彼が辞めた理由は「成長できないから」だった。
2026年、初春。
入社2年目の若手エースが、退職願を出した。
彼は優秀だった。
ChatGPTとGitHub Copilotを息をするように使いこなし、私が3日かかる設計を半日で終わらせる。
エラーが出ればAIに聞き、新しい技術選定もAIと壁打ちして最適解を持ってくる。
私は彼を見て、正直ホッとしていた。
「手がかからない」
「勝手に育ってくれる」
「私の古い知識で邪魔しなくて済む」
1on1でも、技術的な指導はほとんどしなかった。
「すごいね」「助かるよ」「その調子で」
そう承認することが、「AI時代のマネジメント」 だと思っていた。
だが、彼は辞めた。
退職理由を聞くと、彼は少し困った顔をして言った。
「ここでは、これ以上成長できる気がしないんです」
私は耳を疑った。
「君はもう十分すぎるほど優秀じゃないか。AIも使いこなせているし、教えることなんてないよ」
すると彼は、静かにこう返した。
「そうですね。業務のやり方はAIが教えてくれました。でも、エンジニアとしてどう生きるかは、誰も教えてくれませんでした」
1. 「教えない優しさ」という名の「育児放棄」
世のマネジメント論ではこう言われる。
「これからの管理職にティーチングは不要だ」
「意味づけと環境づくりに徹しろ」
私はその言葉を、都合よく解釈していた。
「技術で勝てないから、教えることから逃げよう」
「AIがあるから、放置しても大丈夫だろう」
それは「権限委譲」でも「見守り」でもない。ただの 「関与の放棄」 だった。
AIネイティブ世代は、確かに「正解」への到達速度は速い。
How(やり方)は瞬時に手に入れる。
だが、彼らが本当に飢えているのは、「その正解を選んで、泥をかぶる覚悟」や「理不尽な要求に対する戦い方」といった、AIが語らない「生きた知見」 だったのだ。
私は彼に対して、
「なぜその技術を選んだのか?」と問い詰めることも、
「その設計だと運用チームが死ぬぞ」と泥臭い経験則で殴ることも避けていた。
「老害と思われたくない」という保身から、「物分かりのいい上司」 を演じていただけだった。
2. AIは「先輩」にはなれない
彼が求めていたのは、「機能する辞書」ではなく、「摩擦のある壁」 だったのかもしれない。
AIは優秀なイエスマンだ。
「このコードどう?」と聞けば、「素晴らしいですね、でもここはこう直せます」と優しく返してくれる。
決して怒らないし、失望もしないし、熱く語ったりもしない。
もし私が、もっと彼とぶつかっていれば。
「AIはそう言うかもしれないけど、俺の勘だとこっちだ」
「効率は悪いけど、俺はこの書き方が好きなんだよ」
そんな 「人間臭いエゴ」や「偏愛」 をぶつけ合っていれば、彼は「この人から盗めるものがある」と思ってくれただろうか。
帰属意識とは、会社の看板に宿るものではない。
「この人と働くと、なんか面白い」 という、個人の引力に宿るものだ。
私はAIに「機能」で負けることを恐れるあまり、人間としての「引力」さえも手放してしまっていた。
3. 「教わる」のではなく「継承する」
ある識者は言う。「若手とくくるのではなく、個別最適化しろ」と。
また別の識者は言う。「意味づけを語れ」と。
私は彼に、「私の弱さ」 を見せるべきだった。
「最近のAI凄すぎて、俺の仕事なくなるかもな(笑)」
「でもさ、昔こんな大失敗してさ、その時こうやって切り抜けたんだよ」
AIが学習データとして持っていない、私だけの失敗談。
私だけの後悔。
私だけの美学。
それらを語ることこそが、AI世代に対する唯一の 「ティーチング」 になり得たはずだ。
技術は教えられなくても、「エンジニアとしての姿勢(スタンス)」 は継承できたはずだ。
結論:去りゆく背中に、何を贈るか
最終出社日。
私は彼に、「新天地でも頑張って」と無難な言葉をかけた。
彼は「お世話になりました」と綺麗にお辞儀をして去っていった。
その背中を見ながら、私は心の中で詫びた。
「ごめんな。AIが教えてくれないことを、俺が教えるべきだった」
もし、今これを読んでいるあなたが、優秀なAIネイティブな部下を持って、無力感を感じているなら。
どうか、「教えること」 を諦めないでほしい。
Pythonの書き方は教えなくていい。
でも、「なぜ書くのか」、「書いていて何が楽しいのか」、「書き続ける苦しみと喜び」 は、あなたにしか語れない。
AIは「正解」を出す。
人間は「意味」を創る。
その「意味」を共有できた時初めて、部下はあなたを「上司」ではなく、「先輩」 と呼んでくれるのかもしれない。
※本記事は、架空の事例をもとにしたマネジメントにおける考察(ポエム)です。
