(注意:この記事は半分くらい生成AIが出力したものです)
"If you can't solve a problem, then there is an easier problem you can't solve: find it." — George Pólya
(『問題が解けないときは、それより簡単な、似た問題が解けない場合が多い。まずそれを見つけなさい。』 — ジョージ・ポリア)
リーマン予想解きたいですか? 解きたいですよね?
でもリーマン予想は超難問です。もっと簡単なものから調べたいです。
しかし、簡単な例題すら作ることが難しい、というのもリーマン予想の難しさの1つです。
この記事では、リーマンゼータ関数のちょっと優しいバージョンである セルバーグゼータ関数 (Selberg Zeta Function) を解説します。
これはリーマンゼータ関数と似た性質を持ち、リーマン予想に相当するものが証明されています。
それ故に、リーマン予想解決への強力な指針を与えてくれます。
1. セルバーグゼータ関数とは
ここでは大まかな定義を述べます。(後で視覚的なイメージや詳細を説明します)
セルバーグゼータ関数 $Z(s)$ は、コンパクトなリーマン面上の閉じた測地線(最短経路)の長さを用いて、以下のように定義されます:
$Z(s) = \prod_{p} \prod_{k=0}^{\infty} (1 - N(p)^{-(s+k)})$.
ここで、$p$ はリーマン面上のすべての原始的な閉測地線(自分自身と交わらない閉じた測地線)をわたり、$N(p)$ は $p$ のノルムで、測地線の長さを $l(p)$ とすると $N(p) = e^{l(p)}$ と表されます。
セルバーグゼータ関数の零点には、自明な零点(簡単に場所がわかるもの)と非自明な零点があります。そして、この非自明な零点はすべて一直線上に並ぶことが証明されています:
命題(セルバーグゼータ関数のリーマン予想)
セルバーグゼータ関数 $Z(s)$ の非自明な零点 $s = \sigma + it$ は、すべて実部が $\sigma = 1/2$ となる直線上に存在する。
2. リーマンゼータ関数との比較
セルバーグゼータとリーマンゼータの対応関係を見ていきましょう。
2.1. リーマンゼータ関数とリーマン予想
リーマンゼータ関数 $\zeta(s)$ は以下のようなものです。
$\zeta(s) = \sum_{n=1}^{\infty} \frac{1}{n^s} = \frac{1}{1^s} + \frac{1}{2^s} + \frac{1}{3^s} + \cdots$
ただし、この表示は複素数 $s$ の実部が1より大きい場合 $(\mathrm{Re},s > 1)$ にのみ有効です。この関数は素数を用いて、以下のような積で表すこともできます(オイラー積表示)。
$\zeta(s) = \prod_{p: \text{素数}} \frac{1}{1 - p^{-s}}$
セルバーグゼータ関数が「原始的な閉測地線」という幾何学的な"素元"の積で表されていたように、リーマンゼータ関数は数論における"素元"である素数の積で表されています。
リーマンゼータ関数は解析接続によってその定義域が複素平面全体に拡張されます。
予想(リーマン予想)
リーマンゼータ関数 $\zeta(s)$ の非自明な零点 $s = \sigma + it$ は、すべて実部が $\sigma = 1/2$ となる直線上に存在する。
3. セルバーグゼータ関数のイメージ
ほとんどの人は、セルバーグゼータ関数の定義式を見ても意味不明だと思います。
この章では、専門的な詳細には立ち入らず、視覚的なイメージを紹介します。
3.1. リーマン面
リーマン面は、セルバーグゼータ関数が定義される舞台です。局所的には普通の平面のように見えますが、全体としてはぐにゃりと曲がったり、繋がったりしています。(正確な定義はwikipediaや専門書を参照してください)。
例1:トーラス(ドーナツの表面)
最もシンプルなリーマン面の一つが、ドーナツの形をしたトーラスです。長方形の紙の上下の辺を貼り合わせて筒を作り、次にその筒の左右の端をぐいっと曲げて貼り合わせると完成します。
例2:双曲的なリーマン面(プレッツェルの表面)
セルバーグゼータ関数がその真価を発揮するのは、この双曲的なリーマン面です。
トーラスと違い、この表面は**どこもかしこも「鞍(くら)の形」**になっています。つまり、ある方向には下に凹み、別の方向には上に凸になっているような、負の曲率を持つ空間です。
セルバーグゼータ関数を想像するときの「リーマン面」は、主にこのプレッツェルのような、どこもかしこもマイナスに曲がっている双曲的な空間を思い浮かべると良いです。
実は、双曲的なリーマン面を3次元ユークリッド空間に「きれいに」埋め込むことは数学的には不可能です。なので、上のプロットはあくまで視覚的なイメージなので注意してください。上のプロットの例は厳密な双曲計量を持つわけではありませんが、位相的な性質(穴の数や繋がり方)はほぼ同じなので、測地線のイメージを理解するためのイメージとしては問題ないかと思います。
3.2. 幾何学の世界の素数:閉じた測地線
次に、この世界の「素数」にあたる閉じた測地線を見ていきます。
測地線とは、その曲面上で「まっすぐ」な線のことです。2点間を結ぶ(局所的な)最短経路であり、曲面上にピンと張ったゴムひもをイメージするとわかりやすいです。グニャグニャと寄り道するような線はダメです。
閉じた測地線とは、スタート地点から「まっすぐ」進んで、最終的に同じ場所に同じ向きで戻ってくるループのことです。
トーラス上の閉じた測地線
ドーナツの表面では、閉じた測地線は比較的シンプルで規則的に存在します。ある地点から特定の方向にまっすぐ進むと、表面をぐるっと回って元の場所に戻ってきます。
生成スクリプト(python)
```py import numpy as np import matplotlib.pyplot as plt import japanize_matplotlib from mpl_toolkits.mplot3d import Axes3D# --- 1. トーラスのパラメータ設定 ---
R = 3 # 大半径 (トーラスの中心から管の中心までの距離)
r = 1 # 小半径 (管の半径)
# --- 2. トーラスの表面の座標を計算 ---
# パラメータu, vのグリッドを作成 (u: 経度方向, v: 緯度方向)
u = np.linspace(0, 2 * np.pi, 100)
v = np.linspace(0, 2 * np.pi, 50)
u, v = np.meshgrid(u, v)
# トーラスのパラメータ表示式
x_torus = (R + r * np.cos(v)) * np.cos(u)
y_torus = (R + r * np.cos(v)) * np.sin(u)
z_torus = r * np.sin(v)
# --- 3. 閉じた測地線の座標を計算 ---
# 描画する測地線のタイプを(n, m)のペアで指定
# (n, m)は、トーラスを縦にn回、横にm回まわる測地線
geodesic_types = [
{'type': (1, 0), 'color': 'red', 'label': '(1, 0): 経線'},
{'type': (0, 1), 'color': 'blue', 'label': '(0, 1): 緯線'},
{'type': (1, 1), 'color': 'green', 'label': '(1, 1): 斜め(縦に1周)'},
{'type': (2, 3), 'color': 'orange', 'label': '(1, 2): 斜め(縦に2周)'},
# {'type': (3, -2), 'color': 'orange', 'label': '(3, -2): 逆巻き'}
]
geodesics_data = []
# 測地線を滑らかに描画するためのパラメータt
t = np.linspace(0, 1, 500)
for geo_info in geodesic_types:
n, m = geo_info['type']
# パラメータ空間(u, v)での直線 (u=2πnt, v=2πmt)
u_geo = 2 * np.pi * n * t
v_geo = 2 * np.pi * m * t
# 3D空間上の測地線の座標に変換
x_geo = (R + r * np.cos(v_geo)) * np.cos(u_geo)
y_geo = (R + r * np.cos(v_geo)) * np.sin(u_geo)
z_geo = r * np.sin(v_geo)
geodesics_data.append({
'x': x_geo, 'y': y_geo, 'z': z_geo,
'color': geo_info['color'], 'label': geo_info['label']
})
# --- 4. 3Dプロットの作成 ---
fig = plt.figure(figsize=(12, 10))
ax = fig.add_subplot(111, projection='3d')
# トーラスの表面を半透明で描画
ax.plot_surface(x_torus, y_torus, z_torus, color='cyan', alpha=0.2, rstride=5, cstride=5, edgecolor='none')
# 各測地線を描画
for data in geodesics_data:
ax.plot(data['x'], data['y'], data['z'], color=data['color'], linewidth=3, label=data['label'])
# プロットの体裁を整える
ax.set_title("Torus and its Closed Geodesics", fontsize=16)
ax.set_xlabel("X")
ax.set_ylabel("Y")
ax.set_zlabel("Z")
# 歪みをなくすために軸の範囲を調整
max_val = R + r
ax.set_xlim(-max_val, max_val)
ax.set_ylim(-max_val, max_val)
ax.set_zlim(-max_val, max_val)
ax.set_box_aspect([1, 1, 1]) # アスペクト比を1:1:1に
# 凡例を表示
ax.legend(loc='upper left', bbox_to_anchor=(0.8, 0.9))
# 視点を調整 (お好みの角度に変更してください)
ax.view_init(elev=30, azim=60)
plt.savefig("torus_3d.png")
plt.show()
```
3Dも面白いですが、展開図を使うと本質がよくわかります。トーラス上のまっすぐな線(測地線)は、展開図の上ではただの直線として描くことができます。直線が辺に到達すると、反対側の辺から同じ角度で現れる、と考えるのです。
以下のPythonコードは、この考え方に基づき、トーラス上の様々な閉じた測地線を展開図に描画します。横に1周するループ(1, 0)
や、斜めに進むループ(1, 2)
などが、展開図上では綺麗な直線として表現される様子がわかります。
双曲的なリーマン面上の閉じた測地線
こちらが本番です。プレッツェルのような双曲的な面上では、閉じた測地線は非常に複雑な振る舞いをします。
生成スクリプト(python)
```py import numpy as np import matplotlib.pyplot as plt import japanize_matplotlib from mpl_toolkits.mplot3d import Axes3D# --- 1. 双曲的なリーマン面(プレッツェル型)のパラメータを定義 ---
u = np.linspace(0, 2 * np.pi, 100)
v = np.linspace(0, 2 * np.pi, 100)
u, v = np.meshgrid(u, v)
R = 2.5
r = 1.0
n = 2
x_surf = (R + r * np.cos(v)) * np.cos(u)
y_surf = (R + r * np.cos(v)) * np.sin(u)
z_surf = r * np.sin(v) + np.cos(n * u) * 0.8
# --- 2. 閉じた測地線を定義 ---
t = np.linspace(0, 2 * np.pi, 200)
geodesics = []
# 測地線 1 (赤色): 片方の穴の周り
u1 = np.pi / 2
v1 = t
x1 = (R + r * np.cos(v1)) * np.cos(u1)
y1 = (R + r * np.cos(v1)) * np.sin(u1)
z1 = r * np.sin(v1) + np.cos(n * u1) * 0.8
geodesics.append({'x': x1, 'y': y1, 'z': z1, 'color': 'red', 'label': '測地線 (タイプ1)'})
# 測地線 2 (緑色): もう片方の穴の周り
u2 = 3 * np.pi / 2
v2 = t
x2 = (R + r * np.cos(v2)) * np.cos(u2)
y2 = (R + r * np.cos(v2)) * np.sin(u2)
z2 = r * np.sin(v2) + np.cos(n * u2) * 0.8
geodesics.append({'x': x2, 'y': y2, 'z': z2, 'color': 'green', 'label': '測地線 (タイプ2)'})
# 測地線 3 (黄色): 曲面全体を大きく1周 (てっぺん)
u3 = t
v3 = np.pi / 2
x3 = (R + r * np.cos(v3)) * np.cos(u3)
y3 = (R + r * np.cos(v3)) * np.sin(u3)
z3 = r * np.sin(v3) + np.cos(n * u3) * 0.8
geodesics.append({'x': x3, 'y': y3, 'z': z3, 'color': 'magenta', 'label': '測地線 (タイプ3)'})
# 測地線 4: (1,1)タイプのシンプルな斜めループ
u5 = t
v5 = t
x5 = (R + r * np.cos(v5)) * np.cos(u5)
y5 = (R + r * np.cos(v5)) * np.sin(u5)
z5 = r * np.sin(v5) + np.cos(n * u5) * 0.8
geodesics.append({'x': x5, 'y': y5, 'z': z5, 'color': 'blue', 'label': '測地線 (タイプ 1,1)'})
# 測地線 5: 内側の赤道を走るループ
u6 = t
v6 = np.pi
x6 = (R + r * np.cos(v6)) * np.cos(u6)
y6 = (R + r * np.cos(v6)) * np.sin(u6)
z6 = r * np.sin(v6) + np.cos(n * u6) * 0.8
geodesics.append({'x': x6, 'y': y6, 'z': z6, 'color': 'cyan', 'label': '内側のループ'})
# --- 3. 3Dプロットの作成 ---
fig = plt.figure(figsize=(12, 10))
ax = fig.add_subplot(111, projection='3d')
ax.plot_surface(x_surf, y_surf, z_surf, cmap='viridis', alpha=0.3, edgecolor='none', rstride=2, cstride=2)
for geo in geodesics:
ax.plot(geo['x'], geo['y'], geo['z'], color=geo['color'], linewidth=4, label=geo['label'])
ax.set_title("双曲的なリーマン面と閉じた測地線の視覚的イメージ", fontsize=16)
ax.set_xlabel("X軸")
ax.set_ylabel("Y軸")
ax.set_zlabel("Z軸")
ax.legend()
ax.view_init(elev=30, azim=60)
ax.set_box_aspect([1, 1, 0.7])
plt.savefig("hyperbolic.png")
plt.show()
```
画像だとよくわからないので3D動画も掲載します。
双曲的なリーマン面と閉じた測地線のイメージ pic.twitter.com/F1gIkxoRnr
— S. Tabayashi (@kimeko__) July 7, 2025
この図では単純な曲線だけを例示していますが、実際には無数の曲線が存在します。
セルバーグゼータ関数の定義に出てくる原始閉測地線とは、同じコースを何度もぐるぐる回らない、最も基本的な一回りのループのことです。これが「素数」に相当します。
2周、3周するループは、直感的には、数論における「素数のべき乗 ($p^2, p^3$)」のようなものです。
3.3. "素数"はどれくらいあるのか?:素測地線定理
この幾何学的な"素数"(原始閉測地線)がどのくらい存在するのかを見ていきます。
この分布の仕方は、数論の素数と驚くほど似ています。
-
トーラスの場合:長さが $L$ 以下の閉測地線の数は、だいたい $L^2$ に比例して増えます。比較的穏やかな増え方です。
-
双曲的なリーマン面の場合:長さが $L$ 以下の原始閉測地線の数は、 $L$ が大きくなるにつれて、およそ $e^L / L$ という関数に従って爆発的に増大することが知られています。これは素測地線定理と呼ばれます。
この結果は、数論における素数定理($x$ 以下の素数の個数は、およそ $x / \log x$)とよく似た形をしています。実際、$N(p) = e^{l(p)}$ という関係式($l(p)$は測地線の長さ)を思い出せば、両者の深いアナロジーが見えてきます。
3.4. まとめ
いったん、ここまでの話をまとめます。
「プレッツェルのような、どこもかしこもマイナスに曲がった幾何学的な世界(リーマン面)がある。その世界には、『素数』の役割を果たすループ(測地線)が無数に存在している。セルバーグゼータ関数とは、これらのループを用いて、素数からリーマンゼータ関数を作るのと同じ方法で組み立てられたゼータ関数である。」
この強力なアナロジーこそが、セルバーグゼータ関数がリーマン予想への道しるべとされる理由です。
この先の議論のネタバレになりますが、このセルバーグゼータ関数を調べることで、ループの長さの分布や、リーマン面の形に関する情報(専門的にはラプラシアンのスペクトル)がわかるという、極めて驚くべき結果が得られるのです!
これは、直感的には**「音(スペクトル)を聞いて太鼓(リーマン面)の形を知る」**みたいなとんでもない技術です。
4. セルバーグゼータ関数の零点の証明
さて、クライマックスです。
セルバーグゼータ関数の非自明な零点は、一直線上に並ぶのでしょうか?
この証明は幾何学と解析学の連携技です。その美しさはクロノトリガーにも劣りません。
この証明を見れば、リーマン予想の証明も同様にできるのでは?という感覚を得られます。(実際にできるとは限りません)。
4.1. 前準備
証明の登場人物は主に二人です。
-
幾何学の主役:閉測地線 (Closed Geodesics)
これは前の章で見た、リーマン面上の「最短経路のループ」です。一つ一つの閉測地線 $p$ は、その長さ $l(p)$ という幾何学的な量を持っています。セルバーグゼータ関数 $Z(s)$ は、この無数の測地線の長さの情報から構成されていました。 -
解析学の主役:ラプラス・ベルトラミ作用素 (Laplace-Beltrami Operator)
こちらは、リーマン面という「太鼓の膜」がどのように振動するかを記述する微分作用素 $\Delta$ です。物体を叩くと音が出ますよね?この作用素を調べると、作用している対象の、固有の「響き」や「音色」を表す固有値 $\lambda_n$ と呼ばれる数値が得られます。
$$ \Delta f_n = \lambda_n f_n $$
対象が小さい太鼓なのか、大きい太鼓なのか、ガラスの太鼓なのか、音を聞けばだいたいわかりますよね?同様に、固有値を見ればリーマン面の性質がわかるというわけです。このラプラス・ベルトラミ作用素 $\Delta$ は自己共役(self-adjoint; エルミートとも)と呼ばれる重要な性質を持ちます。この性質をもつ作用素の固有値 $\lambda_n$ は必ず実数となります。
一見すると、これら二つの世界(測地線の長さと、リーマン面の響き)は全く無関係に見えます。
セルバーグの天才性は、この二つの関係を発見した点にあります。私からするとバケモンです。
4.2. セルバーグ跡公式
証明の核心は セルバーグ跡公式 (Selberg Trace Formula) です。これは、数学史上でも極めて重要な公式の一つであり、幾何学と解析学の世界を結びつけます。これは、Atle Selbergが1956年に発表した画期的な論文で導入され、現代数学に絶大な影響を与えました1。
ざっくりいうと以下のような主張です。
「ある量を二通りの方法で計算したら、当然ながら結果は等しくなる」
しかし、その「二通りの方法」が全く異なる世界の方法です。
$$ \sum_{\text{固有値 } \lambda_n} h(\lambda_n) \quad = \quad \text{恒等元項} + \sum_{\text{閉測地線 } p} g(l(p)) $$
- 左辺(スペクトル側): 空間の「響き」であるラプラス作用素の固有値 $\lambda_n$ に関する和で表されます。これは解析学の世界です。
- 右辺(幾何学側): 空間の「形」である閉測地線の長さ $l(p)$ に関する和で表されます。これは幾何学の世界です。
セルバーグ跡公式を詳細に分析すると、この等式から、セルバーグゼータ関数 $Z(s)$ の零点の情報が、ラプラス作用素の固有値の情報と直接結びついていることがわかります。
4.3. 零点は一直線に並ぶのか?
跡公式がもたらす帰結は、ゼータ関数の非自明な零点 $s_n$ と、ラプラス作用素の固有値 $\lambda_n$ の間に、次のような関係式が成り立つことです。
$$ \lambda_n = s_n (1 - s_n) $$
この式は「ゼータ関数の零点の位置は、その背後にある空間の"響き"(固有値)によって完全に決定される」ということを主張しています。
ゴールは目前です。証明の最終ステップを追いましょう。
-
零点 $s_n$ を $s_n = \sigma_n + i t_n$ とおいて、関係式に代入します。
$$ \lambda_n = (\sigma_n + i t_n)(1 - (\sigma_n + i t_n)) = \sigma_n(1-\sigma_n) + t_n^2 + i t_n(1 - 2\sigma_n) $$ -
ここで、ラプラス・ベルトラミ作用素 $\Delta$ は自己共役なので、その固有値 $\lambda_n$ は実数です。
-
したがって、上式の虚数部分はゼロです:
$$ \text{Im}(\lambda_n) = t_n(1 - 2\sigma_n) = 0 $$ -
この方程式が成り立つためには、$t_n=0$(零点が実軸上にある)か、あるいは $1 - 2\sigma_n = 0$ のどちらかです。
非自明な零点とは、通常 $t_n \neq 0$ の場合を指しますので、以下が結論されます。
$$ 1 - 2\sigma_n = 0 \quad \implies \quad \sigma_n = \frac{1}{2} $$
したがって、セルバーグゼータ関数の非自明な零点は、すべて実部が $1/2$ の直線上に存在することになります。
要するに、零点がクリティカルライン上に拘束されるのは、その背後に自己共役作用素が存在し、その作用素が定義できる幾何学的空間が存在したからです。この「空間・作用素・跡公式」の構造こそが、証明の鍵でした。
より厳密な議論を知りたい方へ
厳密な証明は超絶に長いので、先ほどの議論では証明のストーリーを優先して詳細を省略しました。より厳密な議論に興味がある方は、以下をご覧ください。
4.4. 前提と定義
- 空間: $X = \Gamma \backslash \mathbb{H}$ を、種数 $g \ge 2$ のコンパクトなリーマン面とします。ここで $\mathbb{H}$ はポアンカレ上半平面、$\Gamma \subset \text{PSL}(2, \mathbb{R})$ は上半平面に自由に作用するフックス群です。$X$ は定数曲率 $-1$ を持ちます。
- ラプラス・ベルトラミ作用素: $X$ 上のラプラス・ベルトラミ作用素を $\Delta = -y^2(\partial_x^2 + \partial_y^2)$ と定義します。これは $L^2(X)$ 上の正定値な自己共役作用素であり、そのスペクトルは離散的な固有値 $0 = \lambda_0 < \lambda_1 \le \lambda_2 \le \dots \to \infty$ からなります。自己共役性から、全ての固有値 $\lambda_n$ は実数です。
-
セルバーグゼータ関数: $\Gamma$ の原生的な双曲型共役類を ${\gamma_0}{\text{prim}}$ とし、そのノルムを $N(\gamma_0) = e^{l(\gamma_0)}$ と定義します。セルバーグゼータ関数 $Z(s)$ は、$\text{Re}(s) > 1$ に対し、以下のオイラー積で定義されます。
$$Z(s) := \prod{{\gamma_0}{\text{prim}}} \prod{k=0}^{\infty} \left(1 - N(\gamma_0)^{-(s+k)}\right)$$
4.5. 跡公式からの帰結
セルバーグ跡公式を適用することで、$Z(s)$ の対数微分は、ラプラス作用素のスペクトルを用いて表現できます。$s_n(1-s_n) = \lambda_n$ を満たすように $s_n$ を定めると($s_n=1/2+ir_n$ とおくと $r_n = \sqrt{\lambda_n-1/4}$)、以下の関係式が導かれます。
$$ \frac{Z'(s)}{Z(s)} = \sum_{n=0}^{\infty} \left( \frac{1}{s-s_n} + \frac{1}{s-(1-s_n)} \right) + (\text{正則な項}) $$
この式は、$Z(s)$ の零点と極が、ラプラス作用素の固有値 $\lambda_n$ から定まる点 $s_n$ と $1-s_n$ に対応することを示唆しています。より詳細な解析により、$Z(s)$ の非自明な零点は、$\Delta$ の正の固有値 $\lambda_n > 0$ に対応する $s_n$ と $1-s_n$ であることが厳密に示されます。
4.6. 零点の位置の決定
我々が関心を持つのは、非自明な零点 $s = \sigma + it$ の実部 $\sigma$ です。
上記の定理により、非自明な零点 $s$ は、ある固有値 $\lambda > 0$ に対して、関係式 $\lambda = s(1-s)$ を満たします。
$s = \sigma + it$ を代入すると、
$$ \lambda = (\sigma + it)(1 - (\sigma + it)) = \sigma(1-\sigma) + t^2 + i(t - 2\sigma t) $$
ラプラス作用素 $\Delta$ が自己共役であることから、その固有値 $\lambda$ は実数でなければなりません。したがって、上式の虚数部は $0$ となる必要があります。
$$ \text{Im}(\lambda) = t(1-2\sigma) = 0 $$
この等式が成り立つのは、以下のいずれかの場合です。
- $t=0$: この場合、零点 $s = \sigma$ は実軸上にあります。$\lambda = \sigma(1-\sigma) > 0$ という条件から、$0 < \sigma < 1$ となります。これらは、$\Delta$ の「小さな固有値」$0 < \lambda_n < 1/4$ に対応する実数の零点であり、存在する場合もあります。
- $1-2\sigma = 0$: この場合、$\sigma = 1/2$ となります。これは、$t \neq 0$ の全ての非自明な零点が、直線 $\text{Re}(s) = 1/2$ 上に存在することを意味します。
4.7. 結論
ラプラス・ベルトラミ作用素 $\Delta$ の自己共役性が、セルバーグ跡公式を通じて$Z(s)$ の非自明な零点の位置に制約を課します。その結果、セルバーグゼータ関数の非実数である非自明な零点は、すべてクリティカルライン $\text{Re}(s)=1/2$ 上に存在するという結論が得られます。
5. リーマン予想への応用
4章で見てきたように、セルバーグゼータ関数のリーマン予想は証明されています。
なぜそれは可能だったのでしょうか?
この章では、セルバーグの理論が、リーマン予想攻略にどのように応用できるかを解説します。
5.1. なぜセルバーグの理論は成功したのか?
セルバーグの証明の根幹をなすのは「空間」と「作用素」です。
-
セルバーグゼータ関数は、「双曲的リーマン面」という幾何学的舞台を持っていました。測地線も、その空間の上で定義されます。
-
その空間には、ラプラス・ベルトラミ作用素 $\Delta$ という、物理学のハミルトニアンに似た自己共役作用素が自然に存在しました。この「自己共役性」が、その固有値 $\lambda_n$ が必ず実数になることを保証しました。
セルバーグ跡公式は、この二つを結びつける素晴らしい道具でした。ゼータ関数の零点 $s$ と作用素の固有値 $\lambda$ が $\lambda = s(1-s)$ という関係で結ばれることにより、非自明な零点の実部が $1/2$ であることが帰結されました。
繰り返しになりますが、背後の幾何学空間と、その上の自己共役作用素があったからこそ、証明が可能でした。
5.2. ヒルベルト・ポリア予想
この証明の筋書きは、リーマン予想に対する長年の夢 ヒルベルト・ポリヤ予想 そのものです。
予想(ヒルベルト・ポリア)
リーマンゼータ関数 $\zeta(s)$ の非自明な零点の実数部(の虚数部分)は、ある自己共役作用素の固有値に対応しているのではないか。
もしこれが正しければ、その作用素の固有値は実数でなければならないため、リーマン予想は自動的に証明されます。
セルバーグの理論は、この予想が単なるファンタジーではないことを証明しました。
双曲空間という舞台の上で、ヒルベルト・ポリアのシナリオが完璧に機能することを示したのです。
5.3 リーマン予想攻略の設計図
この成功は、私たちにリーマン予想攻略のための明確なロードマップを与えてくれます。以下の対比表は、もはや単なるアナロジーではありません。私たちが「発見すべきもの」のリストそのものです。
セルバーグの世界(既知) | リーマンの世界(未知の探索対象) |
---|---|
素元: 閉測地線 | 素元: 素数 |
空間: 双曲リーマン面 | 空間: 未知の「数論的」空間 |
作用素: ラプラス・ベルトラミ作用素 | 作用素: 未知の「リーマン・ハミルトニアン」 |
架け橋: セルバーグ跡公式 | 架け橋: 未知の「算術的」跡公式 |
リーマン予想を証明する道筋は、この表の右側の「未知」をすべて特定し、セルバーグが幾何学の世界で展開したのと同じ論理を、数論の世界で再現することにある、と現在では固く信じられています。
5.4 究極の挑戦:空間の不在
設計図があるのに、なぜリーマン予想は160年以上も未解決のままなのでしょうか?
それは、リーマンゼータ関数の背後にあるであろう「空間」と「作用素」が全くの謎だからです。セルバーグの理論には具体的な幾何学的土台がありましたが、素数の世界には、それに対応するような目に見える舞台があるのかよくわかりません。
素数という、一見すると不規則で離散的に散らばる点から、どうすればラプラス作用素のような連続的なスペクトルを持つ作用素が潜む「空間」を構築できるのか?
これを発見するために何が必要なのでしょうか?天才のひらめき?高度な道具の開発?AIなどによるしらみつぶしの調査?全く見当もつきません。
それは私たちが慣れ親しんだ幾何学ではなく、アラン・コンヌらが提唱する非可換幾何学のような、より抽象的で高度な数学の世界に隠されているのかもしれませんし、意外とシンプルな幾何学で済むのかもしれません。
コンヌの理論は、私たちが慣れ親しんだ幾何学の概念を拡張し、リーマンゼータ関数の零点が、ある「非可換空間」上の作用素のスペクトルとして解釈できる可能性を示唆しています2。
セルバーグゼータ関数は、私たちにリーマン予想の「答え」そのものを与えたわけではありません。
しかし、それ以上に価値のある、答えの見つけ方と進むべき道を示してくれました。
いつか、素数の世界の奥深くに眠る「響き」を聴き、数学における最大の難問が解ける日が来るのかもしれません。
参考文献
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Atle Selberg, "Harmonic analysis and discontinuous groups in weakly symmetric Riemannian spaces with applications to Dirichlet series", J. Indian Math. Soc. (N.S.) 20 (1956), 47–87. ↩
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Alain Connes, "Trace formula in noncommutative geometry and the zeros of the Riemann zeta function", Selecta Mathematica, New Series, 5 (1999), 29–106. ↩