はじめに
あなたは『マサカリ』という用語を知っていますか?
大きな木を伐(き)るのに用いる刃物の一種。古くは鈇鉞(ふえつ)といい、斧(おの)に似ていて、さらに大形のもので、木製の長い柄(え)に鉄製の刃がついており、斧より刃口が広いので、「はびろ」ともよばれていた。まさかりは、古代以来、武器や刑具として用いられ、武家のなかには、これをかたどって家紋としたものもあった。
引用: https://kotobank.jp/word/%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%8B%E3%82%8A-1419090
ざっくり斧をイメージしてもらえるとわかりやすいです。
ただ、この記事でとりあげたい『マサカリ』は上記の斧なようなものではなく以下になります。
技術的な指摘をすることを「マサカリを投げる」と呼ぶ。ネットスラングにありがちだが、この言葉の意味は常に変動しており、地域、人によっても定義が異なる。現在では、何か自分で詰めが甘いことを書く時に「修正、批判コメント歓迎」の意味で「マサカリをお願いします」と言ったり、誰かが適当なことを書いてコメントやブコメで炎上している時に「さっそくマサカリ投げられてて草」というような使われ方をしているようだ。
引用: https://qiita.com/kaityo256/items/d7d8f7a0e522895c8f5d
ざっくり、主に技術的なことを中心に鋭い指摘をすることを「マサカリを投げる」と言うそうです。
今回の記事ではこの『マサカリ』について、「優しくマサカリどんどん投げていこうよ/もらおうよ」という提言をしたいと思います。
マサカリは悪いもの?
そもそも『マサカリ』とは悪いものなのでしょうか?
『マサカリ』という単語や前章で引用した内容などを見ると、一概に良いものとは言いづらいかもしれません。
それでも、個人的には悪いものではなくむしろ良いものと思っています。
ただ、最初から良いものとは思っていなかったのでちょっと振り返らせてください。
マサカリは怖いもの
『マサカリ』を実際に投げられていらところを見ると、鋭い指摘をまるで無表情で言っているように感じます(文章なのでそう感じてしまう)。
それを見ていたメンタル弱弱な過去の自分などは、ひたすら子犬のように隅っこで怯えてしまっていました。
表で何か質問や発信しようものなら、ボロをつかれまくってガンガンに『マサカリ』を投げ続けられ、跡形もなくなってしまうのではないか?
こんなふうに思っていました。
ただ、やはり記事を書いたりするのは手軽にアウトプットができて、学んだことの定着にもつながるのでどうにかしてやりたいなと思っていました。
ある日、勇気を振り絞って記事を書き公開したところ、当たり前ですが誰にも見てもらませんでした。
その日を境に、みられないということをプラスに捉えて徐々に記事を書くようになり、それにつれてだんだんメンタルの方も以前より強くなっていきました(弱いに変わりはないが)。
そうなってくると、「以前怯えていた『マサカリ』は悪いものとは言えないのではないか?」と思うようになってきました。
理由としては、ただのやっかみは置いておいて、技術的な指摘はむしら自分の成長や理解度にプラスの影響をもたらすからです。
マサカリ投げるな!
一方で、どうやら昨今『マサカリ』は投げづらくなっているようです。
本当に投げづらくなっているのかはわかりませんが、「マサカリ投げるな。優しくしろ」と言うような風潮があるようなことを聞きました。
全部「そうらしい」と確信がないふわふわしたようで申し訳ないですが、事実エンジニアに限らず「新社会人や若手には優しくしろ!」という風潮はあるので、あながち的外れなことではない気がしてます。
このように『マサカリ』を投げづらくなっているのが現状のようです。
では、次の章で『マサカリ』の何が怖いかのを筆者個人の意見でまとめていきます。
マサカリの何が怖い?
では、『マサカリ』のなにが怖いのでしょうか?
『マサカリ』の何が悪いような印象を与えたいるのでしょうか?
超個人的な結論としては、「言い方」だと思っています。
ぶっきらぼうな感じで鋭い指摘をされると、指摘された側はなかなか怖いものです。
その上文章だけだとよりそれが強く感じるものです(良くも悪くも余分な情報がないため)。
そのため、言い方、要は伝え方を工夫するだけで、受け取り側の感じ方も違って来ます。
例えばこんなことを言われたとしましょう。
「〇〇という部分は××です。こちらにそう書かれています。」
特別ぐさっとくるかと言われるとそうではないかもしれないですが、真顔かつ淡々と伝えて来てる感はありますよね。
ではこんな感じにするとどうでしょうか?
「〇〇という部分は××です!こちらにそう書かれています!」
どことなく元気な感じで、先ほどより暖かさを感じますね。
好みはあると思いますが、後者の方で嫌な感じする人は少ないのではと思います。
このように伝え方で受けての感じ方が大きく変わって来ます。
理由は様々あれど、伝え方は『マサカリ』が怖がられている大きな要因の1つだと思っています。
マサカリを優しく投げよう
前章では「マサカリの何が怖い?」という見出しで、マサカリが怖がられてる理由について考えました。
この章ではそれを元にして、タイトルにあるように、「どうすればマサカリを優しく投げれるか」について考えていきます。
これには『マサカリ』を「投げられる側」と「投げる側」の両者からの視点で考える必要があります。
それぞれの視点から意識すべきことをまとめていきましょう。
大前提として、ただの暴言やアンチコメント、意味のない煽りコメントなどは、誰も求めていない不要なもので、今回取り上げている『マサカリ』とは別物と認識してください。
投げられる側
『マサカリ』を投げる方々は、そもそも親切心や間違いを正したいという気持ちから『マサカリ』を投げてくれています。
そのため、まずは感謝を忘れてはいけません。
そして、『マサカリ』を投げること自体を否定しないようにしましょう。
『マサカリ』を投げづらいような風潮が蔓延すればするほど、大袈裟ですが自分の成長機会が減っていきます。
ぜひ『マサカリ』を投げてもらえるような風潮をみんなで作っていきましょう。
もちろん『マサカリ』を投げられることを望んでいない方もいると思います。
そういう方は通知をオフにしたり、コメントを受け取れない設定・仕組みを作りましょう。
無理して受け入れる必要はないので自分が過ごしやす異世界を作ってください。
そして、受け取った『マサカリ』を自分が見れなくても、他の人が見ることで学びにつながることはあります。
『マサカリ』自体は否定せずに、自分の住み良い世界を作ってください。
投げる側
投げる側の方方々にとってはわがままを言われてるように感じると思いますが、ぜひ伝え方を少しだけでも良いので変えてみてください。
もちろん丁寧にしすぎることはないですし、必要以上に意識する必要はないと思っています。
何せそんなことしてたらめんどくいと思って投げようとした『マサカリ』を引っ込めることになりかねません。
前章であげた以下の例のように、末尾を「。」から「!」に変えるなどたいして労力がかからない程度で十分です。
例: 「〇〇という部分は××です!こちらにそう書かれています!」
本当に受け取りての感じ方が違うので、末尾を「!」を変えるのは試してもらいたいです!
伝え方を変えるとその分威厳度は下がるかもしれないです。
上の図の左側のイメージから、右側のような頼れる兄貴感な印象に変わると思います。
個人的には右の方が接しやすさがあって印象が良くなりますが、なんらかの理由で威厳度を下げたくない方もいると思います。
その方は無理せず今まで通りで良いと思います。
伝えたいこと
この記事で伝えたいこととしては、「マサカリは良いことなので受け入れつつ、伝え方も工夫しようよ!」ということです。
「こうしなければいけない」というつもりはなく、共感・賛同していただける方は是非やってみてください、という提言です。
何事もそうですが、両者で反発するのではなく多少の歩み寄りは必要だと考えています。
どちらか片方がわがまま言ったり、我慢するのではなくお互いがお互いに向かって距離を縮めていくイメージです。
モヒカン
恥ずかしながら最近まで『マサカリ』というネットスラングを知りませんでした。
最初の章で引用した記事内では、他に「モヒカン」なども出てきてまだまだ自分には知らないネットスラングがあるのだと楽しみながら読んでいました。
よければ他にも有名だったり、面白いネットスラングがあればコメントで教えてくれると嬉しいです🙇♂️
最後に
今回は「優しく『マサカリ』を投げ続けよう!」というタイトルで、『マサカリ』は悪いものではないことと伝え方を優しくしようということをまとめてきました。
いかがだったでしょうか?
少しでも共感・賛同できる方がいれば、ぜひ実行に移してみてください。
また、筆者は『マサカリ』をしっかり理解していない可能性もあります。
「そうじゃない!」ということがあればぜひ、『マサカリ』の解決案とともに教えてください!