深層から帰ってきて、やっと落ち着ける……と思ったら、
朝からカオスが全力で押し寄せてきました。
ミリアとルミエラ、そして優しい朝食。
そこに混じる“嫌な揺れ”までセットで、今日も賑やかです。
そんな、日常へ戻るはずだった朝の一幕は、ゆるやかに始まります。
■混沌の朝
深層へと潜った緊張がようやくほどけた翌朝。
私は、いつもより少し重たいまぶたをゆっくり開いた。
まぶたを開いて、体の感覚を確かめる……。
まず、右腕が動かない。
次に、左肩も動かない。
「……えっ?……金縛り……?」
でも、その考えは即座に振り払われる。
最後に、身体の両側から伝わる温もりに気づいたからだった。
「……え、ちょっと……?」
右側には、淡いミントを含んだ白銀の髪。
ミリアが、子どものように私の腕へしがみついて寝息を立てていた。
頬に触れる髪が、朝の光を受けてやわらかく揺れる。
その寝顔は、余りにも可愛かった。
左側には、境界の光をまとった落ち着いたピンクゴールドの髪色。
ルミエラが、寄り添うように私の肩へ頭を預けて眠っている。
静かな寝息が、胸元にかすかに触れる。
「……なんでこうなってるの……?」
少しでも動こうとすると、ミリアがぎゅっと抱きつき、
ルミエラは眉を寄せて小さく身じろぎする。
完全に詰んだ。
私は天井を見つめながら、
昨夜の出来事を思い返すしかなかった。
■回想録
深層から帰ってきた昨夜。
宿屋の食堂には、久しぶりの“安心”の空気が満ちていた。
ミリアは、どこか浮ついた足取りで私の袖をつまみながら、
「ニカ姉……今日、一緒に寝てもいい……?」
と、珍しく控えめに聞いてくる。
私が返事をする前に、
ミリアは慌ててポーチから通信石を取り出し、
母ティナへ連絡を入れる。
「お母さん……今日ね……ニカ姉と一緒に寝てもいい……?
……なんか……今日は……離れたくなくて……」
少し間があって、
通信石の向こうから、ティナの柔らかい声が返ってきた。
「……ミリア。
あなたがそう感じる日があるのは、
お母さん、ちゃんと分かってるわよ。」
「ニカちゃんがよければ……問題ないわよ。
ただし、迷惑だけはかけないようにね?」
ミリアは胸の奥がほどけたように息をつき、
「やった!……ありがとう、お母さん……」
と喜び可愛く跳ねる。
その声は、
“家族に甘える子ども”の響きそのものだった。
■昨夜の真相
ミリアが一緒に泊まることが確定したところで、
私達3人が泊まる宿屋の食堂では4人での宴会が静かにだけど、盛大に始まった。
木のテーブルには、
この世界の“理(ことわり)”を宿した料理が所狭しと並ぶ。
風綺鶏(ふうきどり)のローストは、
薄く張った皮がぱりりと音を立て、
噛むと層を持つ肉の繊維からじゅわっと旨味が広がる。
焼き上がりの香りは、草原を渡る風のように軽やかで、
食卓の空気を一段階、明るくする。
その隣には、理火で炙られた川魚が並ぶ。
皮は飴色に透き通り、
身はほろりと崩れるほど柔らかい。
理の粒を含んだ火で炙られたそれは、
普通の炭火では出せない、澄んだ香ばしさをまとっていた。
大皿には、雲淡バターで炒めた根菜が山のように盛られている。
淡いクリーム色のバターが、
蒼根芋や細長い黄根、丸い紅根に絡みつき、
ひと口食べると舌の上でとろりと溶けていく。
雲から採れる乳をもとにしたこのバターは、
熱を入れると香りが三段階で変化し、
噛むごとに違う表情を見せてくると言う。
層野菜のキッシュは、
薄く重なった葉が幾層にも折り重なり、
切り分けると断面に美しい層が現れた。
“陽層”と呼ばれる甘味の強い層が中心に使われていて、
理の粒を含んだ水で仕込んだ生地は、
切り分けると、淡い光と甘い香りが食欲をそそる。
別の皿には、薄層茸(はくそうだけ)のソテーが並んでいた。
薄層茸は、火を入れると、最初は土の香り、
次に木の実のような香ばしさが広がり、
最後にほんのり甘い香りが立ち上がる。
噛む度に香りが変わり、味が変化する不思議な茸は、
この地方の宴会では欠かせない一品らしい。
白露豆(しらつゆまめ)の温サラダは、
透明な薄皮の中に、
甘い汁をたっぷりと抱えた豆が使われていた。
白露豆は、噛むとぷちっと弾け、
舌の上に露のような甘さが広がる。
私も好きな一品。
そこに、軽く温めた理水のドレッシングがかかっていて、
全体をやさしくまとめていた。
飲み物も、果実酒だけではなかった。
ミリアの前には、淡い色をした果実酢の微発泡飲料が置かれている。
泡が細かく立ち上り、
口に含むと、甘酸っぱさとともに喉の奥で小さく弾けた。
ミリアはそのグラスを両手で抱えながら、
「ニカ姉〜……」
と甘えた声で私の肩に寄りかかってくる。
「ミリア、ちょっと近い……」
そう言いながらも、
今日の不安を抜けたあとの緊張の揺り戻しなのだと分かっていた私は、
無理に引き離すことはしなかった。
その隣には、ネリアお姉様が少し度の強いお酒を、ごくごく飲み干して行く。
その酒豪振りに唖然としていると、ネリアお姉様と目が合う。
「うふふ……ニカさんも飲みます?」
普段と変わらない、ネリアお姉様に私は、
「お酒……強くないので……遠慮しときます」
やんわりと返すと、
「お酒は楽しく飲むのが一番ですからね」
と、さすがネリアお姉様と息を呑む返しに思わず、拍手してしまった。
ルミエラはミリアの様子を静かに見守っていた。
「……ミリアさん、今日は少し……緩んでいますね。
私もきょうは、お部屋までご一緒します。」
そういうルミエラの目は既に酔っ払ってる……。
宴会の温かい空気に包まれたまま、
ミリアは私の腕にしがみついて寝落ちし、
ルミエラもそのまま寄り添うように眠ってしまった。
──そして翌朝のカオスへと繋がる。
■素敵な朝食
「……ニカ姉、昨日は……その……ごめんなさい」
ミリアは目を伏せ、頬を赤くして俯いている。
「申し訳ありません……」
ルミエラは背筋を伸ばし、真剣に三指をついて頭を下げる。
私は二人の顔を見比べて、
「もう大丈夫。誰も悪くないからね。」
と穏やかに声をかける。
昨日の不安を抜けたあとの揺り戻し。
緊張が切れた反動で、
どこかに甘えたくなる気持ちは、私にも覚えがあった。
空気が少し落ち着いたそのとき──
コン、コン、コン。
扉が、礼儀正しく三度だけ叩かれた。
この宿で何度か聞いた、あの一定のリズムだ。
「はい、どうぞ。」
私が声をかけると、
扉が静かに開き、柔らかい光をまとったネリアお姉様が、
湯気の立つトレイを抱えて入ってきた。
「皆さん、朝食をお持ちしましたよ。
……ゆっくり召し上がってくださいね。」
昨日いちばん飲んでいたはずなのに、
まるで何事もなかったかのようにケロッとしている。
さすがネリアお姉様と言うべきなのか……。
ここは敢えて突っ込む場ではないと、
口から出そうになった言葉を、私は静かに飲み込んだ。
ネリアお姉様が運んできたトレイの上には、
昨日の朝とは違う、優しい料理が並んでいた。
理の粒を含んだ水で煮込んだ野菜と豆のスープは、
淡い色合いの中に、
じんわりとした温かさを閉じ込めている。
ひと口飲むだけで、
喉から胸、そしてお腹の奥へと、
静かな熱が流れ込んでいくのが想像できた。
白根粉で焼いた白パンは、
外側が薄くパリッと、中はしっとりと柔らかい。
そこに雲淡バターを薄く塗ると、
ふわりと甘い香りが立ち上がる。
小さな器には、
薄光(うすひかり)ハーブを使った卵の蒸し料理が盛られていた。
表面はなめらかで、
スプーンを入れると、
中からとろりとした黄身と香り立つ蒸気があふれ出す。
光の角度によって香りが少し変わるというそのハーブは、
朝にふさわしい、静かな目覚めを促してくれる。
別の皿には、
理水で軽く煮た果実のコンポートが並んでいた。
赤や橙、淡い黄の果実が、
透明な蜜の中でゆらゆらと揺れている。
見ているだけで、心が浄化される様に透き通った透明な蜜は、食欲をそそる。
4人でテーブルを囲む。
「いただきます」と感謝は忘れずに。
私はまず、薄光ハーブを使った卵料理に手を伸ばす。
「……おいしい……」
口に入れた瞬間に思わず、声が漏れた。
ミリアは1つのパンを両手で持って、
もぐもぐと幸せそうに頬張っている。
その仕草が、小動物を思わせて、可愛さに思わず微笑ましい気持ちになる。
ルミエラは静かに紅茶を口に運びながら、
ときどきスープを味わい、
そのたびに表情を少しだけ緩めていた。
ネリアお姉様は、
私たちの様子を見て、
「おかわりもありますからね。」
と、いつもの柔らかい笑みを浮かべる。
穏やかな時間は、ゆっくりと流れていく。
昨日の緊張が、ようやく本当の意味でほどけていくような優しい朝だった。
■リミラの出現
食事を終え、ネリアお姉様がいれてくれた珈琲の香りを楽しんでいた時。
部屋の隅に落ちる光が、ふっ、と揺れた気がした。
風は吹いていない。
外の音も変わらない。
なのに──
空気の層だけが、かすかに震えた。
私はコーヒーカップを持つ手をテーブルに下ろし、
何とはなしにそちらへ視線を向ける。
その瞬間、視線を向けた反対の背後からふわりと影が差す。
「……ニカはん……」
振り返ると、いつの間にかリミラさんが立っていた。
足音も気配もなく、ただ“そこにいる”ことが当然のように。
「リミラさん……? いつからそこに……」
私が問いかけるより早く、
彼女は揺れる光をじっと見つめ、
観測者の目でその揺れを追っていく。
「……なんやろ……
ウチが……苦手な感じの……気配がしますわ……」
その声はいつも通りはんなりしているのに、
部屋の空気がひとつ、深く沈む。
ネリアお姉様が、
ほんの一瞬だけ表情を曇らせた。
すぐに柔らかい笑みに戻ったが、
その一瞬の揺れを、私は見逃せなかった。
光の揺れは、
まるで“熱”が通り過ぎた跡のように、
細く、鋭く、床を走っていく。
「……嫌な奴……?」
思わず、私は呟いていた。
リミラさんは胸元でそっと手を重ね、
静かに息を吸う。
「えぇ……
あの……嫌ぁな……
ウチがよう知っとる……
鬱陶しい感じですわ……」
彼女の視線の先で、
光がまたひとつ揺れる。
部屋の温度が、わずかに上がったように感じた。
ミリアは、まだその変化に気づいていない。
ルミエラは、カップを持つ手を止めたまま、
じっとリミラさんと光の揺れを見つめていた。
──“何か”が動き始めていた。
その熱だけが、確かに世界を震わせている。
私たちがまだ名前を知らない、
リミラさんの言う“嫌な奴”の気配は、
静かに、しかし確実に、
この穏やかな朝の空気に変化をもたらそうとしていた……
朝のカオスと、優しい朝食と、そして……静かに混じるリミラさんが言う“嫌な奴”の気配。
平和って、ほんと長続きしませんね。
次回、ミリアとルミエラがまた騒がしくなる予感しかしないけど……
その前に、あの揺れの正体が少しだけ顔を出すかもしれません。