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Web業界で働きはじめて10年経ったので振り返ってみる

Last updated at Posted at 2017-12-24

メリークリスマスイブ!!
LIG Advent Calendar 2017 24日目です。

どうせ暇だろうという理由だけでエンジニアでもないのにアサインされたLIGのディレクター、ちゃんれみです。

私ごとではありますが、今年でめでたくWeb業界に入って10年経ちました。
2017年も年の瀬、アドベントカレンダーも残りあと2日ということでWeb業界で働いた10年を振り返りたいと思います。

2007年:名古屋の制作会社へインターンに行く。そしてFirebugとの出会い

コンピューター関連の専門学校の2年生だった私は、名古屋の新栄にある5-6人ぐらいの規模のWeb制作会社に内定を前提としたインターンに行くことにしました。

CGイラスト化のDTP専攻で、週に2コマだけあるWebデザインの授業で学んだ当時の私の知識は、グラフィック出身だった講師の影響で、イラストレーターでデザインをし、Dreamweaverのレイアウト機能を使ってコーディングするぐらいでした。
DOCTYPE宣言は呪文だと思って書いとけ」と教えられたのを今でも覚えています。

しかしインターン先で出会った先輩が、デザインもコーディングもできるマルチプレイヤーな方で、CSSレイアウトちゅーもんを1から教えてくれました。
その人がFirefox信者で、Firebugをはじめ様々な往年の神ツールと出会ったのもこの頃です。
練習のため、既存のサイトを見ながら真似してコーディングする、というのをよくやっていました。

学生最後の夏休みをインターンに費やし、1ヶ月ほど経った頃、社内の敏腕ディレクターが突然の退職。
そしてその翌週には社長に呼び出され、「解散します!」という告知のあと、インターン先の会社は倒産。
就活生だったわたしは路頭に迷い、このまま就職するかどうか悩んでいたこともあり、一切の就職活動をしなくなるのでした。

2007年:名古屋のWeb制作会社でアルバイトとして働く。そして過去の遺産「テーブルレイアウト」

インターンが打ち切りになり、学校へ戻ったものの、最後の学期だったこともあり、午前しか授業がない曜日も増えてきた頃、インターン先の倒産のきっかけになったであろう退職した敏腕ディレクターから、現職の会社でデザイナーを探している、と連絡がありました。

面接をし無事アルバイト採用され、名古屋に本社を構える某PC周辺機器メーカーのプレスリリースや新製品ページの更新を担当していました。
当時まだCMSが導入されておらず、HTMLのテンプレートを複製して、原稿の流し込みや画像のリサイズなどがメインでした。
言語はXHTML1.1、ブラウザはIE7が主流でしたが、IE6のシェア率も高く、IE6対応に泣かされた時代で、「アンダースコアハック」やら「スターハック」と呼ばれる記述でCSSを汚していました。

運用案件ではHTML4やテーブルレイアウトで制作された時代のサイトもあり、「spacer.gif」なんてものもまだ現役の時代でした。

当時、社長とディレクターと私の3人だけの会社だったので、学生アルバイトなどおかまいなしにクライアントと直接やりとりをしながら制作を進めていました。
ここである程度のディレクションやコミュニケーションスキルが身についたんだな、と今になっては感じています(当時は大人と話すだけで緊張していましたが)。

2008年:バイト先の制作会社に就職。そして「Web2.0」

バイト先の制作会社に無事内定をもらい、晴れて新卒でWebデザイナーとして就職。
親会社と合同の入社式のあと、研修の準備をする同期を横目に「水野さんは業務に戻って」と言われ新製品ページのリリースに追われた新卒初日でした。

この時担当していたのが同じPC周辺機器メーカーのCMS化プロジェクトのコーディング担当。
CMSという存在もこのとき初めて知ったような新卒1年目に商品ページだけでも数百〜千単位あるサイトのCMSのコーディングをさせるなんて、今考えれば恐ろしすぎる。

今では世界で、おそらく日本でもシェアNo.1のWordPressですが、当時は(少なくとも名古屋には)実績として多くなく、この時は「OpenCMS」というオープンソースのCMSを使った構築でした。

久々に当時のサイトを見ていましたが、2017年現在も不具合なく動いているのを見ると我ながらなかなか頑張ったな、と思います。
そしてこの頃は、クライアントからのコーディング要件に「lintチェッカーで85点以上」なんてのが当たり前のようにありました。

余談ですが、当時主流だったXHTML1.1は、HTMLの冒頭に「XML宣言」という記述をしないといけないというルールがありました。
しかし、このXML宣言するとIEの一部バージョンで「後方互換モード」というレイアウトが大幅に崩れるモードに自動切り替えされるという致命的な仕様()があったため、書かないことが一般的だったのですが、これをやると致命的な記述ルール違反としてlintチェッカーに大幅減点されるという理不尽さと戦っておりました。
しかし「文字コードをUTF-8にすれば免除される」というよくわからない回避ルールもあったため、クライアントにはそれで理解をしてもらっていた。懐かしい。

▼参考
XML宣言の省略条件まとめ XHTML+IE6で起きる問題とは

JavaScriptのライブラリは今ほどjQueryの独壇場ではなく、「MooTools」や「Prototype.js」なんてのもよく使われていました。
そしてCSS3なんて使えない時代だったので、角丸を多用するデザイナーに殺意を覚えることもしばしば。

▼参考
Webページで角丸のボックスを作る方法あれこれ(2009/04/16)

角丸のボックス作るためだけに死ぬほどdivやspanを書いてました。

デザイナーとしては「Web2.0」時代の象徴とも言えるやたらツヤっとしたボタンや、写り込みなどの表現が大流行。 この時身につけたスキルが今後活かせることがあるのだろうか。

2009-2011年:スマートフォンの普及

2008年にiPhone 3Gが日本に上陸したことを皮切りに、今までWeb制作の中になかった「スマホサイト」という概念が生まれました。

IE対応やらモダンブラウザやら、PCサイトの対応だけでもてんやわんやしていたのに、デバイス単位で増えるなんて、単純にそれまでの仕事が倍になるぐらいの大きな変化を与えました。

しかし、この時はまだPCサイトが主軸で、気遣いとしてスマホ対応する、ぐらいの感覚で、「jQueryMobile」など便利な有り物のライブラリを使って構築していましたが、今じゃ「スマホファースト」なんて言葉が一般的になりましたね。

2012年:肩書きが「デザイナー」から「ディレクター」に

当時の会社のステップアップ方法がデザイナー→ディレクターだったのと、数年経ってデザイナーやコーダーが増えてきたこともあり、押し上げ式にディレクターになりました。

とは言え完全にディレクションだけすることは少なく、ディレクションとメインのデザインは自分でやって、あとはメンバーにやってもらうという座組が多かったです。

この頃にはWeb2.0のような立体的な表現は廃れ、「フラットデザイン」や「グリッドレイアウト」なんて言葉がよく使われるようになりました。
当時のLIGブログを見てみると、まさにその時代を象徴していますね。
(そしてちょうど「伝説のWebデザイナーを探して…」でLIGに出会ったのもこの頃です)

そして、この年にようやくChromeの世界シェア数がIEを抜き一時代の終わりを見ました。

▼参考
Chromeが登場してから、どのようにブラウザのシェアは推移したのか?

2013年:カナダのトロントへワーホリへ、フリーランス活動開始

社会人、そしてWeb業界で働いて5年経った頃、「このまま一生社会人か…」という漠然とした不安に襲われ、ワーキングホリデーでカナダのトロントへ。
「Web=社会人としての自分」から逃げるべく、現地に着いてからは語学学校に通って毎日英語の勉強に勤しんだり、現地のサンドイッチショップでバイトをしたり意識的にWebから離れる生活をしていました。

しかし中華系オーナーだったサンドイッチショップを不当な理由で突然解雇され、給料も貰えず所持金がわずか5ドルに。それまでずっと実家暮らしだったわたしは、家賃が払えず住む場所がなくなるかもしれないという危機に初めて陥りました。

その時自分を救ってくれたのがカナダに行く前に在籍していた前職の会社と、Webの仕事でした。
実は当時この会社を退職しておらず、「ワーホリを終えた1年後、またWebの仕事をする気持ちがあるなら戻っておいで」と休職扱いにしてくれていたんです。
そこでスポットでデザインやコーディングの仕事をもらい、なんとか食いつなぐことができました。

トロントと日本はちょうど昼夜が逆転している時差(しかもカナダが半日遅い)なので、日本で業務時間中にデザインしたものを、日本時間の深夜(カナダの昼間)に私がコーディングし、朝には終わっているというスケジュールマジックが実現できました。

Webから逃避すべく離れたカナダの地で、Webの仕事に助けられるという経験を経て、もう自分の人生とWebとは切り離せないんだな、と痛感。 その後、在学していた語学学校のブログを構築して授業料を免除してもらったり、現地の日本企業からフリーで仕事を頂いたりして、Webをやっていてよかった、と思える経験をたくさんすることができました。

2014-2015年:名古屋の制作会社に戻り、ディレクターとデザイナーを兼任する。そしてHTML5が正式勧告へ

ワーホリから帰国後、名古屋の制作会社に戻り、再びディレクターとデザイナーを兼任しながらWeb制作に従事。

ちょうどこの頃HTML5が勧告され、CSS3に対応しているブラウザのシェアも伸び双方が主流になってきました。
そして「フロントエンドエンジニア」という言葉と「フロントエンドファースト」なんて言葉を聞くようになり、「餅は餅屋」という言葉の通り、もうほとんど自分でコーディングすることはなくなっていました(なので私のHTML/CSSの知識はこれ以前で止まっている)。

2016年:気づいたらディレクターとしてLIGに入社・上京

デザインは好きだけれど、自分の才能に限界を感じていた頃、転職活動を始めることにしました。

LIGとは転職前、1年ほど当時の人事担当者と交流があり、そろそろ転職かな、と思い始めた頃に再び面談の機会をいただけたので、気軽な気持ちで遊びに行ってみることにしました。
すると、Web事業部のマネージャーが現れ、そしてそのマネージャーの質問などからようやく自分が「ディレクター職」で面接を受けていることを悟る。

あれよあれよと言う間に内定をいただき、デザイナーかディレクターか迷う余地なく、2016年5月、LIGにディレクターとしてジョイン。
気がつけばチームリーダーとして自分のチームを持ち、知らない間にディレクターのリーダーにもなっていました。

LIGは分業制で、前職のようにディレクションとデザインを兼任することはほぼ皆無なので、悩む余地なくディレクターとしての選択肢を選ぶことになりました。
結果、コーディングをやめたときに感じた「餅は餅屋」という言葉の通り、自分で作るよりも良いものが作れると実感して制作への未練を断ち切ることができ、今ではよかったと感じています。

2017年:Web業界で10年働いて今思うこと

振り返ってみて思うことは、Web制作ってつくづく経験年数は関係ない世界だな、と実感しました。
わたしが10年前にやっていたことなんて今の時代、何の役にも立たないことが多いんです。

Web業界は日進月歩。10年前にはスマホサイトなんて作ってなかったし、SNSやメディアサイトの台頭なんて予想もできなかった。
そして10年後の今、テーブルレイアウトなんて平成生まれにとってのテレホンカードぐらいの「そんなものもあったんだね。」という存在になっているに違いない。

「どれだけ長く積み重ねてきたか」よりも「どれだけ時代の変化に対応してきたか」が重要で、常に追い続けることは大変ですが、置いていかれないよう、しがみついて、ひいては時代を先読みできるようなディレクターになれるような11年目を迎えたいと思います。

LIG Advent Calendar 2017」も残すところあと1日! 引き続きよろしくお願いします!

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