はじめに
ゼロトラストは「製品の足し算」ではなく「構造の設計」です。にもかかわらず、多くの現場では点の対策が積み重なり、弱点も優先順位も見えにくくなっています。
本稿では、構造で捉えるための枠組みとして「6ダイヤルセキュリティ」を提示し、なぜ「揃えること」が本質なのかをご理解いただくことを狙いとしています。
導入検討の序盤で「どこからやるか」「何を後回しにするか」を決めるためのヒントとしてお使いいただけると嬉しいです。
1. ゼロトラストが「分かったつもり」になる理由
定義は「何も信頼しない、常に検証する」と簡潔ですが、実装の抽象度が高く迷子になりがちです。何をどこでどこまで検証するかが曖昧なまま、MFAやZTNA、SIEMなど単発の導入が先行します。
MFA(Multi-Factor Authentication、多要素認証):ID/パスワード(知識情報)、携帯電話(所持情報)、指紋(生体情報)など、異なる2つ以上の要素を組み合わせるセキュリティ方法
ZTNA(Zero Trust Network Access):「何も信頼しない」という原則で、ネットワーク内外関係なく全アクセスを検証するセキュリティ手法
SIEM(Security Information and Event Management、シーム):ログを一元的に収集・分析し、セキュリティインシデントをリアルタイムで検知・通知するシステム
課題は次の通りです。
- 何を見ればいいのかバラバラ:「人」さえ確認すればいいのか、「パソコンの安全性」まで見るのか、「データの重要度」まで見るのか、担当者によって見ている場所が違う
- どこで止めればいいか分からない:社内ネットワークという「壁」の外で完結する通信の、どこに「関所(チェックポイント)」を置けばいいのか誰も決めていない
- どこまでやれば「合格」か不明:セキュリティ対策に終わりはないが、会社として「ここまでやればOK」というゴールラインがないため、投資のやめ時がわからない
このままでは弱点の説明や投資の優先順位を語れず、ベンダー比較も感覚論になります。回転式ダイヤルキーをメタファーとして「構造を分解し、どのダイヤルが緩いかを特定する」ことが、抽象論から抜け出す最短経路です。
2. 「一つの強力な製品」では足りない理由
ダイヤルキー(番号錠)を思い浮かべてください。どれかひとつでもダイヤルが合っていなければ鍵は開きません。
セキュリティも同様です。認証が強くても端末が野放しなら突破されます。ログがあっても権限が過剰なら被害が拡大します。重要なのは個々の強さではなく、要素が揃い噛み合っていることです。
典型的なアンバランスの例です。
- 認証強化だけ先行:MFAを入れたが、私物端末が未登録でマルウェアの踏み台となりシステムに侵入を許してしまった
- ログ整備だけ先行:SIEMで相関分析をしても、アクセス制御が粗いと、的確に被害を止めることができず、被害が次々と広がっていく状況を大量のログで眺めるだけになってしまった
- 権限棚卸し不足:過剰権限が放置され、担当者でもないユーザーが管理者権限の操作を誤って実行してしまい、意図せずシステムを破壊してしまった
これらからも、「強い一点」を作るのではなく、「弱い一点」をなくす発想に切り替える必要があります。
3. 6ダイヤルセキュリティの全体像
ゼロトラストを構造として扱うため、次の6要素で捉えます。これらは相互依存し、どれかが欠けるとそこが抜け穴となります。各ダイヤルは「誰を通すか」「どこまで通すか」「通した後をどう抑えるか」を立体的にカバーします。
| ダイヤル | 役割 |
|---|---|
| ① 本人認証 | 誰がアクセスしているか |
| ② 利用端末 | どの端末でつないでいるか |
| ③ 通信経路 | どこまで到達できるか |
| ④ 権限管理 | 何ができるか |
| ⑤ データ保護 | データを持ち出せるか |
| ⑥ 検知・対処 | 侵害に気づき、止められるか |
簡易チェックリストです。どれか一つでも「いいえ」があれば、そこが優先改善ポイントです。
- 本人認証:ID発行と失効が即日で運用でき、MFA例外は棚卸しされているか
- 利用端末:業務端末の登録・健全性計測があり、私物や不明端末をブロックするか制御下に置けるか
- 通信経路:ネットワーク経路とアプリ経路で最小到達を設計し、ZTNAやリバースプロキシで細分化できているか
- 権限管理:ロール設計とJIT/PIMがあり、定期棚卸しで過剰権限を除去できるか
- データ保護:ダウンロード/コピー/共有の制御がユースケース別に設計され、暗号化と持ち出し検知が効いているか
- 検知・対処:エンドポイント・ID・クラウド・ネットワークの相関検知があり、封じ込め手順(隔離・失効・ブロック)が即時に実行できるか
リバースプロキシ:Webサーバーの前面に配置され、クライアントからのリクエストを代理で受け取り、適切な内部サーバーへ転送する技術
ロール設計:「誰が(Who)、どの情報に(What)、どうアクセス(How)できるか」を定義・設計すること
JIT(Just-In-Time):必要な時にだけ使用させるという考え方
PIM(Privileged Identity Management、特権ID管理):必要な申請に応じて必要な分の権限を利用させる管理手法
4. 6つに分けるメリットと連載の進め方
6ダイヤルセキュリティのメリットは3つです:
- 弱点の特定:どのダイヤルが緩いかを明確にできる
- 優先順位の決定:全部を一気にではなく、段階的に揃える順序が決められる
- 対話の共通化:経営・情シス・ベンダーが同じ図で会話できる
運用の現実に合わせ、次のように進めると失敗しにくくなります。
- 現状把握:6つのダイヤルで現行施策を棚卸しし、弱点の可視化を先に行う
- 最小到達点の決定:短期で揃える「安全側の初期値」を決め、例外は期限付きにする
- 段階的強化:本人認証/利用端末を土台に、通信経路と認可を細分化し、データ保護と検知を後続で補強する
- フィードバックループ:検知・インシデント後の対応ログを設計見直しに戻し、ダイヤルの締め直しを定期運転する
本稿では全体像を起点に、各ダイヤルの設計思想、ギャップ可視化、段階的ロードマップまで順に解説します。次回は最初のダイヤルである本人認証を扱い、なぜID/PWだけでは足りないのか、MFAでも事故が起きる理由、認証運用が本体であることを掘り下げます。
参考
おわりに
ゼロトラストは流行語ではなく、構造を理解した組織だけが継続的に守れる設計思想です。6ダイヤルセキュリティが弱点の発見と優先順位付けの共通言語としてお役に立てば幸いです。
参考:書籍版(体系的にまとめています)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0GN372D1D
