心理的安全性
「心理的安全性」とは、他者からの反応に怯えたり、羞恥心を感じたりすることなく、自然体の自分をさらけ出すことができる状態 を意味する。2015年に米グーグル社が、「心理的安全性は成功するチームの構築に最も重要なものである」と発表した
とあります。グーグル社の色々は以下から読めます。
以来、心理的安全性のつくりかた | 石井 遼介 |本 | 通販 | Amazon
読みやすい解説本等が手に入るようになりすっかり我々の業界で浸透したワードに思えます。
「心理的安全性は達成し得るのか?」
以上を前置きとして、自分の周りの社内Slackチャンネルで非常に面白い話題があったので考えてみた、という内容です。
1. 人としてマイナスに捉えられないという安心感
2. 人事考課において一切のダメージを受けないという安心感
1.は先に定義されているいわゆる「心理的安全性」であるとして、2 は果たして達成し得るのか。達成を目指すべきなのか?
会社はあくまで相対評価?
会社は相対評価の世界。会社において 1 がいくら達成されようともそれだけでは「リスクを取ったチャレンジをして失敗しよう」とまでは、人間は思えないのでは、2 までの保証、安心を結局求めるのでは、という疑問。
会社は 2 のように「チャレンジしろ!失敗も許す!」と都合よく言っているように見えることがある。しかしその結果、「カモ」が生まれる現象がある。「カモ」とは粛々とやろうとしてしまうタイプ、社内にアピールしないタイプと定義する。いわゆる「47歳さん」は「カモ」だったとしてみると伝わりやすいだろうか。
現実は、47歳さんの結末のように 2 が会社において達成できることなどありえないのでは。しかし、それは「心理的安全性」が達成されたと言えるのだろうか?
以上、問い
以上、ここまでの内容を「問い」だと考えて、2 の「安全性」は果たして達成可能なのかどうか考えてみてほしい、というのがこの記事のテーマです。チームで話してみても面白そう。この記事にも「結論は、ありません」。が、このテーマを話すこと自体が、チームなどに有意義なのでは?とおもい書きました。
以下、仮説
ここからは筆者のただの意見、仮説です。こういうことを言うチームメンバーが居たら面倒くさいな、などと思いながら読んでください。笑。
さて47歳さんはいわば果敢なチャレンジャーだったのかというと結局は所詮「カモ」だったと筆者は考えます。2 の達成も「できない」が正解。
- チャレンジャブルにやって成果が出たら最高評価。 <-- これは疑いないとして
- 要領よくギリギリ問題を回避したら及第点。 <-- 現実のベストはここ
- 愚直にギリギリアウト気味に問題を回避して、ボーナスカット <-- これが47歳さんであり「カモ」
47歳さんを救う事はできるのでしょうか?
筆者は究極、この世の中でガチャが無いことなどないので無理だと思いました。
「アピール下手」は残念ながら、その人が結局力量不足だと思います。言っても伝わらないものが言わないで伝わるわけがないのです。嫌なら食われないように頭を使うしかありません。
参考: エンジニアはどこまで好かれればよいのか - 嫌われる勇気と円満退職の極意 - Qiita
とはいえ筆者も堂々宣言するなら、カモタイプです。もちろんおそらく47歳さんはそこそこ貢献した人であるのですから、47歳さんのような人を救済できる策を会社は頑張って考えていただきたいものだとは思います。会社に対して上から目線ですね。笑。でも我々開発者側も、そのくらいの気持ちで所詮理不尽な会社に対峙するのが、自分の心に対して健全だと考えています。もちろん嫌なら辞めて正解。
「物理的安全性」の達成は不可能
物理的安全性という言葉をここまで来て思いついたのですが、その達成は人類の夢かもしれないが不可能、と考えました。
2 は心理的安全性とは別、2 は心理ではなく「物理的安全性」で、物とは本来取り合うもの。分け合う以上、安全など元からないのです。人事考課はカネ = 物の分配を決めるために必要です。「評価もカネも下がるけど、お前のせいじゃないよ、次頑張ろうぜ」って心の底の本音から慰めてくれる仲間(実際はもう少し優しい言葉で、かつその上司も評価もカネも下がってるとかね)がいれば、それでまあギリ諦めが付けば良いじゃないでしょうか、そしてそれが心理的安全性の達成なのかななどと考えました。
おカネはほしいけど。以上、「問い」を楽しんでいただけたらさいわいです。