はじめに
最近、「生成 AI を使うようになったけど、逆に忙しくなった」「仕事がより大変になった」といった記事や意見を目にすることがあります。
もちろん、個人の体感の話ですし、そう感じる人がいることは否定しません。ただ、「生成 AI を使うと仕事が忙しくなる」といった形で主語が大きくなってしまった場合は、個人的には、少し文脈が足りていないと感じる部分があります。
以前、以下の記事で生成 AI 時代の人材像について整理しましたが、今回はその生産性の側面について、自分の考えを整理してみたいと思います。
※体感的な部分も大きいテーマのため一概には言えませんが、あくまで私個人の見解として、大きく二つの観点で捉えています。
観点1. 生産性は「分母」だけでは測れない
生産性を分数で考えると、分子が生み出すアウトプット量、分母が労働時間です。
生成 AI によって、生み出すアウトプットが仮に 2 倍になったとします。従来であれば倍働く必要があったところが、生成 AI のおかげで労働時間は 1.数倍程度に抑えられているのではないかと思います。これは生産性としては明確な向上です。
「忙しくなった」という評価は、この分母(労働時間)だけを見ていて、分子(アウトプットの増加)を度外視しているケースが多いのではないかという認識です。正確に捉えるには、生み出しているアウトプット量が増えていることも踏まえて評価する必要があると考えます。
その上で、何を目指すのか
分子と分母の両方を見た上で、組織として何を目指すかは状況次第だと考えています。
- もともと残業量が多い組織の場合、同じアウトプット量のまま、適正な残業量、むしろ定時退社を目指す
- もともとそれほど残業量がない組織の場合、同じ労働時間でアウトプット量を増やす
経営目線では、できれば同じ労働量(もしくは若干減らしつつ)で、生み出すアウトプットを増やす方向を目指したいところかなと思います。
観点2. 生成 AI は「元々の無駄」も増幅する
もう一つ、別の側面もあると感じています。
組織の中には、売上などの価値あるアウトプットに直接つながらない仕事が生まれてしまうケースが、少なからず存在する認識です。これは生成 AI 以前からある、仕事の設計やマネジメントの課題です。
そこに生成 AI が加わると、実質的に「メンバーが増える」のと同じ状態になります。その結果、価値に直結しない成果物がさらに量産され、それを受け取る周囲の認知資源まで消費してしまう。労働時間は増えるのに、生み出す価値は増えていない、ということが起こり得ます。
ただ、これは生成 AI の問題というよりも、元々あった課題が生成 AI によって可視化・増幅されたと捉える方が正確ではないかと考えています。「生成 AI を使っても結局良くならない」という結論に至る前に、そもそも何のためのアウトプットなのかを見直す機会と捉えるのが建設的かなと思います。
「忙しさの実感」自体は否定できない
改めてですが、「忙しくなった」という実感そのものを否定するつもりはまったくありません。
むしろ、そう感じるのが自然な構造があると考えています。
例えば、2 倍のアウトプットを、同じ時間、もしくは 1.数倍程度の時間で生み出しているとすれば、単位時間あたりの仕事の密度は確実に上がっています。アウトプットが増えれば、その分、確認作業や修正作業、レビュー、調整といった業務も増えるため、そういった点で忙しさを感じる部分は出てくるのかなと思います。
また、仮にアウトプットが 2 倍になったとしても、では労働時間を半分にできるかというと、そういうわけではありません。生み出す量が増えても労働時間はあまり変わらないため、そういった意味でも「忙しくなった」と感じてしまう部分は、もしかしたらあるのかもしれないと思っています。
さらに、量だけでなく質の面もあると考えています。生成 AI が生み出すアウトプットは、場合によっては、自分が本来生み出すことができるレベル以上のものになるケースもあると思います。例えば、これまで 5 時間かけて 1 のアウトプットだったものが、1 時間で 5 のアウトプットになるとすれば、生産性としては数倍です。ただ、その「5」を確認、レビューすること自体の認知負荷はそれなりに高い部分があるかなと思います。自分の実力以上のものと向き合い続けるという意味で、量が同じでも疲れを感じる要因になり得るという認識です。
ただそれは「生産性が下がった」ということではなく、アウトプットが増えたことに伴う、いわば成長痛のようなものではないかという認識です。
増えたアウトプットは評価や報酬に反映する必要がある
その上で、組織側に求められることもあると考えています。
仮にアウトプットが 2 倍になった、目に見えてアウトプットが増えたということであれば、同じ労働時間であっても、働く側の体感は変わってくる部分があるのかなと思います。そういった点を踏まえると、増えたアウトプットを評価や報酬に加味する必要が出てくると考えています。
そうしないと、働く側からすれば「ただ忙しくなっただけ」で、自分にはあまりベネフィットがないという状態になってしまいます。その結果、「忙しくなった」という体感がより増してしまう可能性もあるかなと思っています。
生成 AI の活用を組織として推進するのであれば、生産性の向上分をどう本人に還元するかもセットで設計することが、この体感のギャップを埋める上で重要ではないかという認識です。評価の観点については、冒頭で紹介した人材像の記事でも触れていますので、併せて参考にしていただければと思います。
まとめ
今回は、「生成 AI で逆に忙しくなった」という意見について、自分の考えを整理してみました。
- 生産性は分子(アウトプット)と分母(労働時間)の両方で捉える必要がある
- 生成 AI は元々あった仕事の無駄も増幅するが、それは生成 AI 自体の問題ではない
- 忙しさの実感は本物だが、生み出している価値も一緒に増えているかという視点とセットで評価したい
体感に基づく部分も大きいテーマのため、「うちの現場ではこうだった」といった皆さんの実感や意見も伺えると嬉しいです。
本記事が、生成 AI 活用の効果を組織で評価する際の参考になれば幸いです。
