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自然非言語処理第23日目:エージェントモデルを仮定した人と機械のコミュニケーションの本質とは

Last updated at Posted at 2017-12-25

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この1ヶ月で人間の言語ではない側面を見てきました。
そこで、本アドベントカレンダーで得られた情報をまとめ、
人と機械のコミュニケーションすることって何なんだろうということをまとめましょう。

エージェントモデルから見た人間の具体的なモデル化

まず、人間をエージェントモデルとして考えましょう。
入力は各種感覚で良さそうです。各種感覚とは特殊感覚(視覚など)、体性感覚、内臓感覚(喉が渇いた)[1]です。今回、紹介した感覚は特殊感覚や体性感覚の一部しかありませんでしたが、その一部はわりかし詳しく説明したつもりです。
出力は筋骨格による運動で良さそうです。今回は運動について詳しく説明できませんでしたが、運動にも入力と出力に別れることができる視点ができました。
そして、入力と出力の間にはいろいろな機能があることがわかりました。まず、感覚が受け取った刺激は知覚されます。次に、扁桃体を通り、情動に対する処理が行なわれます。たとえば、扁桃体を通った時点で危機を感じた場合、急性ストレス反応を起こします。次に感覚に対応した一次感覚野(一次視覚野など)に情報が送られ、単一感覚連合野に情報が送られます。この時点で一応感覚の認識は可能です。単一感覚連合野から多種感覚連合野に情報が入ると感覚情報は統合され、マルチモーダル認識が行われます。その認識結果が前頭前野に情報が送られると、今度は思考が行われます。今回は演繹だけでしたが、演繹による思考はかなり高度な行動で人為的な行動であるため、実際のところあんまり人間は使ってないかもしれません。無意識ではモンテカルロ木探索のようなことが行われているのでしょう。思考が行われているときにも、感覚情報は運動野に送られ、感覚情報が意識に上る前に、運動野と大脳基底核、視床、中脳、小脳と連携して、随意運動を行います(c.f. マインドタイム)。随意運動を行うと、各種筋肉に刺激が引き起こされ、筋肉が収縮します。この時の収縮のズレや学習を小脳が行っているとされています。これが通常の人間の反応です。他にも思考に基づいた運動や反射運動、条件反射などがあります。なお、実際に運動しなくても運動をみるだけで運動野は活動します(c.f. ミラーニューロンシステム)。
以上をまとめ、各機能は局在化されていることを踏まえると、図1のようなモジュールごとで分離した認知アーキテクチャが仮説立てられます。

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図1 人間のモデル化、認知アーキテクチャの例(著者によるただの仮説、ROSなどを使うことで実装可能だと考えられる)

この認知アーキテクチャにもとづいて、人間がコミュニケーションしていると考えると、
想像以上に分散的な状態から記号を生成して環境に記号表現を書いたり描いたり言ったりしているのだな
ということがわかります。
それでもおおよそ言語を使わなくとも他の人に通じるのはミラーニューロンシステムのお陰であり、
またミラーニューロンシステムが正しく機能しているのは脳の機能はおおよそ個人間で共通するところがあるからとも見れます。

なお、言語によるコミュニケーションでは実装システム、媒介システム、概念システムによって言語と概念を結びつけることができるとされています。実装システムには言語特有のブローカ野とウェルニッケ野がありますが、他には顔認識などで役立っていた島皮質や大脳基底核が含まれています。媒介システムでは連合野と結びついており、マルチモーダル認識と関わりがあると考えられます。そして実装システムと媒介システムを統合するのが概念システムです。この3つのシステムは言語によるコミュニケーションと非言語によるコミュニケーションとを結びつけるシステムであります。実は人間にとって言語とはごく一部の機能でしかないことがよくわかります。

なぜ我々は人間とコミュニケーションを行うのか。

ではなぜそんな複雑な機構になっている我々はコミュニケーションを行うのでしょうか。
それは人類の恒常性を維持するためです。
コミュニケーションとは生態系を含む環境に生きる人間というエージェントモデルが他のエージェントモデルと意志決定するためのツールであり、それは人類というマルチエージェントシステムが環境から淘汰されないようにエージェント間を制御するための手段であろうと考えられます。

一方で人類の恒常性を維持するためには、その要素である個人も誰かは維持していなければなりません。なので、人類を守るためとただひたすらに利他的に全員行動しても、全滅してしまう恐れがあります。そのために遺伝子による多様性が担保されているのです。チームで行動する人もいれば、個人で勝手に行動する人もいる。ただ、コミュニケーションすることで呉越同舟することもあるでしょう。

なぜ我々は機械とコミュニケーションを行うのか。

ではなぜ我々は機械とコミュニケーションを行うのでしょうか。
たぶん操作するよりもコミュニケーションで済ませたほうが楽だからです。
そして、それは人類の恒常性を維持するためでもあるのです。

道具を発明したときから、人類は道具に依存する運命を辿りました。
発展した道具である機械でも、やはり人間は機械に依存しています。
そうやって機械にやってもらうことが増えてくると、農業革命がおき、産業革命が起き、IT革命が起きました。
農業革命により、食べ物の生産が劇的に向上し、多くの人口を支えることができるようになりました。これは人類の恒常性を維持するためといえます。
産業革命により、工業製品の爆発的な生産増加に伴い、輸送技術や金融が発展していきました。この結果、さまざまな資源を資本という形で蓄積できるようになりました。これは人類の恒常性を維持するためといえます。
IT革命により、高度情報化社会に至ると、情報端末によりコミュニケーションが活発になり、より固いソーシャルネットワークが作られるようになりました。これは人類の恒常性を維持するためといえます。

したがって、我々は人類の恒常性を維持するために機械を利用してきたといえます。
しかし、機械が高度化するにつれて機械を操作するのがめんどくさくなってきました
例えば、人間の機能をすべて機械化したとしてどうやって操作すればいいのでしょうか。
そこで人間が他人と話すようにコミュニケーションが取れるようにして、目的を与えればあとは適当に自律的に行動してもらえれば、便利なことこの上ありません。
それが実現できたとすれば、人間のやらないといけないことは全部機械に任せられるので、たとえば労働から人間が開放されたりするでしょう。
それが次の革命となるのでしょう。

労働から開放された人間はどうやっていきていくのでしょうね。

そこまでしてなぜ人類は恒常性を維持するのか

じゃあ、なぜ人類は恒常性を維持する必要があったのでしょうか。
逆です。進化論を前提とするならば、人類が生きる機能に優れていなければ、そもそも進化の過程で淘汰されてしまっているのです。(c.f. 人間原理)
つまり、人類が生きている、人間が生きているというのはただの結果論の1つであって、高尚な理由なんてないのです。
というか、生きる理由をこのあたりで打ち止めないと、なぜ生きるのかを永遠に過去に遡り続ける無限後退に陥ります。
そういう結論を得ると、「生きるのつらい。鬱だ○のう。」みたいな消極的ニヒリズムになっちゃいますが、
ニーチェが言うには「どうせ生きる意味なんてないんだから、自分でかってに作っちゃおうぜ(テヘペロ」みたいな積極的ニヒリズムが人生には必要なんだと思いますよ。

まとめ

我々人間は人類の恒常性を維持するためコミュニケーションを行ってきました。
これまでは人類の恒常性を維持するため操作する一方だった機械もその機能が煩雑化していくに連れ、
人間のコミュニケーションのようになっていくでしょう。
そのとき、人類の恒常性を維持するため、人と機械はコミュニケーションを行っていくのでしょう。
労働から開放された人間は、人生にどのような意味付けをしていくのでしょうか。
今後の人間に託された課題なのだと思います。

そんな将来予想図みたいなポエムを書きました。

しかし、そんなコミュニケーションには限界が実はあるという話を次回はしていこうと思います。

参考文献

[0] カンデル神経科学
[1] https://kotobank.jp/word/%E6%84%9F%E8%A6%9A-48495

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