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Elasticsearch に「銀の匙」を登録して検索してみる

Last updated at Posted at 2020-01-03

「銀の匙」といっても八軒君は出てきません。
著作権に抵触しない中勘助の「銀の匙」のほうです。

Elasticsearch と Kibana 7.5.1 Windows をインストールしてみる
からの続きで、こんどは長文を登録して検索してみます。

#登録してみる

POST /gin_no_saji/_doc
{
  "title": "銀の匙",
  "authors": ["中勘助"],
  "part": "前編",
  "chapter": "1",
  "content": " 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣ひきだしに昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩もてあそびであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、分ぶあつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。
 家にもとからひとつの茶箪笥がある。私は爪立つてやつと手のとどくじぶんからその戸棚をあけたり、抽匣をぬきだしたりして、それぞれの手ごたへや軋る音のちがふのを面白がつてゐた。そこに鼈甲の引手のついた小抽匣がふたつ並んでるうち、かたつぽは具合が悪くて子供の力ではなかなかあけられなかつたが、それがますます好奇心をうごかして、ある日のことさんざ骨を折つてたうとう無理やりにひきだしてしまつた。そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮ふうちんだの印籠いんろうの根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて
「これをください」
といつた。眼鏡をかけて茶の間に仕事をしてた母はちよいと思ひがけない様子をしたが
「大事にとつておおきなさい」
といつになくぢきに許しがでたので、嬉しくもあり、いささか張合ぬけのきみでもあつた。その抽匣は家が神田からこの山の手へ越してくるときに壊れてあかなくなつたままになり、由緒のある銀の匙もいつか母にさへ忘れられてたのである。母は針をはこびながらその由来を語つてくれた。"
}

これはエラーになりました。
image.png

json なので、改行(キャリッジリターン)を \n にエスケープさせてみます。

POST /gin_no_saji/_doc
{
  "title": "銀の匙",
  "authors": ["中勘助"],
  "part": "前編",
  "chapter": "1",
  "content": " 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣ひきだしに昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩もてあそびであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、分ぶあつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。\n 家にもとからひとつの茶箪笥がある。私は爪立つてやつと手のとどくじぶんからその戸棚をあけたり、抽匣をぬきだしたりして、それぞれの手ごたへや軋る音のちがふのを面白がつてゐた。そこに鼈甲の引手のついた小抽匣がふたつ並んでるうち、かたつぽは具合が悪くて子供の力ではなかなかあけられなかつたが、それがますます好奇心をうごかして、ある日のことさんざ骨を折つてたうとう無理やりにひきだしてしまつた。そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮ふうちんだの印籠いんろうの根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて\n「これをください」\nといつた。眼鏡をかけて茶の間に仕事をしてた母はちよいと思ひがけない様子をしたが\n「大事にとつておおきなさい」\nといつになくぢきに許しがでたので、嬉しくもあり、いささか張合ぬけのきみでもあつた。その抽匣は家が神田からこの山の手へ越してくるときに壊れてあかなくなつたままになり、由緒のある銀の匙もいつか母にさへ忘れられてたのである。母は針をはこびながらその由来を語つてくれた。"
}

うまくいきました。
image.png

この調子でいくつか登録してみます。

POST /gin_no_saji/_doc
{
  "title": "銀の匙",
  "authors": ["中勘助"],
  "part": "前編",
  "chapter": "2",
  "content": " 私の生れる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにも見はなされて東桂さんといふ漢方の先生にきてもらつたが、私は東桂さんの煎薬ぐらゐではいつかな生れるけしきがなかつたのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくやうにいふもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあつちこつち読んできかせては調剤のまちがひのないことを弁じながらひたすら潮時をまつてゐた。そのやうにさんざ母を悩ましたあげくやつとのことで生れたが、そのとき困りはてた東桂さんが指に唾つばをつけて一枚一枚本をくつては薬箱から薬をしやくひだす様子は私を育ててくれた剽軽な伯母さんの真にせまつた身ぶりにのこつていつまでも厭あかれることのない笑ひぐさとなつた。\n 私は元来脾弱ひよわかつたうへに生れると間もなく大変な腫物できもので、母の形容によれば「松かさのやうに」頭から顔からいちめんふきでものがしたのでひきつづき東桂さんの世話にならなければならなかつた。東桂さんは腫物を内攻させないために毎日まつ黒な煉薬と烏犀角うさいかくをのませた。そのとき子供の小さな口へ薬をすくひいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだといふ話をきき、自分ではつひぞ知らないことながらなんとなく懐しくてはなしともなくなつてしまつた。私は身体ぢゆうのふきでものを痒がつて夜も昼もおちおち眠らないもので糠袋へ小豆を包んで母と伯母とがかはるがはる瘡蓋かさぶたのうへをたたいてくれると小鼻をひこつかせてさも気もちよささうにしたといふ。その後ずつと大きくなるまで虚弱のため神経過敏で、そのうへ三日にあげず頭痛に悩まされるのを、家の者は 糠袋で叩いたせゐで脳を悪くしたのだ といつて来る人ごとに吹聴した。そのやうに母に苦労をかけて生れた子は母の産後のひだちのよくないためや手の足りないために、ときどき乳をのませるときのほかはちやうどそのころ家の厄介になつてた伯母の手ひとつで育てられることになつた。"
}

image.png

POST /gin_no_saji/_doc
{
  "title": "銀の匙",
  "authors": ["中勘助"],
  "part": "前編",
  "chapter": "3",
  "content": " 伯母さんのつれあひは惣右衛門さんといつて国では小身ながら侍であつたけれど、夫婦そろつて人の好い働きのない人たちだつたので御維新の際にはひどく零落してしまひ、ひきつづき明治何年とかのコレラのはやつた時に惣右衛門さんが死んでからはいよいよ家がもちきれなくなつてたうとう私のとこの厄介になることになつたのださうだ。国では伯母さん夫婦の人の好いのにつけこんで困つた者はもとより、困りもしない者までが困つた困つたといつて金を借りにくると自分たちの食べる物に事をかいてまでも貸してやるので、さもなくてさへ貧乏な家は瞬くうちに身代かぎり同然になつてしまつたが、さうなれば借りた奴らは足ぶみもしずに蔭で\n「あんまり人がよすぎるで」\nなぞと嘲笑つてゐた。二人はよくよく困れば心あたりの者へ返金の催促もしないではなかつたけれど、さきがすこし哀れなことでもいひだせばほろほろ貰ひ泣きして帰つてきて\n「気の毒な 気の毒な」\nといつてゐた。\n また伯母さん夫婦は大の迷信家で、いつぞやなぞは 白鼠は大黒様のお使だ といつて、どこからかひとつがひ買つてきたのを お福様 お福様 と後生大事に育ててたが、鼠算でふえる奴がしまひにはぞろぞろ家ぢゆう這ひまはるのをお芽出たがつて、なにか事のある日には赤飯をたいたり一升枡に煎り豆を盛つたりしてお供へした。そんな風で僅ばかりの金は人に借り倒され、米櫃の米はお福様に食ひ倒されて、ほんの著のみ著のままの姿で、そのじぶん殿様のお供でこちらに引越してた私の家を頼りにはるばる国もとから出てきたのださうだが、その後間もなく惣右衛門さんがコレラでなくなつたため伯母さんはまつたく身ひとつの寡婦になつてしまつた。伯母さんはその時の話をして それは異国の切支丹が日本人を殺してしまはうと思つて悪い狐を流してよこしたからコロリがはやつたので、一コロリ三コロリと二遍もあつた。惣右衛門さんは一コロリにかかつて避病院へつれて行かれたのだが、そこではコロリの熱でまつ黒になつてる病人に水ものませずに殺してしまふ。病人はみんな腹わたが焼けて死ぬのだ といつた。\n 伯母さんは私を育てるのがこの世に生きてる唯一の楽しみであつた。それは、家はなし、子はなし、年はとつてるし、なんの楽しみもなかつたせゐもあるが、そのほかにもうひとつ私を迷信的に可愛がる不思議な訳があつた。といふのは、今もし生きてゐればひとつちがひであるはずの兄が生れると間もなく「驚風」でなくなつたのを、伯母さんは自分の子が死んでゆくやうに嘆いて\n「生れかへつてきとくれよ、生れかへつてきとくれよ」\nといつておいおいと泣いた。さうしたらその翌年私が生れたもので、仏様のお蔭で先の子が生れかへつてきたと思ひこんで無上に私を大事にしたのださうである。たとへこの穢いできものだらけの子でもが、頼りない伯母さんの頼みをわすれずに極楽の蓮の家をふりすててきたものと思へばどんなにか嬉しくいとしかつたであらう。それゆゑ私が四つ五つになつてから、伯母さんは毎朝仏様へお供物をあげる時に――それは信心深い伯母さんの幸福な役目であつた。――折折お仏壇のまへへつれていつてまだいろはのいの字も読めない子供に兄の戒名、伯母さんの考へによれば即ち私が極楽にゐた時の名まへであるところの 一喚即応童子いつくわんそくおうどうじ といふのを空そらに覚えさせた。"
}

image.png

#検索してみる

POST /gin_no_saji/_search
{
  "query" : {
    "match": {
      "content": "難産"
    }
  }
}

"chapter": 2
がヒットしました。OKです。
image.png

{
  "took" : 1,
  "timed_out" : false,
  "_shards" : {
   "total" : 1,
    "successful" : 1,
    "skipped" : 0,
    "failed" : 0
  },
  "hits" : {
    "total" : {
      "value" : 1,
      "relation" : "eq"
    },
    "max_score" : 2.504489,
    "hits" : [
      {
        "_index" : "gin_no_saji",
        "_type" : "_doc",
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        "_score" : 2.504489,
        "_source" : {
          "title" : "銀の匙",
          "authors" : [
            "中勘助"
          ],
          "part" : "前編",
          "chapter" : "2",
          "content" : """ 私の生れる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにも見はなされて東桂さんといふ漢方の先生にきてもらつたが、私は東桂さんの煎薬ぐらゐではいつかな生れるけしきがなかつたのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくやうにいふもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあつちこつち読んできかせては調剤のまちがひのないことを弁じながらひたすら潮時をまつてゐた。そのやうにさんざ母を悩ましたあげくやつとのことで生れたが、そのとき困りはてた東桂さんが指に唾つばをつけて一枚一枚本をくつては薬箱から薬をしやくひだす様子は私を育ててくれた剽軽な伯母さんの真にせまつた身ぶりにのこつていつまでも厭あかれることのない笑ひぐさとなつた。
 私は元来脾弱ひよわかつたうへに生れると間もなく大変な腫物できもので、母の形容によれば「松かさのやうに」頭から顔からいちめんふきでものがしたのでひきつづき東桂さんの世話にならなければならなかつた。東桂さんは腫物を内攻させないために毎日まつ黒な煉薬と烏犀角うさいかくをのませた。そのとき子供の小さな口へ薬をすくひいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだといふ話をきき、自分ではつひぞ知らないことながらなんとなく懐しくてはなしともなくなつてしまつた。私は身体ぢゆうのふきでものを痒がつて夜も昼もおちおち眠らないもので糠袋へ小豆を包んで母と伯母とがかはるがはる瘡蓋かさぶたのうへをたたいてくれると小鼻をひこつかせてさも気もちよささうにしたといふ。その後ずつと大きくなるまで虚弱のため神経過敏で、そのうへ三日にあげず頭痛に悩まされるのを、家の者は 糠袋で叩いたせゐで脳を悪くしたのだ といつて来る人ごとに吹聴した。そのやうに母に苦労をかけて生れた子は母の産後のひだちのよくないためや手の足りないために、ときどき乳をのませるときのほかはちやうどそのころ家の厄介になつてた伯母の手ひとつで育てられることになつた。"""
        }
      }
    ]
  }
}

スコア "_score" : 2.504489 となっています。

検索のキーワードを変えてやってみます。

POST /gin_no_saji/_search
{
  "query" : {
    "match": {
      "content": "伯母さん"
    }
  }
}

検索のキーワードを変えてみます。
スコアはそれぞれ
"_score" : 1.7407117
"_score" : 1.6478751
"_score" : 0.75192225
となっていて、スコア降順で出力してくれています。

{
  "took" : 2,
  "timed_out" : false,
  "_shards" : {
    "total" : 1,
    "successful" : 1,
    "skipped" : 0,
    "failed" : 0
  },
  "hits" : {
    "total" : {
      "value" : 3,
      "relation" : "eq"
    },
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    "hits" : [
      {
        "_index" : "gin_no_saji",
        "_type" : "_doc",
        "_id" : "AJWua28B71ysKG-2HVaR",
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        "_source" : {
          "title" : "銀の匙",
          "authors" : [
            "中勘助"
          ],
          "part" : "前編",
          "chapter" : "3",
          "content" : """ 伯母さんのつれあひは惣右衛門さんといつて国では小身ながら侍であつたけれど、夫婦そろつて人の好い働きのない人たちだつたので御維新の際にはひどく零落してしまひ、ひきつづき明治何年とかのコレラのはやつた時に惣右衛門さんが死んでからはいよいよ家がもちきれなくなつてたうとう私のとこの厄介になることになつたのださうだ。国では伯母さん夫婦の人の好いのにつけこんで困つた者はもとより、困りもしない者までが困つた困つたといつて金を借りにくると自分たちの食べる物に事をかいてまでも貸してやるので、さもなくてさへ貧乏な家は瞬くうちに身代かぎり同然になつてしまつたが、さうなれば借りた奴らは足ぶみもしずに蔭で
「あんまり人がよすぎるで」
なぞと嘲笑つてゐた。二人はよくよく困れば心あたりの者へ返金の催促もしないではなかつたけれど、さきがすこし哀れなことでもいひだせばほろほろ貰ひ泣きして帰つてきて
「気の毒な 気の毒な」
といつてゐた。
 また伯母さん夫婦は大の迷信家で、いつぞやなぞは 白鼠は大黒様のお使だ といつて、どこからかひとつがひ買つてきたのを お福様 お福様 と後生大事に育ててたが、鼠算でふえる奴がしまひにはぞろぞろ家ぢゆう這ひまはるのをお芽出たがつて、なにか事のある日には赤飯をたいたり一升枡に煎り豆を盛つたりしてお供へした。そんな風で僅ばかりの金は人に借り倒され、米櫃の米はお福様に食ひ倒されて、ほんの著のみ著のままの姿で、そのじぶん殿様のお供でこちらに引越してた私の家を頼りにはるばる国もとから出てきたのださうだが、その後間もなく惣右衛門さんがコレラでなくなつたため伯母さんはまつたく身ひとつの寡婦になつてしまつた。伯母さんはその時の話をして それは異国の切支丹が日本人を殺してしまはうと思つて悪い狐を流してよこしたからコロリがはやつたので、一コロリ三コロリと二遍もあつた。惣右衛門さんは一コロリにかかつて避病院へつれて行かれたのだが、そこではコロリの熱でまつ黒になつてる病人に水ものませずに殺してしまふ。病人はみんな腹わたが焼けて死ぬのだ といつた。
 伯母さんは私を育てるのがこの世に生きてる唯一の楽しみであつた。それは、家はなし、子はなし、年はとつてるし、なんの楽しみもなかつたせゐもあるが、そのほかにもうひとつ私を迷信的に可愛がる不思議な訳があつた。といふのは、今もし生きてゐればひとつちがひであるはずの兄が生れると間もなく「驚風」でなくなつたのを、伯母さんは自分の子が死んでゆくやうに嘆いて
「生れかへつてきとくれよ、生れかへつてきとくれよ」
 といつておいおいと泣いた。さうしたらその翌年私が生れたもので、仏様のお蔭で先の子が生れかへつてきたと思ひこんで無上に私を大事にしたのださうである。たとへこの穢いできものだらけの子でもが、頼りない伯母さんの頼みをわすれずに極楽の蓮の家をふりすててきたものと思へばどんなにか嬉しくいとしかつたであらう。それゆゑ私が四つ五つになつてから、伯母さんは毎朝仏様へお供物をあげる時に――それは信心深い伯母さんの幸福な役目であつた。――折折お仏壇のまへへつれていつてまだいろはのいの字も読めない子供に兄の戒名、伯母さんの考へによれば即ち私が極楽にゐた時の名まへであるところの 一喚即応童子いつくわんそくおうどうじ といふのを空そらに覚えさせた。"""
        }
      },
      {
        "_index" : "gin_no_saji",
        "_type" : "_doc",
        "_id" : "_5Wsa28B71ysKG-2b1Vz",
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        "_source" : {
          "title" : "銀の匙",
          "authors" :     
            "中勘助"
          ],
          "part" : "前編",
          "chapter" : "2",
          "content" : """ 私の生れる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにも見はなされて東桂さんといふ漢方の先生にきてもらつたが、私は東桂さんの煎薬ぐらゐではいつかな生れるけしきがなかつたのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくやうにいふもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあつちこつち読んできかせては調剤のまちがひのないことを弁じながらひたすら潮時をまつてゐた。そのやうにさんざ母を悩ましたあげくやつとのことで生れたが、そのとき困りはてた東桂さんが指に唾つばをつけて一枚一枚本をくつては薬箱から薬をしやくひだす様子は私を育ててくれた剽軽な伯母さんの真にせまつた身ぶりにのこつていつまでも厭あかれることのない笑ひぐさとなつた。
 私は元来脾弱ひよわかつたうへに生れると間もなく大変な腫物できもので、母の形容によれば「松かさのやうに」頭から顔からいちめんふきでものがしたのでひきつづき東桂さんの世話にならなければならなかつた。東桂さんは腫物を内攻させないために毎日まつ黒な煉薬と烏犀角うさいかくをのませた。そのとき子供の小さな口へ薬をすくひいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだといふ話をきき、自分ではつひぞ知らないことながらなんとなく懐しくてはなしともなくなつてしまつた。私は身体ぢゆうのふきでものを痒がつて夜も昼もおちおち眠らないもので糠袋へ小豆を包んで母と伯母とがかはるがはる瘡蓋かさぶたのうへをたたいてくれると小鼻をひこつかせてさも気もちよささうにしたといふ。その後ずつと大きくなるまで虚弱のため神経過敏で、そのうへ三日にあげず頭痛に悩まされるのを、家の者は 糠袋で叩いたせゐで脳を悪くしたのだ といつて来る人ごとに吹聴した。そのやうに母に苦労をかけて生れた子は母の産後のひだちのよくないためや手の足りないために、ときどき乳をのませるときのほかはちやうどそのころ家の厄介になつてた伯母の手ひとつで育てられることになつた。"""
        }
      },
      {
        "_index" : "gin_no_saji",
        "_type" : "_doc",
        "_id" : "_pWqa28B71ysKG-2IVWT",
        "_score" : 0.75192225,
            "_source" : {
          "title" : "銀の匙",
          "authors" : [
            "中勘助"
          ],
          "part" : "前編",
          "chapter" : "1",
          "content" : """ 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣ひきだしに昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩もてあそびであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、分ぶあつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。
 家にもとからひとつの茶箪笥がある。私は爪立つてやつと手のとどくじぶんからその戸棚をあけたり、抽匣をぬきだしたりして、それぞれの手ごたへや軋る音のちがふのを面白がつてゐた。そこに鼈甲の引手のついた小抽匣がふたつ並んでるうち、かたつぽは具合が悪くて子供の力ではなかなかあけられなかつたが、それがますます好奇心をうごかして、ある日のことさんざ骨を折つてたうとう無理やりにひきだしてしまつた。そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮ふうちんだの印籠いんろうの根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて
「これをください」
といつた。眼鏡をかけて茶の間に仕事をしてた母はちよいと思ひがけない様子をしたが
「大事にとつておおきなさい」
といつになくぢきに許しがでたので、嬉しくもあり、いささか張合ぬけのきみでもあつた。その抽匣は家が神田からこの山の手へ越してくるときに壊れてあかなくなつたままになり、由緒のある銀の匙もいつか母にさへ忘れられてたのである。母は針をはこびながらその由来を語つてくれた。"""
        }
      }
    ]
  }
}

スコアのしくみについての解説が
公式ドキュメント Function score query
にありました。

読んだだけでわかる人はすごいと思います。
私の場合は実際にデータを貯めて、あたりを付て検証実験して調整してゆくのがよさそうです。

Kibana の Discover を使ってみる に続きます。

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