本記事の対象:
🔰 初心者: スカルペルって何?シャドーAIって何?Mythosって何?
🔧 中級者: Project Glasswingの構造と、シャドーAIの具体的リスク
🚀 上級者: 医療インフラへの脅威と、臨床工学技士としてできること
本記事は連載「AI実装が不可欠な医療機器の未来図」第8回「シャドーAIの脅威と戦略的ガバナンス」と連動しています。
連載インデックスは記事末尾に掲載しています。
はじめに:「スカルペル」という言葉を知っていますか?
スカルペル(scalpel)——外科用メスのことです。
| 読者 | イメージ |
|---|---|
| 医療の人 | 手術で毎日目にする刃物。切れれば切れるほど術者の助けになるが、使い方を誤れば致命傷になる |
| ITの人 | 超高精度な専用ツール。的確に使えば最高の結果を出すが、誤用・不正使用は取り返しのつかない被害をもたらす |
AIはまさにスカルペルです。
適切に管理・使用されれば診断・業務・研究を革新できる。しかし管理されずに使われる「シャドーAI」は、患者データを刃にかけるのと同じです。
そして今、その「スカルペル」がかつてないほど鋭くなりました。Anthropicが開発した最新モデル「Claude Mythos」は、人間のトップクラスのセキュリティエンジニアを超える能力を持つとして、一般公開を封印されました。
本記事では2つのテーマを一本でお届けします。
- Claude MythosとProject Glasswing——なぜAnthropicはモデルを封印したのか(1次情報)
- シャドーAIが医療現場で絶対NGな理由——臨床工学技士の視点から考察
どちらも根っこは同じ問いです。「AIという刃を、誰が、どう管理するか」
🔰 まず全体像を把握する
Claude Mythosとは何か
Claude Mythosは、Anthropicが開発した未公開のフロンティアモデルです。通常のClaude(Sonnet・Opus)とは別の、研究・評価段階にある最先端モデルです。
特筆すべきは、このモデルがサイバーセキュリティ能力において突出しているという点です。Anthropicは公式ブログでこう述べています。
「AI models have reached a level of coding capability where they can surpass all but the most skilled humans at finding and exploiting software vulnerabilities.」
(AIモデルは、ごく一部の高度なセキュリティ専門家を除くすべての人間を超えるレベルで、ソフトウェアの脆弱性を発見・悪用できる段階に達した)
Project Glasswingとは何か
「強力な攻撃能力を持つモデルを、防御目的に先行使用する」という取り組みです。Anthropicが$1億の利用クレジットを拠出し、世界の主要企業11社とともに立ち上げました。
参加企業(公式発表):
AWS・Apple・Broadcom・Cisco・CrowdStrike・Google・JPMorganChase・Linux Foundation・Microsoft・NVIDIA・Palo Alto Networks
シャドーAIとは何か
病院や組織が公式に認めていないAIツールを、スタッフが個人的に勝手に使うこと
❌ 看護師が患者の記録をChatGPTに貼り付けてサマリーを作る
❌ 医師が診察メモをGeminiに入力して文書作成する
❌ 事務スタッフが患者情報を含む書類をAIに読み込ませて翻訳する
❌ 研究者が未発表の患者データをクラウドAIに入力して解析する
「便利だから使っただけ」「バレないから大丈夫」——この感覚が最も危険です。
MythosとシャドーAIは、どちらも**「管理されていないAI」が何をするか**という問題の、異なる側面です。
🔧 Mythosが実際に何をしたか(1次情報)
2026年4月7日、Anthropic公式サイトはこう書いています。
"We do not plan to make Claude Mythos Preview generally available."
(Claude Mythos Previewを一般公開する計画はない)
Anthropic公式:https://www.anthropic.com/glasswing
数千件のゼロデイ脆弱性を自律的に発見
「Mythos Previewはすべての主要OSとすべての主要ブラウザで、数千件の高深刻度の脆弱性を発見した。中には数十年間、誰にも発見されなかったものも含まれる。」
「ゼロデイ脆弱性」とは、開発者自身も知らない未修正の欠陥のことです。これを人間の介入なしに自律発見・悪用コードまで書いたというのが衝撃の核心です。
具体的な発見例(Anthropic Frontier Red Teamブログより)
| 発見内容 | 詳細 |
|---|---|
| FreeBSD RCE脆弱性 | 17年間存在した脆弱性(CVE-2026-4747)。未認証ユーザーがroot権限取得可能 |
| OpenBSD脆弱性 | 27年前から潜在していたもの |
| FFmpegの脆弱性 | 16年前から存在 |
| Linuxカーネル | 100件のCVEから40件を選択、そのうち半数以上で権限昇格エクスプロイトを自動生成 |
公式技術ブログ:https://red.anthropic.com/2026/mythos-preview/
「自律的」の意味を正確に理解する
「When we say 'fully autonomously', we mean that no human was involved in either the discovery or exploitation of the vulnerability after the initial prompt.」
(最初のプロンプト実行後、脆弱性の発見から悪用に至るまで人間が一切関与しなかった)
今まで:「熟練のセキュリティエンジニアが数週間かけてようやく見つかるかもしれない」脆弱性
今後:「AIが自動で大規模スキャンし、攻撃コードまで自動生成できる」
なぜ公開しないのか
- オフェンシブ能力が、制限なしの利用においてディフェンシブ用途をはるかに超えている
- セキュリティ能力だけを選択的に無効化できない(モデル全体のコア能力と不可分)
- 同等能力が他社でも出現するまでの時間窓が限られており、その間に防御側が先手を取る必要がある
シャドーAIのリスク1:データが「院外」に出た瞬間にアウト
Mythosが教えてくれることがあります。**「院内のITシステムには、数十年前から誰も知らない脆弱性が眠っている」**という事実です。
シャドーAIはその状況をさらに悪化させます。患者データをクラウドAIに送信した瞬間、そのデータは組織の管理外に出ます。
連載第14回でも書いたように:
ChatGPTに質問する。SNSに投稿する——これらの行為のたびに、私たちの情報はデータベースに蓄積され、世界中からAIが学習するためのデータになっています。医療データも例外ではなく、海外の研究機関やAI企業が日本の医療データにアクセスしようとする動きは加速しています。
厚生労働省ガイドライン(v6.0)では、患者識別情報を含むデータのクラウド送信には事前の安全管理措置と責任者の承認が必要と定めています。シャドーAIはその要件を満たしません。
シャドーAIのリスク2:「匿名化した」は免罪符にならない
「62歳・男性・透析患者・札幌市在住・〇〇病院で治療中」
→ 名前がなくても準識別情報として個人特定が可能
シャドーAIのリスク3:ハルシネーションが検証プロセスなしに診療に混入する
AIは事実でないことを自信を持って答えます。シャドーAIで使われると検証プロセスがなく、誤情報がそのまま診療記録や患者説明に反映されるリスクがあります。
シャドーAIのリスク4:モデルレベルの情報漏洩(査読論文より)
PubMedより取得した査読論文(Wang Y, et al. 2024, British Journal of Ophthalmology)によると、生成AIのセキュリティリスクは「モデルレベル」と「データレベル」の2層に分類されます。
| リスク層 | 具体的な脅威 |
|---|---|
| モデルレベル | モデルへの攻撃による知識の漏洩・敵対的攻撃 |
| データレベル | 無断データ収集・データ精度の問題 |
論文は「臨床での実装前に包括的な規制と臨床検証が不可欠」と結論づけています。
🚀 医療現場への影響——臨床工学技士としての考察
医療インフラは「AI攻撃の最優良ターゲット」
Anthropic自身が公式サイトで「医療記録を保存するシステム」を攻撃対象の典型例として挙げています。なぜ医療が標的になるのか:
- 支払い圧力が高い: 診療を止められると患者の命に直結するため、病院は身代金を払いやすい
- セキュリティ投資が低い: 医療機器のサイバーセキュリティより診療機能が優先される傾向
- レガシーシステムが多い: 長年稼働し続けている古いOSや接続機器が多数存在する
- 人的脆弱性が高い: 多職種が多端末からアクセスするため、侵入経路が多い
PubMedが示す「医療サイバー攻撃の現実」
以下、PubMedより取得した査読論文の知見を示します。
1. コーク大学病院ランサムウェア攻撃の詳細報告
Keogh RJ, et al. (2024). Dealing with digital paralysis: Surviving a cyberattack in a National Cancer center.
Journal of Cancer Policy, 39, 100466.
DOI: 10.1016/j.jcpo.2023.100466
アイルランドの国家医療ランサムウェア攻撃(2021年)を当事者が詳細に報告した論文です。
| 日数 | 状況 |
|---|---|
| Day 0 | 全ITシステムシャットダウン。がん手術・放射線治療が停止、外来50%減 |
| Day 0 | 血液検査90%減、放射線画像90%減(マンモ・PET全停止) |
| Day 0〜120 | 放射線治療が中断した患者113名。治療空白期間:中央値6〜10日 |
| Day 28 | メール通信がようやく復旧 |
| Day 210 | 2,000台以上のPCを検査・交換完了 |
論文は自然災害対応計画と同等のサイバーアタック対応計画の整備を強く勧告しています。
臨床工学技士への示唆: 止まったのは「ソフトウェア」だけではありません。透析装置・人工呼吸器・輸液ポンプを支えるネットワークインフラが機能しなくなったとき、臨床工学技士は何ができるのか——これが問われます。
2. 医療ランサムウェアの系統的メディアレビュー
Avery A, et al. (2025). Media Framing and Portrayals of Ransomware Impacts.
Journal of Medical Internet Research, 27, e59231.
DOI: 10.2196/59231
医療ランサムウェア攻撃は単一障害点からカスケード的に波及するパターンが支配的。患者の転帰への影響は「定量化が困難」として過少評価されがちです。
3. 医療用接続デバイスのAI駆動セキュリティ(EU CYLCOMED)
Tozzi AE, et al. (2025). The alliance of cybersecurity and artificial intelligence in digital healthcare.
Recenti Progressi in Medicina, 116(9), 489–496.
DOI: 10.1701/4556.45571
EU資金のCYLCOMEDプロジェクトが輸液ポンプと小児心不全患者の遠隔モニタリングシステムを対象に、AIによるサイバー脅威検知システムを構築した研究です。「高度な技術ツール・セキュリティ意識・予防戦略の統合が患者安全確保に不可欠」と結論づけています。
4. 医療組織における人的要因(系統的レビュー)
Nifakos S, et al. (2021). Influence of Human Factors on Cyber Security within Healthcare Organisations.
Sensors, 21(15).
DOI: 10.3390/s21155119
70本の文献を対象にしたレビューで、医療組織のサイバーセキュリティを脅かす最大要因が「人間の行動」だと示しています。これはシャドーAIが生まれる根本原因でもあります。
臨床工学技士だからこそ見える「接続機器のリスク」
臨床工学技士が日常的に管理する機器を見直してみます。
| 機器種別 | ネットワーク接続状況 | AI攻撃時のリスク |
|---|---|---|
| 血液透析装置 | 院内LANに接続(透析記録・水質データ) | 設定改ざんで治療条件変更リスク |
| 人工呼吸器 | ナースコール・モニタリングと連携 | アラーム無効化・パラメータ改ざん |
| 輸液ポンプ | 薬剤ライブラリサーバーと連携 | 投与量設定変更 |
| ME機器管理システム | 機器貸し出し・点検履歴の一元管理 | 整備記録改ざん・機器追跡不能 |
| 電子カルテ連携 | 検査値・バイタルデータの連携 | データ改ざんによる誤診誘発 |
Mythosレベルのモデルが攻撃に使われた場合、従来「専門家がようやく見つけられる」脆弱性が自動的に発見・悪用されるわけです。
シャドーAIが「絶対ダメ」な理由を一文で
患者の命に関わるデータを、組織が管理できないところに持ち出すことは、手術室でスカルペルを素人に渡すのと同じです。
では「正しいAI利用」とは何か
シャドーAIを禁止するだけでは、スタッフは「不便」を感じて隠れて使い続けます。大切なのは正しいAI利用の環境を組織が整備することです。
3つの原則
① データを院外に出さない(ローカルAI / プライベートクラウド)
- オンプレミス型LLM(例:Ollama + Qwen2.5 32B)
- プライベートクラウド(Azure OpenAI Serviceのエンタープライズ契約等)
Project Glasswingが示したように、同じAI能力が「防御」にも使える。院内ローカルLLMによる脆弱性スキャンは、まさにGlasswing型アプローチの院内版です。
② 承認されたツールのみ使用する
組織が安全性・規制適合を確認したAIツールのみを「承認リスト」として提示する。「これを使えばいい」と迷わない状態を作ることが重要です。
③ 教育と透明性
「なぜダメなのか」を伝えずに禁止するだけでは機能しません。シャドーAIのリスクを全スタッフが理解できるレベルで説明する教育が必要です。
医療現場でよく聞く言い訳と、その反論
| よく聞く言い訳 | 現実 |
|---|---|
| 「匿名化したから大丈夫」 | 医療データは少ない情報の組み合わせで再識別可能 |
| 「スマホのアプリだから外部サービスじゃない」 | スマホアプリも外部サーバーに送信している |
| 「ちょっと確認しただけ」 | 送信された瞬間にデータは組織の管理外に出る |
| 「他の病院もやってる」 | 違反が広まっていても、違反の正当化にはならない |
| 「ChatGPTはセキュリティが高い」 | エンタープライズ契約なしでは患者データ入力に適さない |
日本の医療現場における優先課題
短期(〜3ヶ月):
- 院内接続機器の全数棚卸しと脆弱性評価
- 医療機器メーカーへのセキュリティパッチ提供スケジュールの確認
- ランサムウェア対応計画の策定(コーク大学病院の事例を参照)
中期(3〜12ヶ月):
- AI駆動型の医療機器セキュリティ監視ツールの導入検討(CYLCOMED型アプローチ)
- 臨床工学技士を含む多職種サイバーセキュリティチームの編成
- オフライン運用時の業務継続計画(BCP)の医療機器版作成
長期(1年〜):
- 厚生労働省ガイドライン(v6.0)の医療機器セキュリティ要件への適合
- 院内セキュリティ診断へのAIツール活用(Project Glasswing型の院内版)
1次情報まとめ
Mythos / Project Glasswing
| 情報源 | URL |
|---|---|
| Anthropic Project Glasswing 公式 | https://www.anthropic.com/glasswing |
| Anthropic Frontier Red Team(技術詳細) | https://red.anthropic.com/2026/mythos-preview/ |
| Fortune(発表報道) | https://fortune.com/2026/04/07/anthropic-claude-mythos-model-project-glasswing-cybersecurity/ |
| VentureBeat(独占インタビュー) | https://venturebeat.com/technology/anthropic-says-its-most-powerful-ai-cyber-model-is-too-dangerous-to-release |
関連する法律・ガイドライン(日本)
| 資料 | URL |
|---|---|
| 医療情報システムの安全管理に関するガイドライン第6.0版 | https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.html |
| 個人情報保護委員会ガイドライン | https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/ |
| 薬機法プログラム医療機器ガイダンス | https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000187060.html |
参照論文(PubMedより取得)
| 著者 | 内容 | DOI |
|---|---|---|
| Keogh et al. 2024 | 医療ランサムウェア攻撃の120日間詳細報告 | 10.1016/j.jcpo.2023.100466 |
| Avery et al. 2025 | 医療ランサムウェア報道の系統的レビュー | 10.2196/59231 |
| Tozzi et al. 2025 | 輸液ポンプ・遠隔モニタリングのAIセキュリティ(EU CYLCOMED) | 10.1701/4556.45571 |
| Nifakos et al. 2021 | 医療組織における人的要因とサイバーセキュリティ(70文献レビュー) | 10.3390/s21155119 |
| Wang Y, et al. 2024 | 生成AIのセキュリティ・プライバシーリスクの2層分類 | 10.1136/bjo-2024-325167 |
| Temsah A, et al. 2025 | 医療における生成AIガバナンスの課題 | 10.7759/cureus.79221 |
本連載「AI実装が不可欠な医療機器の未来図」全14回
第7回京都医工連携カンファレンス(2026年3月30日)連動連載。
| 回 | タイトル | リンク |
|---|---|---|
| 第1回 | なぜ今、臨床工学技士がAI実装を考えるべきなのか | note |
| 第2回 | 医療DXの現状——数字で見る日本の遅れ | note |
| 第3回 | 生成AIが医療にもたらす「質的転換」とは | note |
| 第4回 | 従来AIと生成AIの違い——SaMDリスク分類を理解する | note |
| 第5回 | 日本の医療データは活用の余地が大きい | note |
| 第6回 | 臨床実装の現実——自動化で何が変わるか | note |
| 第7回 | CE×AI実践事例——予測・検知・多職種連携 | note |
| 第8回 | シャドーAIの脅威と戦略的ガバナンス(本記事) | 本記事 |
| 第9回 | 課題解決から学術的価値へ——4段階パイプライン | note |
| 第10回 | CEこそ次世代の開発者——AIコーディングツール活用 | note |
| 第11回 | 「三刀流」人材が2030年の医療を制する | note |
| 第12回 | 2030年に向けて、今日から始められる3つのアクション | note |
| 第13回 | SNS発信が医療AIを変える | note |
| 第14回 | 一緒に医療の未来を開発しましょう——振り返りとこれから | note |
まとめ
- スカルペル(scalpel)=外科用メス:切れれば切れるほど有益だが、管理なしに使えば致命的——AIも同じ
- Claude Mythosは実在するAnthropicの未公開モデル。全OS・全ブラウザで数千件のゼロデイ脆弱性を自律発見した
- Project Glasswingは「攻撃AI」を「防御目的」に先行利用する$1億規模の官民連携
- シャドーAIは組織が承認していないAIツールを個人が勝手に使うこと——患者データの院外送信・無断利用は法令違反になりえる
- PubMedの実証研究は、ランサムウェア1件で放射線治療が113名止まり、復旧に210日かかった現実を示している
- 臨床工学技士は医療機器とネットワークの接点に立つ職種として、この問題の最前線にいる
- 解決策は「禁止だけ」でなく、「組織として正しいAI環境を整備すること」
医療AIの現場実装に関心のある方は、ぜひ筆者の匿名アイデア掲示板にご意見をお寄せください。
👉 taichiendoh.com/ideas
本記事はAnthropicの公式発表(anthropic.com/glasswing)・PubMed掲載の査読論文・厚生労働省公式ガイドラインを1次情報として作成しています。PubMedより取得した情報の帰属はすべて各論文著者に帰します。DOIリンクより原著論文を必ずご確認ください。