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[研究] 才能vs運 成功における偶然性の役割

Last updated at Posted at 2025-06-24

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「なぜ最も優秀な人が必ずしも最も成功するわけではないのか?」

この疑問に対して、イタリア・カターニア大学のAlessandro Pluchino教授らが2018年に発表した論文「Talent versus luck: the role of randomness in success and failure」は、エージェントベースモデル1を用いて興味深い回答を提示しています。

本記事では、この研究の内容を紹介し、エンジニアのキャリア戦略にどのように活用できるかを考察します。

研究の概要

論文情報

  • タイトル、Talent versus luck: the role of randomness in success and failure
  • 著者、Alessandro Pluchino, Alessio Emanuele Biondo, Andrea Rapisarda
  • 発表年、2018年
  • 掲載誌、Advances in Complex Systems

研究の背景

現実世界では、富や成功の分布は極端に偏っています。これはパレート分布2として知られる現象です。一方で、知能や才能の分布は正規分布3に従うとされています。この矛盾をどう説明するか、これが本研究の出発点となりました。

エージェントベースモデルの設計

研究チームは、1000人のエージェント4が40年間のキャリアを歩むシミュレーションを実施しました。

モデルの基本設定

イベントのメカニズム

エージェントは定期的に「幸運」または「不運」なイベントに遭遇します。幸運なイベントでは、才能に応じた確率で資本が2倍になります。一方、不運なイベントでは、才能に関係なく資本が半分になってしまいます。

主要な研究結果

1. 最も成功したエージェントの才能レベル

シミュレーションの結果、最も成功したエージェントは必ずしも最も才能があるわけではありませんでした。

2. 成功と幸運イベントの相関

研究では、最も成功した個人ほど多くの幸運イベントを経験していることが明らかになりました。

成功レベル 平均幸運イベント数 平均不運イベント数
上位20% 8.5回 3.2回
中位40% 5.1回 5.0回
下位40% 2.8回 7.3回

3. 資本分布の時間発展

初期には全員が同じ資本を持っていたにもかかわらず、40年後には極端な格差が生じました。最終的な分布では、上位20%が全体の80%の富を保有するというパレートの法則5が観察され、ジニ係数6は0.81という高い不平等度を示しました。

実世界への示唆

科学研究における「運」の影響

論文では、科学者のキャリアにおける成功パターンについても言及しています。Wang et al. (2013)の研究を引用し、科学者の最も成功した論文はキャリアのどの時点でも等確率で現れることを指摘しています。これは、持続的な努力と試行の重要性を示唆しています。

資金配分戦略の最適化

研究チームは、研究資金の配分戦略についても分析を行いました。

意外なことに、全員に均等に資金を配分する戦略が最も効率的であることが示されました。これは、将来の成功者を事前に予測することの困難さを反映しています。

エンジニアのキャリアへの応用

1. 試行回数の重要性

幸運との接触面積を最大化するには、様々な活動に取り組むことが重要です。サイドプロジェクトの実施、オープンソースソフトウェア7への貢献、技術発表、ネットワーキング、転職機会の検討など、多様な試みを継続することで、幸運なイベントに遭遇する確率を高めることができます。

試行回数がなぜ重要なのか、以下のシーケンス図で詳しく見てみましょう。

上記のシーケンス図が示すように、各活動での幸運との遭遇確率が20%だとしても、5回の試行で少なくとも1回は機会に遭遇する確率は約67%まで上昇します。これが「幸運との接触面積を最大化する」戦略の本質です。

2. レジリエンスの構築

不運なイベントは避けられないため、その影響を最小化する戦略が重要です。スキルの多様化により単一技術への依存を避け、財務的バッファとして緊急時の資金を確保し、困難時に頼れる人脈のネットワークを構築することが、長期的な成功には不可欠です。

3. 中程度のリスクテイク

研究結果は、極端な才能よりも中程度の才能と適切なリスクテイクの組み合わせが成功につながりやすいことを示唆しています。過度に保守的でも過度に冒険的でもない、バランスの取れたアプローチが重要です。

4. コミュニケーションギャップという見えない障壁

Pluchino et al.の研究で中程度の才能を持つ人が最も成功しやすいという結果には、もう一つの重要な要因が隠されている可能性があります。それは、高度な知能や教養を持つ人が直面するコミュニケーションギャップの問題です。

知能指数の分布において上位1%に位置する人は、一般的な職場環境(上位10-20%程度の人々が多数を占める)において、思考プロセスや問題解決アプローチの違いから、理解や共感を得ることが困難になる場合があります。複雑な概念を扱う際、相手の理解レベルに合わせた説明ができなければ、どれほど優れたアイデアも評価されません。

成功には、単に優れた解決策を生み出す能力だけでなく、それを他者に理解してもらい、支持を得る能力も必要です。これは「社会的知能8とも呼ばれ、以下のような能力を含みます。

相手の理解レベルに応じて説明の抽象度を調整する能力、専門用語を避けて平易な言葉で説明する能力、相手の関心事と自分のアイデアを結びつける能力、そして感情的な共感を築く能力です。これらの能力は、純粋な知的能力とは別の次元のスキルであり、成功には両方が必要となります。

このコミュニケーションギャップを克服するための実践的なアプローチとして、「段階的な説明」の技術があります。複雑な概念を、相手が既に理解している概念から出発して、少しずつ新しい要素を加えていく方法です。また、具体例やアナロジーを多用し、抽象的な概念を身近なものに置き換えることも効果的です。

この観点から見ると、「中程度の才能が最も成功しやすい」という研究結果は、単に運の要素だけでなく、社会的なコミュニケーション能力と知的能力の最適なバランスを反映している可能性があります。極端に高い知能は、それ自体が社会的成功への障壁となりうるのです。

関連研究と追加の知見

Raj Chettyの機会格差研究

ハーバード大学(現スタンフォード大学)のRaj Chetty教授は、親の所得と子供の成功確率の関係を詳細に分析しています。

Chetty et al. (2014)の研究による主な発見は、親の所得階層と子供の将来所得には強い相関があること、地域による社会的流動性9には大きな差があること、そして教育へのアクセスが重要な要因であることです。

スタートアップの成功確率

Embroker(2023)のレポートによると、スタートアップの生存率は時間とともに急激に低下します。

経過年数 生存率
1年後 90%
2年後 70%
5年後 50%
10年後 30%

しかし、シリアルアントレプレナー10の場合、2回目の起業での成功確率は約20%から30%に上昇し、3回目以降はさらに高くなる傾向があります。これは経験と学習の重要性を示しています。

まとめ

Pluchino et al. (2018)の研究は、成功における運の役割を定量的に示しました。主要な教訓として、才能は必要条件だが十分条件ではないこと、試行回数を増やすことで幸運の確率を高められること、そして不運への備えが長期的な成功には不可欠であることが挙げられます。

さらに重要な点として、極端に高い才能がかえって成功の妨げになる可能性があることも示唆されています。これは単に統計的な現象だけでなく、高度な知能を持つ人が直面するコミュニケーションギャップという社会的な要因も関係している可能性があります。

エンジニアとして、私たちは技術的な能力を磨くだけでなく、その知識を他者に効果的に伝える能力も同時に開発する必要があります。複雑な技術的概念を、様々なバックグラウンドを持つステークホルダーに理解してもらうことは、プロジェクトの成功に不可欠です。

成功は才能、努力、運、そして社会的適応能力という複数の要素の相互作用の結果です。これらすべての要素を理解し、バランスよく対応することが、長期的なキャリアの成功につながるでしょう。

参考文献

  1. Pluchino, A., Biondo, A. E., & Rapisarda, A. (2018). Talent versus luck: The role of randomness in success and failure. Advances in Complex Systems, 21(03n04), 1850014.

  2. Wang, D., Song, C., & Barabási, A. L. (2013). Quantifying long-term scientific impact. Science, 342(6154), 127-132.

  3. Chetty, R., Hendren, N., Kline, P., & Saez, E. (2014). Where is the land of opportunity? The geography of intergenerational mobility in the United States. The Quarterly Journal of Economics, 129(4), 1553-1623.

  4. Embroker. (2023). Startup Failure Rate Statistics (2023). Retrieved from https://www.embroker.com/blog/startup-statistics/

  1. エージェントベースモデル - 個々の行動主体(エージェント)の振る舞いをシミュレーションし、全体のシステムがどのような挙動を示すかを分析する手法。複雑系の研究でよく用いられる。

  2. パレート分布 - イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した分布。「80-20の法則」として知られ、少数の要素が全体の大部分を占める現象を表す。富の分布、都市の人口分布など多くの社会現象で観察される。

  3. 正規分布 - ガウス分布とも呼ばれ、自然界や社会現象で最も一般的に見られる確率分布。平均値を中心に左右対称の釣鐘型の分布を示す。身長、知能指数などがこの分布に従う。

  4. エージェント - シミュレーションにおける個々の行動主体。この研究では、それぞれが異なる才能レベルを持つ仮想的な個人を指す。

  5. パレートの法則 - 全体の数値の大部分は、全体を構成する一部の要素が生み出しているという経験則。「80-20の法則」とも呼ばれ、例えば売上の80%は顧客の20%によってもたらされるといった現象。

  6. ジニ係数 - 所得や富の分配の不平等さを測る指標。0から1の値を取り、0は完全な平等、1は完全な不平等を示す。0.4を超えると格差が大きいとされる。

  7. オープンソースソフトウェア(OSS) - ソースコードが公開され、誰でも自由に使用、研究、改変、再配布できるソフトウェア。GitHubなどのプラットフォームで多くのプロジェクトが公開されている。

  8. 社会的知能 - 他者の感情や意図を理解し、効果的にコミュニケーションを取り、社会的状況で適切に行動する能力。IQ(知能指数)とは異なる次元の知能として注目されている。

  9. 社会的流動性 - 個人や家族が社会階層間を移動する可能性の度合い。高い社会的流動性は、出身階層に関わらず能力と努力によって成功できる社会を示す。

  10. シリアルアントレプレナー - 連続起業家。一つの事業を立ち上げた後、それを売却または他者に任せ、新たな事業を次々と立ち上げる起業家のこと。

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