本記事は松尾研DXプロジェクトに参加をした個人の意見に基づくものです。
詳細な内容は松尾研の公式記事をご覧ください。
自分は京都で庭師をしていた。その後は工場で期間工として働き、ずっと体を使う仕事をしてきた。AIやプログラミングとは無縁の人生。趣味でPCを触ることはあっても、あくまで遊びの範囲だった。
そんな自分が、AIE講座への参加をきっかけに、松尾研が実際に抱える課題を解決する「DXプロジェクト」の取り組みについて知る機会を得た。
この記事では、AIや開発の世界に縁がなかった人間が、松尾研DXプロジェクトを外から見て何を感じたのかを書きたい。
なぜ、未知の世界に関心を持ったのか
きっかけは、参加したAIE講座の最終課題だった。
この課題では、単にAIやアプリを作るのではなく、松尾研が実際に抱える課題を題材に、「現場で使える形にできるか」が問われていた。技術を出発点にするのではなく、困りごとを起点にして解決策を考える。その考え方に触れたことで、松尾研DXプロジェクトにも関心を持つようになった。
DXプロジェクトもまた、現実の業務課題に対して、AIやアプリ開発を手段として活用する取り組みだと知った。AIや開発に縁がなかった立場から見ると、それは遠い世界に思える一方で、現場の困りごとに向き合うという点では、自分がこれまで経験してきた仕事ともどこか通じるものがあるように感じた。
そんな時。開発者ではない立場でプロジェクトに参加する機会を得た。
ここからは、そんな立場から、松尾研DXプロジェクトについて見聞きしたことや、そこから感じたことを書いてみたい。
外から見た開発現場は、思ったより泥臭かった
松尾研DXプロジェクトは、仮想の演習ではない。
今回実施されたDXプロジェクトでは、実際の松尾研講座において受講者数が数万人規模となる中で実施される講義アンケートをLLMで自動分析するシステムをAWS上に構築し、担当者の確認作業を最大90%削減することに成功している。
「AIで何か面白いことをしてみた」という話ではなく、困りごとを起点に道具を選び、現実の業務課題を解決する取り組みだ。
ただ、外から見た開発現場は、想像していたような「最初から何でもできる人たちだけの世界」ではなかった。
初めてのAWSデプロイに苦労したり、オンラインでのチーム開発を手探りで進めたり、うまくいかない部分を一つずつ確認したりしていた。もちろん高度なことをしているのだが、その進み方自体はかなり泥臭い。
それを見て、少し安心した。
完璧な準備をした人だけが参加できる世界ではないのかもしれない。
わからないことを調べ、相談し、手を動かしながら、少しずつ前に進めていく。外から見た限り、DXプロジェクトの現場はそういう場所に見えた。
最初にあった距離感
自分のように、庭師や工場勤務など、これまで体を使う仕事を中心にしてきた人間からすると、AIやアプリ開発の世界は遠く見える。
コードを書ける人、クラウドを扱える人、チーム開発の経験がある人。そういう人たちだけが入れる世界のように思えてしまう。
でも、実際に外から見て感じたのは、不安があること自体は特別ではないということだった。
技術的な責任への不安。
自分の理解が足りているのかという不安。
オンラインでチーム開発を進められるのかという不安。
そうした不安は、たぶん最初から消えるものではない。
実際に手を動かして、小さく試して、「ここまでは大丈夫だった」という経験を積み重ねることで、少しずつ薄れていくものなのだと思う。
これは、庭師の現場でも工場でも同じだった。最初から自信満々で現場に立てる人ばかりではない。目の前の仕事を一つやって、大丈夫だった。もう一つやって、また大丈夫だった。その積み重ねで、少しずつ「自分はこれくらいならいける」という感覚が育っていく。
不安を消す方法は、頭の中で完璧な準備をすることだけではない。
小さく手を動かしてみることでも、不安は少しずつ変わっていく。
一歩踏み出す前の不安について
庭師や工場の現場では、ひとつの判断ミスが重大な安全事故につながることがある。だからこそ、現場には常に強い緊張感があった。
一方で、今回外から見た開発プロジェクトでは、失敗した瞬間に一人で重い責任を背負い込むようなものではないと感じた。
もちろん、現実の業務に関わる以上、責任がないわけではない。だが、最初から一人で全てを完璧に背負う必要があるわけでもない。
そう考えると、AIやDXのプロジェクトは、自分が思っていたほど遠い世界では無いのかもしれないなと思えた。
外から見て感じたこと
実際に取り組みの様子に触れる中で、ひとつ強く感じたことがある。
AIを利用したアプリ開発やDXプロジェクトも、突き詰めれば「何かを作る」という営みの一つに過ぎない。そう考えると、それは特別な世界の話ではなく、誰もが日常や仕事の中で経験していることの延長線上にあるのだと思う。
どのような年齢や立場であっても、誰かの困りごとを見つけて、それを少しでも良くしようと工夫した経験はあるはずだ。
料理でも、文化祭の出し物でも、仕事の資料でもいい。最初は不安だったけれど、やってみたら意外とできて、使ってもらえたら嬉しかった。そんな経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。
何かを作るときは、最初から完璧な答えが見えているわけではない。試してみて、うまくいかなければ直して、また試す。その繰り返しの中で形になっていく。
DXプロジェクトも、自分にはその延長線上にあるものに見えた。もちろん扱う道具はAIやクラウドなど専門的なものだが、現実の困りごとに向き合い、できることを持ち寄りながら前に進めていくという点では、完全に別世界というわけではないのかもしれない。
最初から完璧である必要はない。
まずは外から見て、話を聞いて、小さく手を動かしてみる。
それだけでも、「自分には関係ない」と思っていた世界との距離は、少し変わるのだと思う。
少しでも気になったなら、まずは外から覗いてみるくらいの気持ちで関わってみてもいいのかもしれない。