プログラミングとの出会い
大学2年生の春、プログラミングの授業でC言語を学び始めた。最初は単純なエディタを使っていたが、プログラミングの面白さにどんどんのめり込んでいった。コードを書き、それが動作する瞬間の喜びは何物にも代えがたかった。
大学3年生:本格的なプログラミング環境との格闘
大学3年生になると、より複雑なプログラムを書くようになり、本格的な開発環境の必要性を感じ始めた。そんな時、プログラミング環境を探っていくうちに、emacsやvimの存在を知った。これらのエディタは、多くの開発環境やツールに付随して登場し、「本格的なプログラマーはこれを使う」といった雰囲気があった。
しかし、emacsもvimも、なかなか操作に慣れることができなかった。画面に表示される情報の意味がわからず、基本的な編集操作さえ困難を極めた。「h,j,k,l」で移動? 「:wq」で保存して終了? これが本当に効率的なのだろうかと疑問に思いながらも、必死に使いこなそうと努力した。
その頃、Windowsでプログラミングをする人たちの間でcygwinが大流行していた。UNIX風の環境をWindows上に構築できるcygwinは、多くの学生プログラマーにとって憧れの存在だった。「本物のプログラマーはcygwinを使う」という雰囲気さえあったのを覚えている。
意気揚々とcygwinをインストールしたものの、その設定の複雑さに戸惑った。パスの問題やDLLの競合など、環境構築だけで疲れ果ててしまった。プログラミング自体の面白さを忘れそうになるほど、環境設定に苦労した日々が続いた。
xyzzyとの運命的な出会い
emacsやvim、そしてcygwinに苦戦し、落ち込んでいたある日、日本の掲示板で「xyzzy」という名前を見つけた。「emacsライクだけど、日本人向けに作られたGUIも使えるエディタ」という紹介に惹かれ、試してみることにした。
xyzzyを起動して驚いた。emacsに似ているけど、なんだかとっつきやすい。メニューバーがあるし、ヘルプも日本語。それに、動作が軽快! cygwinのような複雑な環境設定も必要なく、Windowsにインストールしてすぐに使えるのが嬉しかった。
xyzzyでのプログラミング体験
#include <stdio.h>
int main() {
printf("Hello, xyzzy!\n");
return 0;
}
このシンプルなコードを書いた時、「ここまで直感的に使えるのか」と感動したのを覚えている。cygwinを使わなくても、xyzzyだけでWindowsでの快適なプログラミング環境が手に入ったのだ。
カスタマイズの楽しみ
xyzzyの設定ファイルも確かにLispだった。でも、なぜかemacsの時よりも理解しやすい。少しずつカスタマイズを重ねるうちに、プログラミングの楽しさとエディタいじりの面白さに目覚めていった。
;; 3年生の時に書いた初めてのxyzzy設定
(require "font-lock")
(global-font-lock-mode t)
(setq *default-fontset* "MS Gothic")
(set-buffer-local-fonts '((:charset-spec cp932 :size 14)))
(global-set-key #\C-z 'undo)
キーバインドの概念を学ぶ
xyzzyを使い込むにつれ、キーバインドの概念に目覚めていった。最初は戸惑っていた「C-x C-s」も、今では指が勝手に動くほど。これがエディタの「効率化」というものかと、目から鱗が落ちる思いだった。
;; よく使うキーバインドのカスタマイズ
(global-set-key #\C-z 'undo)
(global-set-key #\C-/ 'redo)
(global-set-key #\C-t 'other-window)
研究室でのプログラミング経験
翌年、大学4年生になり研究室に配属された。そこで待っていたのは、古典的だが科学計算に強力なFortranだった。xyzzyは私の強い味方となった。
研究のデータ処理や数値計算のコードを書く際、xyzzyの快適な操作性のおかげで、アルゴリズムの考案に集中することができた。yzzyの軽快な動作と使いやすさは大きな助けとなった。
特に、長時間のコーディングでも疲れにくいインターフェースや、日本語での操作のしやすさは、研究作業の効率を大きく向上させてくれた。これらの経験は、後の仕事にも大きく活きることになる。
社会人になって
大学を卒業し、ソフトウェア企業に就職した。最新の企業用途向けのIDEを使うことになったが、xyzzyで培った効率的な操作方法の知識が大いに役立った。どんな環境でも、キーボード操作を駆使して効率的に作業できることに喜びを感じた。新しい環境への適応も、xyzzyで身につけた基礎のおかげでスムーズだった。
特に、テキスト処理や設定ファイルの編集など、IDEが不得手とする領域で、xyzzyでの経験が光った。同僚たちが苦労している作業も、さっと済ませられることがしばしばあった。
xyzzyがくれた贈り物
xyzzyは、単なるテキストエディタ以上の存在だった。振り返ってみると、xyzzyから多くのことを学んだことに気づく:
- プログラミングの楽しさ: 様々な言語や環境で、楽しくコーディングできた。
- 効率的な作業の基礎: キーボード操作を通じて、効率的な作業の基本を身につけられた。
- カスタマイズの喜び: 設定をいじる楽しさを知り、ツールを自分に合わせる大切さを学んだ。
- 日本語環境の重要性: 日本語に最適化されたツールの価値を知った。
- 適応力: 異なる環境や言語にも柔軟に対応できる力が身についた。
結びに:xyzzyへの感謝
大学時代にemacsに挫折し、xyzzyと出会い、研究で奮闘し、そして効率的な操作の魔力を知った。この全ての経験が、今の自分を作っている。xyzzyは、私にとって最初の「本当の意味での開発ツール」だった。それは、プログラミングの世界への扉を開いてくれた鍵だったのだ。
卒業後も、ソフトウェア開発に携わる中で、xyzzyでの経験は常に私の中に生き続けている。新しい開発環境や言語に出会うたびに、xyzzyで培った「効率的に操作する」「カスタマイズを楽しむ」という姿勢が活きていることを実感する。
時代とともに開発ツールは進化し、私も様々なエディタやIDEを使うようになった。しかし、テキスト編集の基本、効率的な操作の重要性、そして何より「ツールと対話する楽しさ」は、xyzzyが教えてくれた大切な lesson だ。
今でも時々、複雑な設定ファイルを編集したり、大量のテキストデータを処理したりする時に、ふとxyzzyの操作感を思い出す。そんな時、若かりし日々の奮闘と発見が懐かしく思い返される。
xyzzy、ありがとう。君との出会いが、私のソフトウェア開発への道を照らしてくれた。そして、これからも技術が進化し続ける中で、君から学んだことは私の中で生き続けるだろう。いつか、また君の出番があるかもしれない。その時はよろしく頼むよ。
プログラミングの世界で日々新しいことを学び、成長し続ける私の中に、いつまでもxyzzyの教えが息づいている。それは、単なるエディタの使い方ではなく、ソフトウェア開発に対する姿勢そのものなのだ。