最近、AIにコーディングを任せることが増えた。Claude Code、GitHub Copilotなど便利なツールが次々と登場して、気づけば自分でコードを書くことがほとんどなくなっていた。
そしてある日、ふと気づいたんですよね。
「あれ、コード書かなくても、全然楽しいな...」
ずっと「コーディングが好き」だと思ってた。でも実は違ったみたいだ。
競プロは好きじゃなかった
思い返せば、自分は競技プログラミングにあまりハマらなかった。
アルゴリズムを考えて、最適解を導いて、ACを取る。確かに達成感はある。でも、なんというか、、、心が躍らなかった。
当時は「自分には向いてないのかな」くらいに思ってたけど、今ならわかる気がする。
競プロは「問題を解く」行為だ。でも自分が本当にワクワクするのは「問題を解く」ことじゃなくて、「何かを作る」ことだったんだと思う。
結論:好きだったのは「コーディング」ではなく「ものづくり」だった
先に結論を言うと、自分が本当に好きだったのは 「コードを書く作業」そのものではなく、「何かを作り上げること」 だった。
コーディングは「作る」ための手段であって、目的じゃなかったんですよね。
だからAIがコードを書いてくれるようになっても、「作る」という本質的な楽しさは変わらない。むしろ、より多くのものを作れるようになって、もっと楽しくなってる。
「解く」と「作る」の違い
ここで「解く」と「作る」の違いを整理してみる。
「解く」
- 正解がある
- 既存の問題に対するアプローチ
- 効率や最適化が重視される
- 終わったら完結する
「作る」
- 正解がない(自分で決める)
- 新しい何かを生み出す
- 「こうしたい」という意志が起点
- 作ったものが残る、使われる
競プロが「解く」の代表だとしたら、個人開発は「作る」の代表。自分は圧倒的に後者のほうが性に合ってたということだな。
「漢字は読めるけど書けない」現象
ちなみに、AIに任せるようになってからコーディングスキル自体は確実に落ちてる。
先日Xでこんなポストを見かけた。
「コードは読めるけど書けないは、漢字は読めるけど書けない状態に似ている」
これ、まさに今の自分。AIが書いたコードを読んで理解はできる。レビューもできる。でも、いざ自分でゼロから書こうとすると、シンタックスを忘れてる。
半年前までスラスラ書けてたコードが、今では「読めるけど書けない」状態になってしまった。
でも、それでいいのかもしれない
最初は焦った。エンジニアとしてのアイデンティティが揺らぐ感覚があった。
でも、よく考えたらこれでいいのかもしれない。
自分が本当に好きなのは「作ること」であって、「コードを書くこと」じゃなかったんだから。コードを書くスキルが落ちても、作る能力が上がってるなら、それは進化なんじゃないかなと。
実際、AIを使うようになってから、作れるものの幅は圧倒的に広がった。以前なら「面倒だからやめとこう」と思ってたことも、サクッと形にできるようになった。
深夜2時まで止まらない個人開発
実は最近、個人開発を深夜2時まで続けてしまう生活が続いてる。
「完成させる」「リリースする」「形になる」っていう喜びがたまらなくて、気づいたら時間が溶けてる。完全にゾーンに入ってる感覚。
以前と違うのは:
- 以前:コードを書く作業そのもので集中モードに入ってた
- 今:AIに指示を出して、全体を組み上げて、次々と形にしていく動きで集中モードに入ってる
なんというか、「職人」から「プロデューサー」に変わった感じがする。どっちが上とかじゃなくて、自分にはこっちのほうが合ってたんだなと。
自分のタイプを知るということ
今回の気づきで思ったのは、「自分が何に喜びを感じるか」を正確に理解するのって大事だなってこと。
自分の場合は長年「コーディングが好き」と思い込んでたけど、実際は「ものづくりが好き」だった。この認識のズレがあると、例えば:
- 競プロを頑張ろうとして挫折する
- コードを書かない仕事に物足りなさを感じる
- 「本当にエンジニアに向いてるのか?」と悩む
みたいなことが起きかねない。
本質を理解してれば、「ああ、自分は解くより作るほうが好きなんだな」とシンプルに受け止められる。
まとめ
AIにコーディングを任せるようになって、自分が本当に好きだったものが何かを知ることができた。
- ✗ コードを書くこと
- ○ 何かを作ること
競プロが好きじゃなかったのも、これで説明がつく。「解く」より「作る」のほうが好きだったんだ。
コードを書くスキルは落ちていくかもしれない。でも、「作る」能力が上がってるなら、それは退化じゃなくて進化なんじゃないかなと思ってる。
あなたは「解く」派?それとも「作る」派?
この記事が、同じようにAI時代のエンジニアリングについて考えている方の参考になれば嬉しいです。
