■これまでのお話
この物語は、シリーズとなっています。前作については一昨年のAdventCalendarの投稿をお読みください。
今回は、あだち部長の推薦によって、冬川が遺した提案書の推進を行うことになったRINAの話です。
果たして、RINAはコンサルタントのように振る舞えるのでしょうか。
登場人物紹介 |
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RINA: 主人公。前職はプログラマー |
冬川: コンサルタント(刺殺され、今はいない) |
あさこ: ショートヘアで意思の強い獅子座の女。あだち部長の右腕 |
あだち部長: 評価部の部長。QCD必達の「伝説の開発者」だった過去を持つ |
YUMO: 評価部のテクニカルリーダー、社外のコンサルもしている |
咳: 開発部のテクニカルリーダー、スキルはguruレベル |
それではさっそく、 福岡県の天神 にあるRINAのオフィスに向かい、RINAの様子をのぞいてみましょう。
■シーン1. (叫び声)09:40
RINAが勤務しているクラウディック社は上手にクラウドを使うことで、設備投資を最小限に抑えて高収益を上げている中堅のSIerである。今では、50名を超える従業員を抱え、賃貸とはいえ7階と8階の2フロアを占拠している。
「あー、もぅ!! 私には、この仕事、向いてなーい」
早朝のオフィスにRINAの声が響く。
「どうどう」
まるで、馬や牛を落ち着かせるような声を発しながらあだち部長がやってくる。
ちなみに、英語では、「どうどう」ではなく、「Whoa!」(ウア)と呼びかけるらしい。
「絶対だ。もー知らんとよ」
「どーどー、どーされました? RINAさん」
『声に出してしまっていたのか』とRINAは思った。
テレワークが増えると独り言が多くなるらしい。
『気をつけねば』
「部長、失礼しました。先日部長から依頼された“冬川さんの提案書に書かれた改善提案を推進する件”なのですが、提案書を読んでもさっぱりわからないんです」
「専門用語で、何ページも書かれているとか?」
「あ、いいえ。その逆で、専門用語は一切なく分量も5ページしかないんです。しかも、提案部分はたったの1ページなんです」
「問題がよくわかりません。平易な言葉でシンプルな提案書なんでしょう?」
「はい。その通りです。ちょっと見ていただけますか?」
■シーン2. (冬川の提案書)10:00
「それでは、あちらに移動しましょう」
あだち部長は、オフィスの隅を指さした。
そこには、木製の小さなテーブルと、その周りにこれもまた木製の椅子が3脚置かれている。
テーブルの天板には、きれいな木目が浮かんでいる。
なんでも、社長の私物だそうで、黒柿の一枚板で孔雀杢が出ている貴重な品らしい。
RINAのお気に入りのテーブルだ。
誰が何の用途に使っても良いと聞いているので、考えに煮詰まった時など、一人で資料を広げてうなっている。
そうすると、通りすがりの人が相談に乗ってくれたりもする砂漠のオアシスのような場所だ。
木製の椅子は、背もたれもクッションもついていないのに、不思議なことに長く座っていても腰が痛くならない。こちらは、ヤマザクラの無垢材とのことである。
「ちょっと見せてもらえますか。ふむふむなるほど」
冬川の資料は、4ページがRINAの会社の分析で、最後の1ページが提案書になっていた。
分析のパートについては、数字と式とグラフが中心で、文章はというと「アンケートの自由記入」を書き写したものだけである。分析結果についての考察はない。
いったい冬川はどういうつもりだったのだろう?
提案についてはさらにひどく、1ページで100文字もない。
「どうですか?」
「これは難解ですねぇ」
「ですよねー。 (´・ω・)(・ω・`)」
二人が頭を抱えていると、ふらっとYUMOが通りがかった。
「YUMO先輩もちょっと考えてくださいよー」
「えー。ジュースを買いにきただけなんだけど」
「そんなこと言わずに、ほら、“ぶらぶら”あるよ」
いつの間に用意したのか、RINAが薄い小箱をあけるとそこには「博多ぶらぶら」があった。
博多ぶらぶらは、北海道産の小豆で求肥を包んだシンプルな和菓子である。
お米は佐賀の一等米である“ひよく米”を使っていて、ちょっと高級感もある。
「これ、あっさりした甘さでおいしいんだよね。お目当てのジュースが売り切れていて、お茶になって、なんだよーって思ったけど、正解だったとは」
YUMOは、椅子に腰かけると、テーブルの上の紙に目を落とす。
「あっ、これ、冬川さんの提案書ですか。相変わらずだなー」
「相変わらずとは?」
「以前、二人で、とあるクライアントのコンサルを一緒にしたことがあるんだよ」
「えー!なんですと!! でも、冬川さん、最近日本に来られたのでは」
この情報には、RINAだけでなく、あだち部長も驚いた様子だった。
「そうですよ。僕がアメリカに行ってた頃、向こうで『同郷のよしみで助けてくれよ』と言われて一緒にGE社のコンサルをしたの」
「え。あの大企業の? しかもアメリカで??」
「そだよー。大企業といっても小さい部署に分かれて小さなオフィスが点在しているわけだし」
「そ、そうなんですね。そのときもこんな感じでした?」
「うん。こんな感じ。『意図が読み取れないグラフなんて意味がない』とか『どうせ要点しか頭に残らないんだから』が口癖でさあ」
「では、YUMO先輩なら、この提案書を読み取れる?」
「むり、むり。奴が考えてることなんてわかんないよ。でも、奴のプレゼンを聴くと『なるほどなー』って思ったから、きっと、いいことが書いてあるんだと思うよ」
実は、RINAは英会話を習い始めていた。“将来、さまざまな国の人と一緒に仕事をすることになるだろう”と思ったからである。半年がたって、ようやく、英会話教室の先生とは話が弾むようになってきたものの、YouTubeなどで、海外のカンファレンスの動画を観ても良く分からない。先生からは「英会話、上手になりましたね」と褒められるが、『こんな調子で、ほんとうに、YUMO先輩のように仕事で使えるようになるのかしら?』と不安になることもある。
■シーン3. (ご協力くださいね)11:00
結局、YUMO先輩からはそれ以上の話は聞けず、あだち部長からは、
「期限を決めましょう。あと1週間ねばって無理そうなら残念ですが、この提案書はお蔵入りとします。YUMOさんもわからなかったことだから、RINAさんの責任ではありません。
先がぼんやりしすぎていてつらいとは思いますが、幸いなことに案件のピークはすぎたところなので、引き続きお願いします」
「はい。承知しました」
正直に言って、気が進まない仕事ではあるものの尊敬しているYUMO先輩と一緒にコンサルをしていたと聞き、興味が湧いてきたRINAであった。
それと、理由はわからないけど、 あだち部長の「お願いします」 は断りにくいというのが定説である。
RINAは、“数字と式とグラフだらけの分析結果”を見返してみた。
すると、数字と式のところは相変わらずわからないものの、確かにグラフをじっと見ていると、自分たちのイケているところと、イケていないところをそのまま表現していることに気が付いた。
例えば、「開発者が開発中に気づきそうな不具合がシステムテストで見つかっていると、リリース後に大問題が出ている」としか読めないグラフがあった。
もちろん、そんなことは知っていたけど、『グラフの説得力すご』とRINAは思った。
次は、提案書(1ページしかないので提案ページ?)の解読である。
提案ページには、「2年後のゴールをBMCで決める」と「ゴールとは状態である」しか書いていない。
何度数えてみても、全部で25文字である。
『“ゴールを決める”って、よく聞く“目的を明確に”と同じだよね。でも“2年後”と“BMCで”がついている。なぜ? わからない』
RINAの長所のひとつは、“わかったこと”と“まだわかっていないこと”を分離して言語化し、他の人に伝えることができることである。
『そういえば、最初にこのお話をいただいたときに、あだち部長が“開発部の咳さんの協力がもらえることになっている”って言ってたな。よし聞いてみるか』
善は急げである。
RINAは天神にあるベジスパでスープカレーを急いで食べて開発部へと向かった。
■シーン4. (開発部にて)13:00
開発部につくと、それぞれが黙々とパソコンの画面を見つめていたが、半分くらいは空席であった。
テレワークが定着し、自宅で仕事をすることを好む開発者が増えたからである。
そんななか、窓から優雅に外を眺めている男がいた。咳である。
咳は、開発部のテクニカルリーダーという、部全体の技術指導をおこなう職にあり、特定のプロジェクトには所属していない。
こうして、隙だらけの様子を披露することで、【誰がいつ質問してもいいんだよ】というオーラを出しているのだというが、単なる怠け者かもしれない。
しかし、咳に相談を持ち掛けて空振りに終わったことはないそうで、同僚の信認は厚い。
『でも、この提案書の内容についても詳しいのかしら?』
少し心配になったが、当たって砕けろの精神で思い切って声をかけてみた。
「あのぅ。ちょっとすみません」
「評価部のRINAさんが、今日はなに? ひょっとして、テストで大きなバグが見つかりましたか!?」
まるで、大きなバグがみつかることを願っているような言い方にRINAは戸惑った。
「いえ、今は仕事の狭間の時期でみんなテストはしていないんですよ。Dockerを利用したテスト環境の構築をしています」
「それはいい。構築が完成したら、開発部からも使えるようにしてもらえませんか? そうすれば、テスト環境と同じ環境でバグの再現確認ができるから。
些細な動作環境の違いで、バグを再現できずに数日経ってしまうなんてことがあるんです」
『咳さんと話をしていると、気が付くと“一緒にやりましょう”となっていることが多いから気をつけくださいね』とあだち部長が言っていたことを思い出し、苦笑するRINAであった。
「Dockerの件、承知しました。担当者もよろこぶと思います。ところで今日は、咳さんにご相談があってきました」
「なんだろう? 私が答えられることだといいんだけど」
咳は、オフィスの片隅にあるスペースにRINAを案内した。
そこには、RINAのオフィスとは対照的に、白くて四角いテーブルとその横に小さなホワイトボードがあった。ホワイトボードには消し忘れのシーケンス図が残っていた。きっと、小さな打ち合わせを頻繁に行う場所なのだろう。
『とても機能的な空間だ』とRINAは思った。
「実はこれなんですが……」
RINAは持ってきた冬川の提案書を咳に見せた。
「“ゴールを決める”ことの大切さはなんとなく分かりますし、そこが出来ているようでできていないと思っていたので、納得なのですが、“2年後”と“BMCで”が付いている理由がわからないのです。ゴールならもっと半年後といった前提条件が変わらない短期間のゴールを定めるほうがよいのではないかと思いますし、BMCはググったらビジネスモデルキャンバスのこととわかったのですが、それとゴールの関係が分かりません」
「うん。僕は冬川って人じゃないからこれから話すことが本当かどうかはわからない」
「はい。解決の糸口さえ見つからず、このままだと、あと1週間でタイムアウトなので、咳さんのお考えを聞きたいです」
「まず“2年間”だけれど、一般に“長期目標は方向性を与え、中・短期目標は達成感を与える”と言われてる。一般に1年後が短期で3年後が中期なので、その中間を指したんじゃないかなあ」
咳はホワイトボードに現在を表す〇と、1年後、2年後、3年後と書かれた小さな●を描いて説明してくれた。
「ほら。将来のズレ幅は遠くに目標を置くほど小さくなるだろう?」
RINAは、ちょっと騙されたような気がしたが、うなづいた。
「なるほどです。“BMC”については?」
「うーん。そもそも“BMC”を知らない。“BMC”ってなんだっけ?」
■シーン5. (メール)14:00
RINAは8階のオフィスに戻り、パソコンを開いた。するとメールが届いていた。
『誰からかな?』と思って開いたとたん、「えー」っと大きな声が出た。
周りがざわついたので、「すみません。なんでもありません」と謝るRINAであったが画面から目が離せない。
差出人は冬川だったのだ。
「RINAさん。こんにちは。
わけあって、メールしています。
私の提案書で困惑させてしまい申し訳ありません。
“2年後”と“BMCで”が付いている意味ですが、
“2年後”は、「ゴールの前提が生きている限度」という意味です。
また、“BMCで”は、「ゴールをビジネスの成功から設定する」という意味です。
大変だと思うけれど、頑張ってくださいね。
草葉の陰から応援しています。
冬川」
『“草葉の陰から”って“あの世から”って意味だよね』
『あの世にもインターネッツがつながったのかしら? そんなわけないよね』
RINAは差出人のアドレスを確認した。
冬川 <Vm2L6YH9@testes.com>
それはいつもRINA達が使っているテスト用のメールサーバー(testes.com)の捨てアカウント(ランダム生成したアカウント名)だった。
『きっと届かないだろう』と思いつつ、RINAは、[返信]ボタンを押し、「もぉ、どこにいるんですか?」とだけ書いたメールを[送信]する。
数分後、RINAあてにメールが届く。
”Delivery Status Notification (Failure).
The email account that you tried to reach does not exist.”
……メールサーバーから、冬川のアカウントはすでに消えていた。
つづく。
お読みくださってありがとうございます。
時間がなくなってしまったので、今年はここまでとします。
えっと、、、次回って、一年後