最近の目標だった「俺は意識低い系王になる! 無理そうなことに挑戦するよ!」が本当に無理だとわかった。どうでもいいことなので基本スルーで。
1 SNS free!
菓子パンが好き。でも、体に悪そうであまり食べない。ジュースも自然系のもの以外はあまり飲まない。エネジードリンクは仕事的に必要だと思ったら飲む。酒、タバコはやめた。そんな俺が、ガブ飲みメロンソーダをぐびぐびやってマクドナルドに十数年ぶりに入れるようになるのはどうしたらいいのか。もう年齢的にも、タイムリミットは近い。
意識低い系を、俺は見くびっているわけではなくて、実は憧れに似た感情を抱いている。無理そうだけど近づきたい、クラスの不良に一目置かれたい。でも、どうしてもできなかった。菓子パンと菓子類の消費は増やせたがマクドナルドはちょっと遠くから覗いて断念した。同じ人間なのに、どうして彼らには出来て俺にはできないのか考えた。そして、同じようにいつも接点がないと感じているSNS的な何か(友達はいないのでLINEもmixiもやってない。FBは試してみたいけど怖い)と、意識低い系をリンクして考えてみて、社会(集団従属)性の度合いが意識(高い|低い)系の正体なのですよと気づいた。Webサービスについて考えることの延長線上に答えがあったので、ここにメモしておくことにした。
2 Hometown free!
タバコなどをポイ捨てする(できる)人間と、しない(できない)人間についてずっと昔に考えたことがある。今の言葉でいうとDQNについて。マイルドヤンキーとDQN、そして意識低い系は社会従属性で測れる。たぶんそういう係数みたいなのがあるはず。DQNは社会から逸脱しているように見える(行動として反社会的)けど、集団と自己の壁がないほど、同一化しているのだ。「他人(ヒトサマ)」の概念がない。マイルドヤンキーと意識低い系は、他者を認識する程度には壁があるが、集団への従属性が高い。高いほど低い。意識が。
3 Safety free!
じゃあ、意識って何? というと、孤高性なのだ。
俺は孤立している、土地も人間関係もない(家族はいるけど)。という状態で、例えばガブ飲みメロンソーダを飲んだらどうなるだろうか? マクドナルドで食事したらどうなるだろうか? 孤高の人間は、それを心配する。自分以外は、みんな「ヒトサマ」なのだ。迷惑をかけるわけにはいかない。その思考が、俺を意識低い系にさせない要因であり、俺の本質でもある。
友達や仲間!がいれば、体調を崩しても何とかなる。土地がある、親類に囲まれている、そういう社会的なマイセイフティが存在する人間との差が、経済的には現れなくても、意識として差別化しているのが昨今言うところの(高い|低い)系だと思う(高い系に関しては、ネタ的側面も大きいかもしれないし、リア充との混同がある気がするので、実際には(低い)(!低い)かもしれない)。
例えば、新しいことがあるとする。新しいことをするための考えかたがあるとする。俺は、それを知りたい。WiredやLifehacker、Inc.、いろんなサイトを見たりする、時間というコストをかけて。変化が必要でなければ、それは滑稽な行為だ。現状が安定していれば、変化はいらない。某政党のポスターで、「安定は希望です」というコピーがあって、とても秀逸だと思った。
4 GREE free!
マイルドヤンキーでググったら都市と地方みたいな対立構造で書かれてたりしたので、思い出して徂徠の「旅宿ノ境界」でググってみたら思ったような感じではなかった。でも、たぶん徂徠ならこのモヤモヤを書いてると期待する。
実際に今は二極対立というほどの単純化はありえないので、うまく言えないモヤモヤを、(高い系的にいうとコンセンサスを得ていない)言葉にするもどかしさを、系付き語でごまかしているのだ。俺は数値化したい。孤立性を。六次の隔たりの最初の一歩がない場合を。で、GREE。
5 Answer free!
いろんなWebサービス(とIT企業)を眺めていて思うことがある。エンジニアはエンジニアのサービスが好きすぎる。でも、売れるのはエンジニアっぽくないサービス。俺は距離感を感じる。使ってみるのは、少しだけ自分(デザイナ)よりのサービス。友達に紹介!とかいってくるモーダルにムカッとしながらも、必須じゃないので使うことはできる。二百人で同時通話とかは、ありえない。でもたぶん、大勢のダチ、仲間!がいる場合の意識は、少し違うのだろう。SNSが滑稽に見えたり、セキュリティ云々を考えてしまう人間を、彼らは幸福とは思わない。
以上に対して、Githubとかエンジニア系のサービスのもつ可能性、旅宿ノ境界の住人としての役割について考え始めたら遅くなったのでここまで。