いまのAIは、言葉の天才だ。
論文を要約する。コードを書く。詩を作る。難しい試験に受かる。
でも、机の上のコップを手が引っかけたら、水がどっちに流れるか。それを「知っている」AIは、その光景を頭の中で「見て」はいない。言葉として知っているだけだ。
この差を埋めにいくのが、いま「LLMの次」と呼ばれているワールドモデルだ。
まず、それが何なのかを先に片づける。話はそれからにする。
まず、ワールドモデルとは何か
ひとことで言う。
ワールドモデルは、頭の中に世界のシミュレータを持つAIだ。
LLMが次に来る「単語」を予測するのに対して、ワールドモデルは次に起きる「世界の状態」を予測する。いま目の前がこうなっていて、自分がこう動いたら、次に世界はどう変わるか。それを内部で回して、先を読む。
人間は、当たり前にこれをやっている。
コップに手が触れる。倒れて水がこぼれる映像が、一瞬だけ頭をよぎる。だから、こぼれる前に手を止められる。この「先を予見する内なる映像」を、AIに持たせようとしている。それがワールドモデルだ。
LLMとの違いを、一枚の表にするとこうなる。
| LLM | ワールドモデル | |
|---|---|---|
| 予測するもの | 次の単語 | 次の世界の状態 |
| 学ぶ対象 | 世界の描写(人間が書いた文章) | 世界の振る舞い(映像・空間・物理) |
| 返すもの | 文章 | 「こう動いたらこうなる」という結果 |
| 得意 | 要約・翻訳・会話・コード | 空間把握・物理予測・行動計画 |
もう一つ、混同しやすいものと分けておく。画像生成AIは「絵」を返す。ワールドモデルは「絵」ではなく「結果」を返す。そこに自分が入って動くと、動いた分だけ世界が応答する。静止画とは、そこが決定的に違う。
これがワールドモデルだ。ここから先は、なぜこれが「LLMの次」と大騒ぎになっているのか、という話になる。
なぜ今、大物が一斉に賭け始めたのか
面白いのは、ここ1年の動きがただごとではないことだ。AI界の大物が3人、示し合わせたように同じ方を向いた。
ヤン・ルカン。Metaのチーフサイエンティストで、ディープラーニングでチューリング賞を取った人だ。彼は2025年11月にMetaを去ると発表し、2026年3月にAMI Labsという新会社を立ち上げた。シードで調達した額は、約10.3億ドル。ヨーロッパ史上最大のシードラウンドだ。出資者には、エヌビディア、サムスン、ジェフ・ベゾス、エリック・シュミット、ティム・バーナーズ=リーが並ぶ。(Optima VC)
彼が賭けているのは、LLMではない。ワールドモデルだ。
フェイフェイ・リー。ImageNetを作り、スタンフォードでAIを教えてきた人だ。彼女のWorld Labsは、2026年2月に10億ドルを調達し、Marbleという製品を一般公開した。テキストや画像から、歩き回れる3Dの世界を生成する。(Fast Company)
彼女の言葉が刺さる。いまのLLMは「雄弁だが未経験、博識だが地に足がついていない(eloquent but inexperienced, knowledgeable but ungrounded)」。(drfeifei.substack)
Google DeepMind。2025年8月に、Genie 3というモデルを見せた。テキストで指示すると、その場で操作できる3Dの世界を生成する。(DeepMind)
チューリング賞受賞者と、ImageNetの生みの親と、世界最強の研究所。この3者が、言葉の次にあるものへ一斉に動いた。では、いまのLLMの何が足りなくて、ここまでの騒ぎになっているのか。
1. LLMは、何を「知らない」のか
LLMがやっていることを、一言で言うと、次の単語の予測だ。
膨大なテキストを読み、「この文脈の次に来る単語」を確率で当てる。これを極限まで鍛えると、翻訳も要約も推論も、驚くほどうまくできるようになった。
ただ、ここに構造的な穴がある。
LLMが学んでいるのは、世界そのものではない。世界について人間が書いた文章だ。つまり、現実の一次情報ではなく、現実の描写を学んでいる。
だから、言葉になっていない知識に弱い。
コップを倒したら水がこぼれる。ボールを投げたら放物線を描いて落ちる。部屋の奥から手前へ歩くと物は大きく見える。こういう、人間が2歳までに体で覚える常識を、LLMは言葉の外から取り込めない。
実際、いまのAIは、距離や方向やサイズの推定、物体を回転させたらどう見えるか、迷路をどう抜けるか、といった空間タスクで、ほぼ当てずっぽうに近い成績しか出せないという指摘がある。(drfeifei.substack)
言葉は、世界の影だ。影をどれだけ精密に測っても、影を落としている物体そのものにはならない。ワールドモデルは、この物体の側を直接つかみにいく。
2. ワールドモデルに必要な、3つの力
では、世界の側を直接つかむには、AIに何が要るのか。フェイフェイ・リーは、それを3つに整理している。(drfeifei.substack)
ひとつ、生成的であること。幾何的にも、物理的にも、動きとしても、つじつまの合う世界を作れる。歩いても景色が破綻しない。物を落とせば落ちる。
ふたつ、マルチモーダルであること。画像、動画、テキスト、身振りといった、いろいろな入力を受け取れる。言葉だけが入口ではない。
みっつ、インタラクティブであること。行動を入力すると、その結果としての「次の世界の状態」を返す。
3つ目がいちばん本質だ。冒頭で書いた「絵ではなく結果を返す」が、ここに当たる。ユーザーが動けば、その分だけ世界が応答する。この往復ができて初めて、頭の中のシミュレータとして使える。
言い方を変えると、ワールドモデルとは「入力された行動に対して、次の世界を返し続けられるモデル」のことだ。ここを軸に、3人の大物がそれぞれ別のルートで山を登っている。
3. ルカンの過激な賭け「LLMは行き止まりだ」
ルカンの言い方は、業界の中でもかなり過激だ。
彼はLLMを、人間並みの知能へ向かう道の「行き止まり(dead end)」だと言い切っている。「LLMをスケールさせるだけでは、人間レベルのAIには到達しない」と。(Optima VC)
有用ではある。でも、根本的に限界がある。幻覚を起こし、計画は当てにならず、2歳児が世界と触れ合って身につける常識がない。彼はそう見ている。
その代わりに彼が推すのが、JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)という設計だ。
普通の生成AIは、ピクセルや単語を、細部まで再現しようとする。JEPAはそこを捨てる。ピクセルではなく、抽象的な表現を予測する。テクスチャや照明みたいな、どうでもいい細部は無視して、形、軌跡、空間の関係といった高レベルの構造だけを当てにいく。(Optima VC)
ルカンの比喩がいい。「JEPAは、赤ん坊が重力を学ぶように、観察から世界の隠れたルールを学ぶ」。(Optima VC)
赤ん坊は、物理の教科書を読まない。物を落として、落ちるのを見て、世界のルールを体に入れる。その学び方を、AIの設計として実装しようとしている。
10億ドルは、この方向への賭け金だ。
4. フェイフェイ・リーの「空間知能」
同じ山を、フェイフェイ・リーは別のルートから登っている。
彼女のキーワードは、空間知能(spatial intelligence)だ。これを「言語を越えたフロンティア(the frontier beyond language)」と呼ぶ。想像と、知覚と、行動をつなぐ能力のことだ。(drfeifei.substack)
言語は、人類が発明した強力な道具だ。でも、進化の時間軸で見れば、ずっと後から来たものでもある。生き物は、言葉を持つよりはるか前から、空間を把握し、獲物との距離を測り、地形を歩いていた。知能の土台は、言葉ではなく空間の側にある。彼女はそう見ている。
World LabsのMarbleは、その考えを製品にしたものだ。一枚の画像や短いテキストから、幾何的に一貫した3Dの世界を作る。そこに入って、歩いて、編集できる。(Fast Company)
チャットボックスの中で言葉を返すAIから、空間の中に世界を立ち上げるAIへ。方向が90度違う。
5. Genie 3が見せた「歩ける世界」
DeepMindのGenie 3は、この話を一番わかりやすく体感させてくれる。
テキストで世界を指示すると、それを24フレーム毎秒、720pの解像度で、リアルタイムに生成する。しかも、ただ眺める映像ではない。その中を、実際に操作して動き回れる。(DeepMind)
面白いのは記憶だ。Genie 3は、1分ほど前までの世界を覚えている。だから、振り返ったときに景色が破綻しない。さっき通った場所が、さっきのまま残っている。前のGenie 2が10〜20秒だったので、大きく伸びた。(DeepMind)
そして、水の流れや光の当たり方といった自然現象を、それらしくシミュレートする。物理を、教わるのではなく、生成する。(DeepMind)
DeepMindがこれをなぜ重視するかというと、エージェントの訓練場になるからだ。無限に多様なシミュレーション世界を作れれば、その中でAIエージェントを、際限のないカリキュラムで鍛えられる。(DeepMind)
現実で失敗すると高くつく。でも、頭の中の世界でなら、何度でも失敗できる。
6. では、LLMは終わるのか
ここまで読むと、LLMはもう古い、という話に聞こえるかもしれない。
でも、そう単純ではない。
有力な見方は、置き換えではなく統合だ。最強のAIは、たぶん両方を積む。言葉を、指示と説明のインターフェースとして使う。そして、計画したり、行動の結果を見越したりする部分は、ワールドモデルに任せる。(Fast Company)
考えてみれば、人間もそうだ。頭の中で映像を回してシミュレーションし、その結論を言葉にして人に伝える。映像と言葉は、敵ではなく、役割が違う。
学術的には、LLMをワールドモデルの特殊なケースとして捉え直す議論も出てきている。言葉というのは、世界の状態を極端に圧縮した一形態だ、という見方だ。だとすれば、両者は地続きということになる。
だから、この話の本当の争点は「LLMか、ワールドモデルか」ではない。
知能の土台を、言葉に置くのか、世界に置くのか。ルカンとフェイフェイ・リーは、そこを世界の側に置き直そうとしている。ただそれだけのことが、10億ドル級の賭けになっている。
7. これが通ると、何が変わるのか
ワールドモデルがものになると、AIの立ち位置が変わる。
いまのAIは、聞かれたことに、言葉で答える。これからのAIは、これから起きることを見越して、動く。
その差が効くのは、体を持つAIだ。
ロボットは、部屋の中で物を掴んで運ぶ前に、掴んだらどうなるかを予見しないといけない。自動運転は、前の車が急ブレーキを踏んだ先の展開を、一瞬で頭の中で回さないといけない。どちらも、言葉の予測ではなく、状態の予測が要る。
科学もそうだ。新しい材料や薬を、いちいち実験で試す前に、頭の中の世界で反実仮想を回せるなら、探索は桁で速くなる。
言葉が上手いAIは、人間の仕事を速くしてくれた。
世界を頭の中で回せるAIは、人間が体でしかできなかったことに、手を伸ばしてくる。
まとめ
一言でまとめると、こうなる。
LLMは世界の「描写」を学んだ。ワールドモデルは世界の「振る舞い」を学ぼうとしている。
頭の中に世界のシミュレータを持ち、行動に対して次の世界を返す。それがワールドモデルだ。ルカンはそれに10億ドルとキャリアを賭けてMetaを出た。フェイフェイ・リーは空間知能と呼んで製品にした。DeepMindは歩ける世界を作った。3人が同じ方向を向いた1年だった。
まだ、ワールドモデルがLLMを置き換えたわけではない。むしろ、当面は両輪で走る。でも、次の主役候補がどこにいるかは、はっきりした。
チャット欄の中ではない。世界の側だ。
参考文献
- Catching Up on Yann LeCun: JEPA, World Models, AMI Labs, and the War Against LLMs — Optima VC
- Inside Fei-Fei Li's $1 billion new AI company, World Labs — Fast Company
- From Words to Worlds: Spatial Intelligence is AI's Next Frontier — Fei-Fei Li
- Genie 3: A new frontier for world models — Google DeepMind
- AIに「1901年までの知識」だけを渡したら、相対性理論を発明できるのか(関連)