3ヶ月で10言語。俺は「多言語対応のプロ」になった気だった
2025年の夏、Next.jsのApp RouterとAI翻訳の組み合わせに感化された僕は、とんでもないことを宣言した。
「80記事、10言語、3ヶ月でリリースする」
ChatGPT APIに投げれば一気に翻訳できる。DeepL Proも使える。Google Cloud Translationもある。技術的にはnext-intlで完璧だ。ドメイン知識?僕は建築出身で、4年間技術職員として図面と格闘した経験がある。言語の「構造」なら理解できる。
そう、僕は 「AIと構造で全てを解決できる」 と本気で信じていた。
最初の「成功」
スプレッドシートに日本語原稿を入れて、こんなスクリプトを書いた。
// あの時の僕は笑っていた
const translateArticle = async (content: string, targetLang: string) => {
const prompt = `Translate this to ${targetLang}. Keep the tone professional but friendly.`;
return await openai.chat.completions.create({
model: "gpt-4",
messages: [{ role: "user", content: `${prompt}\n\n${content}` }]
});
};
ベトナム語、タガログ語、韓国語、中国語、インドネシア語、タイ語、ネパール語、ポルトガル語、英語。
一気に10言語。1記事あたりの翻訳コストは15円。80記事で1,200円。母語話者に依頼したら数十万円かかるところを、AIで3桁円で済ませた。
「これは革命だ」と思った。
サイトは美しく完成した。言語セレクターのUIも完璧。SEO対策もバッチリ。サブディレクトリ構造(/ja/, /en/, /vi/)はGoogleの推奨通り。
2025年11月、 JapanLifeStart(japanlifestart.com)は10言語対応でリリースされた。
転換点:ベトナム人からのDM
リリースから2週間後のことだった。
InstagramのDMに、ベトナム人のフォロワーからメッセージが来た。
「Yushiさん、サイトのベトナム語版見ました。あの...これ、ちょっと問題あります。私の友人は『この人、ベトナム人を馬鹿にしてるんじゃないか』と怒っていました」
心臓が止まるかと思った。
具体的な指摘を聞くと、こんな内容だった。
1. 「銀行口座を開設する」の翻訳が「牢屋の口を開ける」になっていた
日本語の「口座(こうざ)」を、ChatGPTは「口(くち)+座(ざ)」と分解したらしい。ベトナム語で「lao tù」(牢屋)の「miệng」(口)を「mở」(開ける)...壮大な誤訳。
2. 敬語の崩壊
日本語の丁寧な説明(「〜していただく」「〜なります」)が、ベトナム語では 「命令形」 になっていた。日本語の「〜してください」の敬語レベルが、ベトナム語では「お前、やれ」レベルになっていたらしい。
3. 文化の無視
「夫婦で銀行口座を共有する」という日本の記事が、ベトナム語版では「妻が夫の口座を管理する」という意味に変わっていた。AIは統計的な学習で、こういう「文化的ニュアンス」を平均化してしまう。
絶望の数々
慌てて他の言語もチェックしてもらった。
タガログ語版:「住宅ローン」が「借金の罠」というニュアンスに
韓国語版:「外国人社員」が「 outsider(外部者)」という排除的な表現に
中国語版:「安い」という表現が「安っぽい/粗悪な」という意味に
最悪だったのは、インドネシア語の「SIMカード」ページ。
日本語の「SIMフリー」という言葉が、インドネシア語で「bebas SIM」という、**「監獄から解放された」**というスラングになっていた。インドネシア人ユーザーから「私たちが囚人かのように扱われている」とクレームが来た。
訴えられかけた。というか、訴えられないまでも、「差別的コンテンツ」としてSNSで拡散される可能性があった。
技術的負債ではない、文化的負債
コードのリファクタリングなら僕は慣れている。建築の図面を何百回も修正したこともある。でも、これは違った。
「翻訳の質」は、技術的な問題ではなかった。
ChatGPTは文法を間違えていない。単語の対応も正しい。でも、 「文脈」 と 「文化」 と 「人間関係性」 を理解していない。
例えば、日本の「大家さん」という概念。英語では「landlord」、ベトナム語では「chủ nhà」になる。でも「chủ nhà」には、日本の「大家さん」が持つ 「親身になってくれる年配の人」 というニュアンスが含まれていない。
これは、言語の問題じゃない。文化の問題だ。
今のワークフロー
僕は翻訳パイプラインを根本から見直した。
// 現在のワークフロー
1. AI翻訳(GPT-4)→ 下書き生成
2. 母語話者レビュー(Fiverr/Upworkで確保)→ 文化的適合
3. 逆翻訳検査(翻訳→日本語に戻して意味が変わっていないか)
4. 配信(Sanity CMS)
最重要ポイント:「AIは翻訳家じゃなく、ドラフター」
AIにやらせるのは 「下書き」 まで。母語話者のレビューを絶対に通す。それにかかる費用は、1記事あたり2,000〜5,000円。でも、これをスキップすると、信頼を失う。
建築で学んだことが、言語で活きた
建築の現場で、先輩に言われた言葉がある。
「図面は正しく描け。でも、現場の人間の気持ちを図面に描けないかぎり、建物は人の心に届かない」
AI翻訳も同じだ。文法の正しさ(図面の正確さ)は担保できる。でも、読む人の背景、文化、現在の置かれている状況を理解しない限り、文章は「人の心に届かない」。
ベトナム人の留学生が、初めて日本の銀行に行く緊張。タガログ語を話す母が、子供のために役所に行く不安。これらは、語彙のデータベースにはない。
結論:多言語対応は「技術」じゃなく「文化」
Next.jsのi18nは完璧だ。ChatGPTの翻訳能力も凄い。でも、多言語サイトの核心は、技術じゃない。
あなたが日本語で書いた「親切な説明」が、ベトナム語では「上から目線」に、中国語では「冷たい事実羅列」になっているかもしれない。
「10言語対応」は技術的な勲章じゃない。10の文化を理解する責任だ。
今の JapanLifeStart では、各言語に「文化監修者」を置いている。費用はかかる。スピードは落ちる。でも、訴えられない。そして、読者から「このサイトは私たちのことをわかってる」と言われる。
AIは便利だ。でも、文化の橋渡しは、まだ人間しかできない。
教訓まとめ
- AI翻訳は「下書き」:母語話者レビューは必須
- 逆翻訳テスト:翻訳→日本語に戻して意味の変化を確認
- 文化監修者:言語の専門家だけでなく、その文化圏の生活者を巻き込む
- 「正しさ」より「優しさ」:文法より、その人の置かれた状況への想像力
追記(2026年2月):現在、JapanLifeStartのベトナム語版は、ベトナム人の生活サポートNPOの方に監修していただいています。あのDMをくれた方は、今ではサイトのベトナム語版編集者として活躍中です。失敗は、つながりの始まりになることもありますね。
