普段、ブログやnoteの記事を書くときにChatGPTをかなり使っています。
自分で思いついたことをChatGPTに話して整理してもらったり、長く話した内容から記事を組み立ててもらったり、下書きを直してもらったり。
最近はこの方法にかなり慣れてきて、
「これだったら何でも記事にできるじゃん」
と思うくらいになりました。
ところが先日、久しぶりにほぼすべての文章を自分で書いた記事を公開しました。
1999年公開のホラー映画『死国』について、ひたすら悪口を書く記事です。
この記事自体は2023年頃から書こうとしていたのですが、途中で止まっていました。
今回、1週間くらい作業できる時間を用意して、映画を見直しながら実際の文章は2日ほどで一気に書きました。
そして完成した文章を見て、
AIを使って書いた文章と、自分で全部書いた文章は、やっぱりかなり違うな
と思いました。
今回は、そのとき気づいたことを書きます。
なぜ今回はAIに書かせなかったのか
最初から「今回は人間の力だけで書くぞ」と決めていたわけではありません。
むしろ普段のやり方を考えれば、ChatGPTに映画について話して、
「これを記事にしてください」
と頼む方が自然です。
ただ、この映画の記事については、それをやろうとすると妙に難しい。
単純に「この映画が嫌い」という話ではないからです。
私は『死国』に出てくる要素のかなりの部分が好きです。
お遍路、逆打ち、土着信仰、死者蘇生、霊媒、田舎、死んだ少女、執念深い母親。
好きなものが大量に入っています。
それなのに、
「なんでそうなるんだよ」
という場面が次々と出てくる。
だから映画を見ながら、
「ここは好き」
「ここから期待した」
「なんでそっちへ行くんだ」
「ここはもっとこうしてほしかった」
という感情が何度も発生します。
これをChatGPTに最初から書いてもらおうとすると、まず私が何に怒っているのかをChatGPTに理解してもらう作業が必要になります。
AIに説明するくらいなら、自分で書いた方が早かった
AIは怒った文章も書けます。
「もっと怒った感じにしてください」
「口を悪くしてください」
「勢いをつけてください」
と頼めば、それらしい文章は出てきます。
でも、今回必要だったのは「怒った文体」ではありませんでした。
なぜこの場面では嬉しかったのか。
なぜその直後に腹が立ったのか。
なぜ幽霊が人間の背骨を物理的に折った瞬間、私の頭の中で突然格闘技の話が始まったのか。
なぜエンディング曲は大好きなのに、映画についてはまだ怒っているのか。
こういうところまで正確に伝えようとすると、映画を見ながら感じたことを延々とChatGPTに説明する必要があります。
おそらく、それを何日もやればかなり近い文章は作れます。
でも、そこで思いました。
記事を書いてもらうための説明が、記事を書くより大変なのでは?
今回は映画を再生しながら、その場で感じたことを直接文章にしていった方が早い。
そこで久しぶりに、最初から最後まで自分で書くことにしました。
完成した文章は、かなり読みにくかった
そうして出来上がった記事をあらためて見ると、普段ChatGPTと作っている文章とはかなり違いました。
綺麗ではありません。
同じようなことを何度も言います。
突然怒ります。
話が脱線します。
映画のレビューをしていたはずなのに格闘技の話になります。
文章の途中で、
「馬鹿なの?」
だけが置かれています。
「ぬぼ〜」という謎の表現も出てきます。
さらに、幽霊が人間を抱きしめて背骨を折る音を表現するために、
「ゴリュキ!!!」
という謎の擬音まで生まれました。
情報だけを伝える文章として考えると、かなりノイズが多いです。
そこでAIに要約してもらった
元の記事を公開したあと、同じ内容をnoteにも掲載することにしました。
ただ、元の記事はかなり長い。
しかも、何も知らない映画について検索してきた人が読むには、悪口の密度が高すぎます。
そこで今度は、完成した長文をChatGPTに渡して、かなり要約してもらいました。
映画を知らない人でも人物関係や話の流れが分かるように整理して、細かい脱線を減らし、私が何に不満を持っているのかを読み取りやすくする。
すると、かなり普通に読みやすい映画レビューになりました。
元の記事はこちらです。
栗山千明さん出演のホラー映画『死国』が最悪だという話を事実陳列罪
そして、AIでかなり要約したnote版がこちらです。
実際、映画をまったく知らない人が「『死国』ってどんな映画なんだろう」と読みに来た場合、私はnote版の方が圧倒的に読みやすいと思います。
何の話をしているのか分かりやすい。
重要な部分が整理されている。
脱線も少ない。
普通の記事として考えるなら、こちらの方が優秀なのかもしれません。
でも、元の記事にあった何かが減っている
ところが2つを比べてみると、面白いことに気づきました。
AIで要約した文章は、私が言いたかったこと自体はかなり残っています。
恋愛描写よりホラーを見たかった。
御朱印だらけの部屋は好きだった。
死者蘇生の設定も好きだった。
幽霊の殺し方が物理的すぎるのが嫌だった。
もっと村や家族の嫌な部分を掘ってほしかった。
こうした主張は残っています。
つまり、情報はかなり残っている。
一方で、元の記事にあった理不尽なものがかなり減っています。
突然の悪口。
同じことを何度も言うしつこさ。
意味不明な脱線。
謎の擬音。
映画を見ながら発生した、その瞬間の連想。
こうしたものは要約すると当然削られます。
情報を伝えるためには必要ないからです。
「ゴリュキ!!!」は必要な情報なのか
たとえば、
「幽霊の殺害方法が物理的すぎて、恐怖が薄れてしまった」
と書けば、私の言いたいことは伝わります。
こちらの方が圧倒的に分かりやすいです。
でも元の記事では、そんなに綺麗には進みません。
幽霊が抱きしめる。
背骨が折れる。
ゴリュキ!!!
なんで物理なんだ。
そこから格闘技の話まで始まる。
映画の内容を理解するために「ゴリュキ」という言葉は必要ありません。
格闘技の話も必要ありません。
要約するなら削るべき部分です。
でも、
「ゴリュキ!!!」の方が妙に記憶に残る。
ここが面白いところでした。
読みにくさは、全部悪いものなのか
私は普段、ChatGPTを使って文章を作るとき、
「読みやすくしてください」
「整理してください」
「重複を減らしてください」
ということをかなりやっています。
もちろん、それで文章は読みやすくなります。
今回のnote版を見ても、その効果はかなり大きいと思います。
でも今回、自分で全部書いた文章とAIで要約した文章を並べたことで、
読みやすくするときに削っているものの中には、本当に全部いらないものなのだろうか
と思うようになりました。
脱線。
重複。
突然の短文。
謎の言葉。
話の飛躍。
感情の急変。
これらは読みやすさという基準では邪魔です。
でも、人が文章を書いたときに出てくる「癖」でもあります。
そして、その癖が強ければ強いほど、
「なんだこの文章」
と記憶に残ることがあります。
トゲトゲした文章の方がSNSでは強いのでは、という仮説
ここからは、今回の実験で証明できた話ではありません。
最近、私がSNSを見ていて感じていることです。
綺麗に整理された文章よりも、少しトゲトゲしていたり、妙な言葉が入っていたり、感情がそのまま飛び出している文章の方が、人の目を止めることがあるのではないかと思っています。
SNSでは大量の文章が流れていきます。
その中で、
「映画の恐怖演出として物理的な殺害方法が合わないと感じました」
という文章と、
「なんで幽霊が物理で背骨折るんだよ。ゴリュキ!!!」
という文章が並んでいたら、後者はかなり異物です。
良い文章かどうかは別です。
読みやすい文章かどうかも別です。
でも、目には止まります。
元の記事には、そういう異物が連続爆撃のように出てきます。
読みにくい。
うるさい。
理不尽。
でも、それが文章の魅力になっている部分もあるのではないか。
今回、久しぶりに全部自分で書いてみて、そう感じました。
AIに同じトゲトゲさを書かせるのは意外と難しい
もちろん、AIにも変な文章を書かせることはできます。
「もっとトゲトゲさせて」
「突然脱線して」
「謎の擬音を作って」
と指示することもできます。
ただ、今回の「ゴリュキ」は、最初から計画して作った言葉ではありません。
映画を見て、私が変な感想を言って、その途中で言葉が変化して、なぜか定着したものです。
格闘技の話に飛んだのも、最初から記事構成に入れていたわけではありません。
その瞬間にそう思っただけです。
こういう予測できないノイズを狙って再現しようとすると、それ自体がかなり難しい。
AIに書かせることが不可能という意味ではありません。
むしろ、十分な情報と指示を渡せばかなり近づけられると思います。
ただ、そのために自分の感情や連想を何日も説明するのであれば、
今回は自分で書いた方が早かった。
それが、実際に私が出した結論でした。
AIで書くか、自分で書くかではなかった
今回の2つの記事を比べてみると、どちらか一方が正解という感じもしませんでした。
映画について何も知らない人に内容を伝えるなら、AIで整理したnote版の方が読みやすい。
一方で、私が映画を見ながら何を考えていたのかをそのまま残すなら、人力で書いた長尺版の方が圧倒的に濃い。
目的が違います。
AIで文章を整理することによって、私はかなり多くの記事を書けるようになりました。
これは今後も使います。
ただ、
すべての文章を綺麗にする必要はないのかもしれない。
とも思うようになりました。
読みにくさ。
脱線。
重複。
突然の悪口。
意味の分からない擬音。
情報として見ればノイズです。
でも、そのノイズの中に、書いた人間そのものがかなり入っている。
久しぶりにAIをほとんど使わずに一本の記事を書いたことで、AIを使わないことの価値というより、
普段AIで文章を綺麗にするとき、自分は何を削っているのか
が少し見えた気がしました。
そして次にAIへ、
「もう少し読みやすくしてください」
と頼むときは、
その読みにくさ、本当に全部消していいのか?
を少し考えてから頼もうと思います。
ゴリュキまで消す必要はないのかもしれません。
文系Qiita部
この記事で扱った現象は、ChatGPTと長文を作っている途中で気づいたことの一つです。
実際には、一つの記事を長期間一緒に作っていると、文章が綺麗に整理されすぎたり、途中の細かい情報が消えたり、誰が最初に言った言葉なのか分からなくなったりと、他にもいろいろな「なんか変だ」が起きました。
それらを一つずつ切り出して観察した記録を「文系Qiita部」にまとめています。
今回比較した2つの記事はこちらです。
人間がほぼすべて書いた長尺版
栗山千明さん出演のホラー映画『死国』が最悪だという話を事実陳列罪
長尺版をAIでかなり要約したまろやか版