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とあるエンジニアの問題意識 2019-02-21

Last updated at Posted at 2019-02-21

プログラミングでは本質に集中したい。

本質的でないプログラミングとはなにか。今朝はpythonの日本語の扱いとひたすらに戦う。ただただ複雑なルールを覚えて行くだけでまったく本質的な感じがしない。要するに楽しくない。乗り越えたからといって大して上手にもならない。

ストレス度基準の作業コントロール。

単純作業での。たとえばBloggerの設定をする。最初はわからないことが多くてストレス度が高い。1個のブログを設定するだけで途方もなく疲れる。だからブログ作成と設定は1日1個まで。慣れてくるとストレス度が下がる。1日に3個ぐらいはできそうな気がしてくる。個数基準ではなく自分のストレス度を基準にする。

自分は性格的にハッカーではない気がする。

たとえばスタジオでは今、隣の席が空いている。出勤した時にここに自分のリュックサックを置くのはずるいと思ってしまう。たとえ一時的にではあっても。決められた境界線の中で物事を遂行しようとする。もし隣に人が引っ越してきたら再現性がなくなる動作だ。いやそう考えると、これは再現性のない手順を嫌うエンジニアらしい思考様式なのかもしれない。上位チャンクとしては「とりあえず手近に置けるところに置く」という概念にまとめると再現性がある。

まだまだ社会人力が低い。

社会人力をつけるためにどのようなロードマップを描けば良いか。本を一冊読めば済むような世界ではない。むしろ読書はまるで役立たない感覚がある。会社づとめの場合、社員ひとりひとりは会社の顔になる。看板を背負う。このメンタルモデルの持ち方が一番納得がいくように思う。

仕事のやり方で様々なハックを生み出す。

自分個人の状態もチームの状態も千差万別に変わりゆくので絶対回答は存在しない。ただひたすらに問題解決と適応を繰り返す中でおぼろげに円集合としての自分自身の本質が見え始める。たとえばサイレンスの中でキーボードを打ち鳴らすのが好きなことなど。

視覚過敏。

聴覚過敏。触覚過敏。これらをあわせて総合戦闘力のようなものが存在するようだ。耳栓とイヤーマフラーを装着してサイレンスの中にいると視覚情報に惑わされなくなる。普段であれば脳がたやすくオーバーフローを起こすSlackのチャンネル切替にもどうにかメモリを保てる感覚がある。

人間が自然的に働ける環境をどうにか死守したい。

だが会社組織の上では難しいこともある。Googleのような先進的な企業でもなければ瞑想や仮眠をするわけにはいかぬ。だが適応の最大化はできる。体を横たえての仮眠が無理なら自席でリクライニングを倒して体を休める。それが無理なら体を起こしながらしばらく目を閉じる。それすらも無理ならその場所で働く価値はない。

画面いっぱいに開いたSublimeTextの何も書かれていない画面が美しいなと思う。

世の中のソフトウェアにZenモードが搭載されている理由はこれだ。美しい。プログラミングやテキスト入力という行為自体が芸術だ。ソフトウェアにもアートデザインがあってほしい。

やはりイヤーマフラーの圧迫感がつらい。

聴覚過敏と肩こりのレベルを天秤にかける。首の角度は0.1度でも違うと体に甚大な影響をもたらす気がする。つける位置を慎重に操作したりして対策する。もし人間工学的に優れたイヤーマフラーが存在するなら10万円払っても惜しくない。耳と首を手術するのよりずっと安いだろう。

背中越しにSlackでやり取りをしながら仕事をする。

なんだか不思議な感覚だ。どちらかといえば僕は声で話すほうが好きなのだが、これも人の特性による。口頭で話す全体コストが高いのであれば、テキストでのやり取りの方が良い。方法論を固定せずにリズムをつかんで行こう。

因果関係はファンタジーだと思う。

gitのconflictが何故起こるのか未だに言語化して説明できない。

なぜそこがconflictするのかということを理論立てて説明できない。感覚としては分かっている。論理的にどちらかgitが決められない場合だ。システムというより理屈的な世界。おそらく。

vimを覚えておいてよかった。

このことを1週間ほどつぶやこうと思いつぶやけていなかった。ごく基本的な操作しか出来ないが、やはり独特の陶酔感がある。作者の意図したところかは分からないが遊戯的インターフェイスとして優れている。機能性がアミューズメントを作り出すパターン化。

プログラミングしていない時間が大事だ。

まるで生産性がないかのように錯覚する時間。目を閉じて考える。それはいつだ。設計のときだ。大きな曲がり角があると想像してほしい。いずれかの道を選んではるか遠くまで行ってから引き返すのは大変だ。熟考するのはその時。それぞれの交差点を。

チームでもスピードの競合がある。

たとえばスピードが1.1の人と1.0の人がいる。すると毎回、前者の人が発言したり、チケットを取る。1.0 の人と 0.9 の人が仕事をしたら、また結果が変わる。ほんのわずかな違い。良し悪しではなく。

少人数のメンバーで働くほど影響の因子が分かる。

大人数では誰がどんな考えをしているかが見えにくい。なにがどんな影響を誰に与えたのか。情報量や可能性の糸の数が多すぎてわからなくなる。観察力をつけるにはひとまずバリエーション最小化が必要だ。

心理的安全性ゲームというものがある。

これを人狼ゲームと混ぜ合わせたらどうなるんだろう。片方は信頼のためのゲーム。片方は裏切りのゲームだ。だが人狼ゲームも本質は信頼獲得にあると説いているゲーム会もあった。

やはりシャローワークとディープワークで、それぞれ最適な環境は違うみたいだ。

シャローワークが必要な時は聴覚過敏もさほど気にならない。耳栓も必要ない。高い集中力は必要とされず、常時接続みたいな細切れの注意力が必要とされる。何か武器の種類にでも例えられないものか。

Original by Github issue

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