LoginSignup
3
0

More than 1 year has passed since last update.

デフエンジニアの会の成り立ちー前編ー

Last updated at Posted at 2022-12-27

※この記事はデフエンジニアの会代表のブログから転用しています※

私とプログラミング、そしてデフエンジニアの会。
これを語るためにはまず、私の生い立ちから簡単に説明していく必要がある。
言い換えれば、私の生い立ちなくしてこれを語ることはできない。

私の生い立ち

まず、私は生まれた時から耳が聞こえない。
家族は全員聴者(※耳が聞こえる人)である。

そして家族は皆手話ができず、私も手話を知らない環境で育った。
(当時は手話を覚えるとバカになると言われ、禁止されていた時代だった)

よって、家族とのコミュニケーションは、口の形だけで私に話しかけ
(補助としてのキュードスピーチというものはあった)
私は家族みんなの口を読み取って会話するという感じでやっていた。

そして小・中・高・大と進んだが、ろう学校には行っていない。
ただし小・中までは難聴学級(聞こえない子供だけのクラス)のある学校に通っていた。
そして5科目は難聴学級で学び、それ以外は聴者のクラスに入り学ぶという感じでやっていた。
(当時の難聴学級は手話がなかった。そのため、先生の話は全て口を見て読み取りながら授業を受けていた)
高校からは完全に聴者のクラスで学生生活を過ごした。

聴者の中でずっと味わっていた孤独感

学校でも家庭でも周りには手話がなく、私も手話ができない。
口の読み取りにも限界がある。
何より口の動きを見れば絶対に分かるわけではない。
それにずっと口を見続けるのも疲れる。

友達グループの中にいても話が分からず、更に私は発音ができないので、ただ愛想笑いしているだけ。
先生の話が分からないので授業も分からない・・
家庭の中でもみんなの話が分からない・・
なので周りからは遮断された感じを持ちながらずっと生きてきた。

訪れた転機

ある日、何かのきっかけで初めてPCを手に入れ、真っ先にネットにつなげパソコン通信をやってみた。

初めて周りの会話が分かる感動

パソコン通信、その当時は「どうやらネットで画面の向こうの人と会話ができるらしい?」という程度の知識しかなかったと思うが、とりあえずパソコン通信に登録し、軽い気持ちで会話に入った。

「はじめまして」

すると、誰か知らない人が声をかけてきてくれた。

「はじめまして!」

文字で返事が返ってきた。
すると他の人たちも一斉に

「はじめまして!」
「どこに住んでいるの?」
「お名前は?何している人?」

・・などなど。

率直に言ってびっくりした。
そして、その時に私は初めて知った。

周りの人の会話が分かる!
文字だと、周りの人たちとこんなに会話することができるんだ・・!

それだけではない。
グループでみんながワイワイ話している内容も分かるのだ。

そして、誰がどんな冗談を言って、それに対してどんなツッコミをして・・・
という会話のやり取りも目で見て分かるのだ。

当時の私はこれがすごく衝撃的だった。

それまでは、グループにいても周りの会話が分からず、
また周りの人がどんなことを言ってどんなふうに突っ込んでどんなふうにボケて・・
といったことも分からないので、「会話の仕方」すらも知らないままだったのだ。

なので、「こういうボケをしたらこういうふうに突っ込めば笑いが取れるんだ!」といったことも文字を通して知ることができた。

ほんとうに、聞こえる人と平等に、何のストレスもなく会話できる。これは大きな衝撃だったのだ。

その日は結局朝まで徹夜してチャットしていたのを覚えている。
もちろん大変疲れたが、それよりも充実感でいっぱいだった。

そしてその日からほぼ毎晩パソコン通信にのめりこんでいった。

パソコンは聞こえる人と聞こえない人をつなぐことができる

そして、私は思った。

パソコンは、聞こえる人と聞こえない人をつなぐことができるんだ。と。
(その頃はあまり知識がなかったので、単純にそう思っていた)

学生時代、それも小・中・高・大と実に16年もの長い間孤独感を味わって生きてきたのが、パソコン(正確にはパソコン通信)1つであっさり解消したのだから!

就活時代

それから数年して、私もいよいよ就活に取り組むことになった。
その時に私は思った。

パソコン関係の仕事がしたい・・・!!
(すみません、その頃はあまり知識がなかったので単純に(略))

そして私はパソコン関係の求人を探した。
しかし、就職活動は大変厳しいものだった。

厳しい就活

障害者の就活については「障害者雇用枠」の考え方があり、
「企業で障害者を1-2人以上雇う必要がある」
「ただし、障害者に与える仕事は限られる」といったものがあった。
(ただし全ての企業に対してではなく、かつ、絶対的な命令ではない)

つまり、障害者はどんなに能力があっても、障害がある、それだけで限られた仕事しかできないのだ。
そしてその頃はほぼ「事務」しかなかった。
事務を軽んじているわけではないが、仕事の幅がかなり制限されていたという意味で。
(※なお、現在は職業選択の自由も前よりは広がっている)

その現状を知り、私はおかしいと思った。
どうして、障害がある、それだけで判断されるのだろう?
自分がやりたい仕事があっても障害者だからこの仕事はダメ、と言われるのはおかしい。
そう思った。

それで私は、障害者雇用枠で就活をすることを断り、一般枠で就活することにした。
(一般枠=一般的な就活)
一般枠だと、自分のやりたい仕事に応募できる。その時はそう思っていた。
(※障害者雇用枠が悪い、ということではなく、当時の私の考え方と合わなかったということです)

そして、一般枠に応募する時に、私はどんな仕事がしたいのか?を考えた。

私は未来を創りたい

そして、思った。
私は未来を創りたいのだと。

私は耳が聞こえない人として生まれた。
きっとそこに何かの意味がある。

それならば、耳が聞こえない立場を生かして、耳が聞こえない人の未来を拓くものを作る仕事がしたい。そう思った。

そして、まず携帯電話の会社に目をつけた。
そして志望動機に「耳が聞こえない人でも楽しめる電話を作れるよう、案を色々と出していきたい」などと書いて何社にも応募した。

しかし、結果は厳しいものだった。
書類選考で落ちた会社は多く、やっと面接までたどり着けても、

「障害者は受け入れることができません」
「電話ができない人は採用しません」

これを何度も言われた。

ある会社との出会い

一般枠で数えきれないほど落ちて、面接までたどり着けても「障害者は採用できない」と言われる。
もう駄目かな、とへこたれそうになった。

でも、最後にダメ元で受けた会社があった。
地元の会社で、募集内容はプログラマーだった。

プログラマーって何だろう?と思ったが、しかし、パソコンの仕事ができるというだけで単純に「やってみよう!」と思い、応募した。

そしていくつかの面接を経て無事プログラマーとして採用され、長く続いた就活は終了した。
(何が良かったのかは分からないけどありがたいことでした)

楽しかったけど大変でもあったプログラマー時代

そして私はその会社にプログラマーとして入社し、情報システム部に入った。
そこでは聞こえない人を採用するのが初めて、ということで、私以外の方々も皆さん大変戸惑ってらっしゃったのを覚えている。

聞こえない人に役立つものを作りたい

そして私は、自己紹介の時にこう言った。
聞こえない人のためになるものを作れる人になりたい。と。

その頃はプログラミングで何が作れるのかなど全く知識がなく、
「どうやらパソコンで何か作れるらしい」程度の知識しかなかったのだが、とにかく、パソコンで何かができる、というだけで嬉しかった。

楽しかった開発

そして入社後最初の研修でプログラミングの勉強をしたが、私は研修で先生が言っていることが分からないのでとにかくテキストをずっと読みながら実際にプログラムを打つということを続けていた。

そして実務に入って最初の1年は上司に教えてもらったり周りに聞いたりしてなんとかやってきた。
最初はテストから始まり、設計の書き方、フローの考え方などとにかく一から十まであらゆることを教えてもらいながらこなしていった。

そして2年目に入って初めて上流過程から下流過程まで一通り開発を任せてもらえるようになった。
もちろんお客様(社内プログラマだったので、この場合お客様は同じ社内の他部署の方々)とも筆談やメールでやり取りしながら打ち合わせさせてもらえた。

この頃は本当に楽しかった。
何よりも上司に信頼していただき、お客様とのやり取りも全て任せてもらえたし、
また私自身も上司に相談しつつお客様と対話しながら一人で開発を進めていくことができた。

お客様からも色々と質問していただいたり、あれこれ提案していただけたり、また、別のお客様からも依頼があったりなど色々と楽しかった。
今思えばこの1年が一番充実していたように思う。

徐々にやってきた現実

しかし、3年目4年目に差し掛かってくると、仕事内容も増え専門的になってくる。
それで私の同期はスクールに通い始めた。

それで私もスクールに行って勉強しよう、と思い、様々なスクールを調べ門を叩いた。

しかし、どのスクールも反応は厳しかった。

「聞こえない人は受け入れられません」
「通訳を連れてくるのもダメです」

中には、「聞こえない人がプログラミングの勉強をする意味あるの?」 とまで言われた。

その当時存在していたスクール全てにとにかく足を運んで話をしたが、どこも門前払いだった。

しかし、並行して同期はスクールに通い、どんどんスキルを上げていく。
どうしたらいいのか・・・私は焦りを感じていた。

そして、とにかく本を読んで勉強しよう、と思った。
しかし、独学では限界を感じた。

そんなときに、同じチームの先輩から言われた。

「ねえ、あなたのプログラム見たけど、もっと勉強しないとだめだよ。
どっかスクール行って勉強したら?」

私は絶望した。

私はずっと頑張ってきた。
周りの人たちがスクールに行ったりしている中一人で独学で頑張ってきた。
思えば、学生時代からずっと独学でやってきた。
それなのに、これ以上何を頑張ればいいのか、と思った。

ついに退職

そして、心が折れ、もう限界だと思った。
体にも変調をきたし、会社にいても仕事中トイレで吐くようになった。

そしてそれからしばらくして、私は会社に退職届を出した。
上司たちからは何度も引き留められ何度も話し合ったたけど、このまま今の仕事を続けても周りに迷惑をかけるだけ、そう思いこんでいた。
技術的に周りに追い付く時間も力も機会も取れない、同期とも差がついていく、でも独学だけでは限界があって、もうここまでだと思っていた。

そして、退職後しばらくしてから家にあった技術書は全て処分した。
その時に、

「もう二度とプログラミングの世界に戻ることはない。」

そう思った。

しかし、また第二の転機が訪れることになる。

つづく→中編へ

3
0
0

Register as a new user and use Qiita more conveniently

  1. You get articles that match your needs
  2. You can efficiently read back useful information
  3. You can use dark theme
What you can do with signing up
3
0