だからだ。
私のような凡庸なエンジニアは、放っておけばすぐに「慣れ」という名の怠惰に沈んでいく。 毎日定時に思考をアウトプットするという、この過酷で地味な規律こそが、錆びつきそうな自分のセンサーを研ぎ直す唯一の砥石なのだ。
誰も見ていないかもしれない。それでも、私は書く。 「やるか、死ぬか」。 その精神を忘れないために。
スポンサートークではない「外部登壇」への挑戦
そして今年は、もう一つ大きな境界線を越えた。 外部登壇への応募と、自力での採択だ。
招待されたわけでも、コネを使ったわけでもない。 自分の持っている知見が、市場において価値があるのか。それを問うために、裸一貫でプロポーザルを書いた。
結果、採択された。 この事実は、企業内シニアとして「守られた庭」にいる私にとって、小さくない自信となった。
組織の看板を外し、一人のフロントエンドエンジニアとしてマイクを握る。まだ現役として戦えることを自分自身に証明してくれたように思う。
「量産型」だからこそ、手を挙げ続ける
なぜ今年、ここまで「露出」にこだわったのか。
それは、私が 「量産型」 のエンジニアだからだ。 特別な才能がない私が、黙って隅っこでコードを書いているだけでは、誰も私を見つけてくれない。そして何より、私が沈黙してしまっては、後に続く「普通」の後輩たちが、目指すべき背中を見失ってしまう。
「シニアになっても、泥臭くコードを書き、発信し、登壇する」
その姿を晒すことは、ある種の 「恩送り」 だ。 私が公の場に出ることで、そこに一つの「境界線(Interface)」が生まれる。「ここまでやっていいんだ」「こういう生存戦略があるんだ」という、実例としての境界線だ。
2026年へ
2025年、私はよく動き、よく書き、よく晒した。 本気を出さなくてもいいシーンが増えてきた年齢だからこそ、あえて自分に負荷をかけ、バーンアウト寸前まで走ることで、確実なレベルアップを体感できた一年だった。
私はまだ、枯れていない。 スキルは移ろいやすくとも、問い続ける思考と、行動し続ける足腰がある限り、私はカオスの淵で踊り続けることができる。
来年もまた、性懲りもなく「やる」ほうを選ぶだろう。 それが、凡庸な私がこの世界を生き抜くための、たった一つの冴えたやり方なのだから。
やらないと、死んじゃうからね。