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[速習] 知能・認知・AI 第2回 認知の限界とAIの可能性 (認知的限界/筆は腕に添う/知的道具論)

Last updated at Posted at 2025-06-13

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前回の記事では、認知科学の観点から「知能」の正体を解明し、認知プロセスや思考システムについて詳しく解説しました。人間の知能が認知プロセスの「記憶から思考・推論」部分に相当し、注意力が知能活用の第一の壁であることを学びました。

今回は、人間の認知には避けられない限界があることを理解し、AIがその限界をどのように補完できるかについて掘り下げていきます。また、知的道具としてのAIを効果的に活用するための技芸について考察します。

我々は「筒を通して世界を見ている」

人間の認知には根本的な制約があります。私たちは皆、限られた視界の中で世界を認知しているのです。この制約を理解するために、「認知の筒」という比喩を用いて説明しましょう。

人間には注意(Attention)が向かないものは見えません。つまり、私たちは各自が持つ、様々な太さの筒を覗き込み、その筒を通して世界を見ているようなものです。この筒の太さは人によって異なり、また筒の向きも固定されがちです。そして何より重要なのは、筒の外側は本当に「見えない」ということです。

この認知の筒の特徴により、同じ風景を見ても、それが山に見える人、川に見える人、木に見える人もいれば、カエルに見える人もいます。これは視覚的な錯覚の話ではなく、認知における根本的な制約の話です。人それぞれが持つ知識、経験、関心、文化的背景などが、この認知の筒を形作っており、それによって世界の見え方が決定されているのです。

この制約は、単なる個人差の問題ではありません。むしろ、人間の認知機能そのものに内在する構造的な特徴と言えます。進化の過程で、人間は膨大な情報の中から生存に必要な情報だけを効率的に抽出する能力を発達させました。この選択的な注意機能は生存に有利に働きましたが、一方で、注意が向かない情報は完全に無視されるという制約も生み出しました。

認知的限界(Cognitive Limitations)

認知の限界は、それを自分では自覚できないという特徴があります。なぜなら、認知できないものは、その存在すら気づくことができないからです。この現象を認知的限界(Cognitive Limitations)と呼びます。

人間は一人一人が、その時点での知識リテラシー1認知能力の訓練状況、形式的手続きの習慣化の状況、そして経験に応じた「認知の筒」を通して世界を見ており、その外側を認知することができません。

共感できる例:新人エンジニアのエラーメッセージ

新人エンジニアがコンパイル時にこんなエラーに遭遇したとします:

Error: undefined reference to 'main'
Warning: unused variable 'count' at line 42
Debug: assertion failed at module.cpp:156

経験者には「main関数がない」「変数が未使用」「アサーションエラー」と一目瞭然ですが、新人は「なんかエラーが出てます」としか報告できません。画面に表示されているエラーメッセージが、まるで見えていないかのようです。

同様に、利用者から「システムが動かない」と連絡が来て、確認すると画面には「ライセンスの有効期限が切れています」と明確に表示されている――こんな経験もあるでしょう。

知識の限界は、特定の分野に関する専門知識の不足として現れます。例えば、医学の知識がない人が医学論文を読んでも、書かれている内容の大部分を理解することができません。しかし、その人は自分が理解できていない部分があることすら気づかない場合が多いのです。

リテラシーの限界は、情報を適切に解読し、批判的に評価する能力の不足として現れます。これは単なる読み書き能力を超えて、情報の信頼性を判断したり、論理的な構造を理解したりする能力を含みます。

認知能力の限界は、処理できる情報の量や複雑さの制約として現れます。人間の短期記憶2には限界があり、同時に処理できる情報の量も限られています。また、論理的思考や抽象的思考の能力にも個人差があります。

経験の限界は、過去の体験に基づく理解の偏りとして現れます。人は自分が経験したことのない状況については、想像力に頼るしかありませんが、この想像は往々にして不正確です。

これらの限界により、本を読んだり、他者の説明を聞いて理解した気分になったとしても、自覚できていないだけで実はそこに含まれる情報の殆どが「見えていない」「聞こえていない」という事態が発生します。特に専門的な内容や複雑な概念については、表面的な理解にとどまってしまうことが多いのです。

無知の知(Awareness of Ignorance)

このような事が起こり得ることを戒めた、ソクラテスによる有名な言葉が 「無知の知」 です。 無知の知とは、「自分がそれを知らないということを知っている」 状態を指します。

「自分は本に含まれる情報を完全には読み取れていない筈」という認識があれば、本の中で使われている用語や概念を調べたり、自分の解釈の正しさを何らかの方法で確認したり、その本を何度も読み直したりするはずです。この確認手段の一つが、いわゆるアウトプットです。

アウトプットとは、学習した内容を他者に説明したり、文章にまとめたり、実際に応用したりすることです。アウトプットを行うことで、自分の理解の不十分な部分が明らかになり、より深い学習につながります。これは、知識を受動的に受け取るだけでなく、能動的に再構成することで、真の理解に到達するプロセスです。

現代の情報社会において、無知の知はますます重要になっています。インターネット上には膨大な情報があふれており、表面的には何でも簡単に調べることができるように見えます。しかし、実際には、適切な情報を見つけ出し、その信頼性を判断し、自分の文脈に合わせて理解するためには、相当な知的技芸が必要です。

「答えを提供してくれる道具」という期待

多くの人が、本やネット上の解説動画、最近流行りのAIチャットボットなどを「自分の求める答えを提供してくれる道具」である事を期待して使用します。これらの道具は確かに有用ですが、重要な問題があります。

人間に認知的限界がある限り、どの道具を使ったとしても、その答えが正しく十分なものであるかどうかは、使用者の認知的限界に依存するということです。そもそも全体が「見えていない」ので、どの本が、どの解説が、どの人が、自分にとって適切で十分で「正しい」答えを提供してくれるのか、それ自体を判断することができません。

特にAIに対しては、「自分にとって本当に必要なものが何なのか」を適切に質問や要求として表現することが困難です。また、帰ってきた答えの内容も、認知的限界によって「見えない」部分が多く存在します。

この問題は、現代のAI技術が高度化するにつれて、より深刻になっています。AIが流暢に答えを返すため、その答えが正確で完全であるかのような錯覚を抱きやすくなっています。しかし、AIの回答も、結局は使用者の認知的限界によってフィルタリングされ、理解されるのです。

筆は腕に添う(It's not the arrow, it's the archer)

人間が主体である限り、「知的な道具」もやはり「道具」であって、その道具を使ってどのような「成果」が出せるかは、その道具の使い方、つまり技芸(Arts and Crafts)3が必要になります。道具自体の性能よりも、使用者の技量が成果を左右することを意味する概念は、世界各地で様々に表現されています。

日本では「筆は腕に添う」と言われます。これは、どんなに良い筆を使っても、それを使う人の腕前が悪ければ良い文字は書けないという意味です。英語圏では「It's not the arrow, it's the archer」(問題は矢ではなく射手である)と表現されます。他にも「弘法筆を選ばず」という言葉もあり、真の達人は道具の良し悪しに左右されないという意味を持ちます。

知的な道具を使うための技芸とは、自分自身の認知の筒を太くすることです。これは、単に知識を増やすということではありません。知識の体系化、メタ認知の発達、多様な経験の蓄積、批判的思考の訓練など、多面的な能力向上が必要です。

継続的な学習は、新しい知識を獲得するだけでなく、既存の知識を再構成し、より深い理解に到達するプロセスです。メタ認知の発達は、自分の思考プロセスを客観視し、改善する能力です。多様な経験は、異なる視点や文脈を理解する能力を育みます。批判的思考の訓練は、情報を客観的に評価し、論理的に判断する能力を向上させます。

結局のところ、知的能力を向上させるための継続研鑽によって、道具の効果が決まるのです。これは、AI時代においてより一層重要になってきています。

AI時代における知的技芸

現在の大規模言語モデル(LLM)は、膨大な知識の保持、高速な情報処理、パターン認識、自然言語での対話など、多くの能力を持っています。しかし同時に、真の理解の欠如、文脈の深い把握困難、創造的思考の限界、価値判断の困難といった限界も抱えています。

AIを効果的に活用するためには、まず適切な質問設計能力が必要です。問題の本質を理解し、それを具体的で明確な質問として表現し、段階的なアプローチで解決に導く能力です。曖昧な質問からは曖昧な回答しか得られません。

次に、回答の批判的評価能力が重要です。AIから得られた回答の内容を検証し、他の情報源との照合を行い、論理的一貫性を確認した上で、最終的な判断を下す能力です。AIの回答を鵜呑みにするのではなく、常に批判的な視点を持つことが必要です。

さらに、継続的な学習と改善の姿勢が求められます。AI活用の経験を蓄積し、効果的な使い方のパターンを身につけ、知的生産性を向上させていく能力です。

協調的意思決定(CDM)におけるAIの役割

現実の仕事では、特に管理職以上になると、協調的意思決定(Collaborative Decision-Making, CDM)4が要求されます。これは集団による意思決定のことで、複数の人が対話や協議を通じて合意形成し、最適な意思決定を共同で行うプロセスです。

この協調的意思決定が非常に難しい理由は、ここまで見てきたように、人はそれぞれ認知プロセス上の各能力が異なるためです。人により見えているものと見えていないものがバラバラで、それに基づく思考や推論も当然バラバラになり、結果として判断もバラバラになってしまいます。

多くの場合、「考えが違う」のではなく、「見えているものから違っている」のです。同じ資料を見ても、それぞれの認知の筒を通して見えるものが異なるため、前提となる理解が食い違ってしまいます。

複数の人が効果的な協調的意思決定を行うためには、まずは全員が対象の課題に関する同じ知識を持ち、同じ点に注意を向け、その上でそれぞれの思考を可視化し、お互いに評価することで合意形成(Consensus Building)5を図る必要があります。

AIは、この協調的意思決定において重要な支援を提供できます。情報の標準化により共通理解の基盤を作り、多角的な分析により見落としを防止し、バイアスの軽減により客観的判断を促し、合意形成の促進により効率的な意思決定を実現することができます。

まとめ

本記事では、人間の認知的限界とAIの可能性について解説しました。人間は「認知の筒」を通して世界を見ており、この筒の外側は文字通り見えないという制約があります。認知的限界は自覚できないため、無知の知の姿勢が重要です。

「筆は腕に添う」の原則により、AI等の知的道具の効果は使用者の技量に依存します。AIの効果的活用には、適切な質問設計能力、批判的評価能力、継続的学習の姿勢が必要です。また、協調的意思決定においてAIが認知支援を提供することで、チーム全体の認知レベルを向上させることができます。

次回は、「知性(Intellect)とAIの未来」について詳しく解説し、答えのない問いを問い続ける能力としての知性と、AIが電気羊の夢を見る可能性について探っていきます。

参考文献

  • ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』早川書房、2012年
  • 苧阪直行編『認知科学への招待』サイエンス社、2011年
  • 松尾豊著『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』KADOKAWA、2015年
  1. リテラシー(Literacy) - 本来は読み書き能力を指すが、現代では特定の分野の知識や情報を適切に理解し、活用する能力を広く指す。情報リテラシー、デジタルリテラシー、メディアリテラシーなど、様々な分野のリテラシーが存在する。

  2. 短期記憶(Short-term Memory) - 限られた時間(通常15-30秒)だけ情報を保持する記憶システム。容量は7±2個の項目とされる。ワーキングメモリとも関連が深く、思考や推論の作業場として機能する。

  3. 技芸(Arts and Crafts) - 単なる技術的スキルを超えて、経験、知識、創造性を統合した熟練した技能。職人的な技能から知的な技能まで幅広く含む概念。

  4. 協調的意思決定(Collaborative Decision-Making, CDM) - 複数の個人や組織が協力して意思決定を行うプロセス。参加者の知識、経験、視点を統合し、より質の高い意思決定を目指す手法。

  5. 合意形成(Consensus Building) - 異なる立場や利害を持つ関係者が、対話と協議を通じて相互に受け入れ可能な解決策を見つけ出すプロセス。単なる多数決ではなく、全員が納得できる解決策を目指す。

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