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SIer脱出を語るAdvent Calendar 2019

Day 25

個人事業主一年目物語 ~ SIerを飛び出してフリーランス転身した青年の顛末 ~

Last updated at Posted at 2019-12-25

~無知の無知~

2018年秋の暮れ、夕陽が仄かに差し込む街外れのルノアール。
日の当たらない隅の席に神妙な面持ちでお冷を口にするスーツ姿の青年が一人。
彼は誰かが入店したのを見計らい用意していた二つ目のお冷とおしぼり、灰皿を小机の対面席に寄せた。
同じくスーツ姿の一回りほど歳が離れていそうなその男性が近づいてきた。
「お待たせ。」
「お疲れ様です。わざわざ場までセッティングして頂いてありがとうございます。」
会社の上司と部下である。
注文した珈琲をすすりながら暫く談笑をした後に上司が話題を切り出した。
「で、どうして会社を辞めようと思ったんだい。」
青年は前の夜、多忙で捕まえられない上司の携帯メール宛にやむを得ず退職の意向を申し入れていた。
「フリーランスになろうと思うんです。」
青年は大手金融SIerに新卒で入社してから4年目に差し掛かろうとしていた。
それまでも現場のプロパーでありながらパートナーの開発チームに混ざって設計や試験などの業務を遂行してきた。
僅かな修正レベルではあるがJavaの実装業務に楽しさも見出していた。
しかし3年目の後半にも差し掛かるとITゼネコンの元請けとして管理職の立場を期待される空気が強くなる。
実際、開発に携われていた時間もトータルで1年月程であり、業務の大部分は縦組織の印鑑リレーやマネージャーとパートナー間の事務的な橋渡しであった。
キャリアパスへの違和感は日に日に増していた。
「また大きな決断をしたな。転身できる確証はあるのかい。」
「まだ動いている最中ですが、あります。」
遡って同年夏の暮れに青年は宮益坂を登った先のとあるプログラミングスクールの門を叩いていた。
(後にSNS上で炎上の種になる場所だとはこの時はまだ知る由もないが…)
現状を打破したいと焦り自己啓発に傾倒していた彼には「モダンな開発・働き方をできる自社Webサービス会社への転職」「フリーランス転身」を謳い文句にしたスクールのネット広告が神の啓示の如く輝いて見えた。
短期集中で開発力を底上げして新たな道を拓こうと考えたのである。
担当の講師が現役のフリーランスエンジニアであったこともあり感化され最終的に自身もフリーランスとしてやっていく決意を固めた。
在学期間が中盤に差し掛かり、また本業のプロジェクト繁忙期も過ぎたタイミングを見計らい退職を告げるに至る。
「それでフリーランスとして食っていくアテは見つかったのかい。」
否。
この時点ではまだエージェントの登録も開業届も出しておらず、ましてや直受けの案件など持っているはずも無かった。青年は会社で唯一親身になってれたと言っても過言でない目の前の上司に対して最初で最後の嘘をついた。
「ええ、もちろん。」

後は流れ作業であった。
印鑑リレー同様、幾多の上長や人事との面談を半分うわの空でくぐり抜け各種退職手続きを済ませた青年は18年12月を以て退職する運びとなった。

事件は会社の外で起きていた。
察しの通り、青年は計画性のなさから1月以降飯を食っていける状況では無かったのである。
幸い福利厚生は享受できる会社であったので有給消化期間の12月中に一気に仕事を見つけるべく動いた。
まずは件のプログラミングスクールの講師に頭を下げてフリーランスエージェント会社を紹介して頂いた。
その結果、広告などを一切出していない分マージン率が低く設定されている客先常駐型の準委任案件を提示してくれるベンチャーのエージェント会社と契約を結ばせて頂くこととなる。
この時点で12月後半に差し掛かっている。
しかし希望の条件に沿った案件を調整していく中で壁に当たる。
相場と比較して圧倒的にスキルセットが足りていなかったのである。
また彼はスクールで学んでいたRubyを使用した案件へのアサインを試みていたが実務として扱っていない限りそれは概ね叶わないと知ったのである。
今となって思い返すとこの頃は本当に無知も無知であった、と彼は語る。
JavaもEclipseでデバッグが出来る程度で恥ずかしながらDBはおろかテスト環境のLinuxサーバにすら触れていない状態であった、と。
長く寒い冬を間近に背に腹はかえられぬとテスターであろうと何であろうと求人の提示を受けた現場は全て面談に伺った。
中には有名どころの企業もあったが先方が音信不通になったりと宙吊りの日々が続いた。
そして1月中旬から参画可能な公共事業の開発案件が確定し、ようやくフリーランスとしての幕が開ける。

~越冬~

2019年1月の冷えきった朝、青年は新調したスーツを身にまとい待ち合わせの駅でエージェントと落ち合った。初の「現場」へ向かうのである。
これまでは自社に外部のパートナーを招き入れて業務の依頼・管理をする立場であったので当然落差は感じた。
ある種の「人身売買」行脚の道中で彼は誓った。
もう歯車を回す者には戻れないとしても歯車なりに錆びることのない特注品の一枚になってやろうと。
年季の入ったレンガ造り風のビルへたどり着いた。
面談は違う場所で実施されたので現場は初見である。
玄関先で待機されていた担当者の方へと引き渡され執務室へ通された。
カラオケのパーティールームといった程度の大きさのワンルームに20人程が詰め込まれていた。
誰も喋っていない空間にPCのファン音だけが低く鳴り響く。
契約関係の書類に捺印してマニュアルに沿ってPCをセットアップして午前は終了。
午後に監督と同業務を務める方と顔を合わせた。青年と二人だけのチームであった。
簡単にシステムの説明を受けた後、任されたのは前職時代と同じく基本設計と画面をスクショする結合テストであった。
青年は顔色ひとつ曇らせず快く引き受けた。
何一つ取り溢さず吸収する覚悟であったからだ。
強くてニューゲーム、という言葉があるが確かに要領を掴むのは早かった。
半月経った辺りから監督から設計と画面テストの実績をある程度認められた。
そこからSQLクエリを流してDBにテストデータを入れたりbashでバッチファイルを作成してサーバを特定条件で再起動させたり、と地味だが出来る仕事の幅を広げていった。

無機質で静寂な日々を2ヶ月ほど過ごした時に深刻な事態に気付く。
貯金が底を尽いたのだ。
エージェントからの報酬振込は月次業務後の請求書送付から2ヶ月先の月末となっていた。
3ヶ月間無収入になることを想定してその分の家賃・光熱費、スクールのローン分は貯めていた。
しかし冬の凍てつく郵便ポストに投函された3通の赤紙によって現実は甘くないことを突き付けられる。
国民年金、国民健康保険、住民税と書かれた納付書が突如送られてきたのである。
会社時代いかに給与の裏で起こっていることを意識せずに働いていたかを痛感させられた。
馬鹿にならない額を支払い、3月の生活の目処が立たなくなったのである。(支払いの免除制度があるのは最近知った…)
後がなくなった青年は忸怩たる思いで親に頭を下げ、学生時代ぶりに1ヶ月分の生活費を借りた。(この時前職を辞めたことを初めて打ち明けた)

3月は辛かった。
契約上3ヶ月ごとに更新がかかる仕組みとなっているのだが一向に更新連絡が来ない。
その上担当の監督が2月末で前触れもなく現場を抜けて自分一人だけのチームになった。
プロジェクトの責任者に伺うと元々3月を以って解散するチームであったそうだ。
最終出勤日も特に誰から何も言葉をかけられることもなく終了し、フェードアウト。
最後の2週間は不安を抱えながら再びエージェントと共に各所面接を回っていた。
本当に社会の歯車なんだな、と帰りは毎日冬の虚空を見つめていた。

厳しい冬の中で一瞬ではあるが光が差し込んだ。
月末の報酬振込日である。
フリーランスが報酬(ある種給与のようなもの)で一喜一憂してはいけないのは重々承知しているが、3ヶ月ぶりの収入且つ、額も相まってこの時ばかりは青年も尊厳を取り戻して笑顔になったものだ。
前職時代の2.5倍の所得額が口座に振り込まれていた。
本当に何度も言うがフリーランスが報酬額で一喜一憂してはいけない。
税金やその他年金等の支払い・用意も自己で管理せねばならない。
一寸先は闇である。
しかし、やはりエンジニアという立場からすると収入が2,3倍に跳ね上がるというのは精神的安定感が断然に違うのだ。
とは言え各種借金を抱えている身分上、彼は無駄な出費は抑えて慎ましい生活を送った。(後にミニマリズムに傾倒することとなる…)

~芽吹き~

まだ冷え込む日が続く4月。青年は新しい現場にいた。
白を基調とした清潔感の漂うスペースを感じるゆったりとしたオフィス、私服で働く人々、聞こえてくる談笑、パートナーに対する人権尊重を感じる丁寧な対応。
青年ははじめ来る現場を間違えたかと思った。
彼の中ではIT会社とは薄暗くてどこか不潔で誰も話していないか又は罵声が飛び交う場所だと刷り込まれていたからである。
その上登場するのはRubyやPythonなどQiitaでしかまともに見たことのない言語、SlackやScrapboxなどのモダンなコミュニケーションツールの数々。
そう、彼が辿り着いた現場はいわゆる「Web系自社開発企業」であった。
実施場所は違ったが、面談の際に何となく開発環境が良いことを肌で感じ取っていた彼は自身の伸びしろを猛アピールして現場入りを勝ち得た。
「都市伝説じゃなかったんだ…」
青年はその日の夜感動のあまり涙を流したという。

主な業務担当もプログラマー、と言うか開発手法もアジャイル開発でありいい意味で工程の概念が緩く短期スパンで多様な開発経験を得られた。
ガチガチの金融ウォーターフォールや公共事業案件から比べると裁量の柔軟性に戸惑うこともあったがとにかく楽しく開発に集中できた。
「俺も新卒でこんな会社に入りたかったな…」
早くも新現場に恩義を感じた青年はとにかく仕事に打ち込んだ。
メインで担当するシステムはJavaによる社内業務用アプリケーションであったが、開発する中でJenkinsによるデプロイやAWSでのDBサーバ構築・ロギング分析などインフラ寄りの知見も増やしていった。
数か月経ち契約も更新が続き、圧倒的な意思で現場に貢献しようと奔走する彼に一つの転機が訪れる。
新サービスの立ち上げにWebのSPA構築の主担当として携わることが決まったのである。
扱うのは今を時めくVueとNode。
無論、SPAはおろかフロントエンドなどJSP程度でしか扱ったことがなかった。
しかし彼は役割の議論で話が挙がった時に真っ先に手を挙げた。
「特注品の歯車になってやる」
1年前では考えられなかった強い向上心が一人の男を突き動かしていた。
初めて目の当たりにする深いJavaScriptの世界に翻弄しつつも他のメンバーとも協業しながら何とかリリースにまで至った。
サービスとして正式にローンチされた時は我が子の巣立ちかの如く感慨深いものが込み上げた。
こちらの現場とは今も契約を続けさせて頂いている。

1年弱ではあるもののフリーランスとして荒波に揉まれ着実に実力と自信を付けていった青年は次なるステップへ進もうとしていた。
知人の紹介経由で準委任のリモート案件を副業として直受けで獲得したのである。
こちらもVueやRubyなどでシステム構築する新規サービスであり、確実にスキルのわらしべ長者戦略が活きているのを感じた。

そこにはもう1年前の青年の姿はなかった。
彼は多忙ではあるが人生の楽しみ方を覚えていた。

~後書き~

ここまで読んでいただきありがとうございました。
この話は実際に私が過ごした一年を客観的に記したエッセイであり、九割九分実話です。
フリーランスは後ろ盾が少ない意味で苦労する点もありますが気概があれば自分で自分の采配を振るう刺激と程良い緊張感に満ちた楽しいワークスタイルです。
これからフリーランスエンジニアを目指される方の一助になれば幸いです。
最後に私の今後の展望とエッセイ中で登場した内容で幾つか注意しておくべきポイントを挙げて締めとします。

今後の展望

事務面

直近の課題として確定申告があります。
請求書・領収証などは何も考えず取り敢えず保管してありますが、この年末年始の期間を利用して何をしなければならないか整理する必要があります。
税理士を利用するべきか、会計ソフトはFreeeがいいのかとか以前に根本的なことを把握できていないですが、一年後の自分が笑いながら振り返っていることを期待しています…笑

プライベート面

  • 夢追い人

完全に余談ですがプライベート面ではいわゆる自称ミュージシャンをやっています。
フリーランスになった大きな目的の一つに働く時間を調整して音楽活動にもっとコミットして、ゆくゆくはこちらで大成したいという夢があります。夢追い人にとってフリーランスのエンジニアというのは収入面や時間面でメリットが大きいです。人生の選択肢として検討の価値ありです。

  • 休暇

フリーランスは暇を作ってはいけない、とよく言われます。
自分も良くも悪くもこの一年間休みなく働いてきたのでそろそろリフレッシュしたいなと思う時はあります笑
借金を完済してある程度貯金したら現場仕事の切替タイミングを調整して、数ヵ月リフレッシュで旅行に行こうと考えています。
こういう休みの取り方を計画できるのもフリーランスならではのいい点だと思います。

エンジニア面

  • フロントエンド志向のエンジニアになる

Vueで完全にJSの味を占めてしまったのでエンジニアの方向性としてフロントエンドを志向しつつ、引き続き現場でフルスタックに知見を増やしていきたいです。

  • リモート仕事を増やす

エンジニアの世界は狭いもので副業で得たリモート案件も先に述べた音楽活動関係から派生したものであり、能動的に仕事を取りに行けば案外リモートの仕事を探すのは難しくないと知りました。
さすがにリモート仕事一本だけで食っていくことは経済面で不安定ですが、複数の案件を同時並行できれば現場仕事を抜けてフルリモートのエンジニアになることもかなり現実的なことのように思います。

  • 将来的にはエンジニアを辞める(5年後くらい)

個人事業主として同じ業務内容であっても圧倒的に「ビジネス」というものを意識するようになります。
また仕事をする中で経営者の方などと知り合う機会も増え徐々に起業というものに興味も湧くようになりました。まだアイデアもない状態ではありますが、先で述べた音楽活動の動向を照らしつつ遠くない将来としてIT業界で得た知見を利用して何かビジネスを興せればなと考えている次第です。

エンジニアとして注意すべきポイント

🏫プログラミングスクール

具体的なスクール名は挙げませんが、スクールでフリーランスの講師の方と出会えたことが人生のターニングポイントとなったのは紛れもない事実であり感謝してもしきれません(今でも仲良くさせて頂いております)。しかし運営元の会社に関しては多少注意して接した方が良いです。
まず高い。3ヶ月のコースで40万円強。その割にベースの教材はオリジナルのものでもなく誰でも無料でも扱えるオンライン学習サイト。講師ごとでカスタマイズしてくださる内容もありますが、単純に上記サイトを利用するだけであればスクールに通う必要はなし。スクール側も契約書にはコンサルティングという形でサービス内容を記載していたので、現場の前線にいる外部の講師からリアルな情報のヒアリング・受講後の転職独立など大きな目的を持っていないと確実に損をします。私は受講した当初は貧乏であったため(決済会社側の)利息が大幅に上乗せされた3年の分割払いを選ぶこととなり、現在も払い続けています(来年中に一括で払い終わらせてやるぞ…)。

🤓フリーランスエージェント

基本的に「客先常駐型の準委任契約案件」を斡旋するSES(システムエンジニアリングサービス)の一形態という認識で間違いありません。
常に意識しておくべきなのは彼らの顧客は我々エンジニアではなく、斡旋先の企業であるということです。通常のSES企業は派遣エンジニアの営業や経理を肩代わりしています。フリーランスエージェントの場合はサポートはしてくれど単に個人事業主と求人企業を繋ぐのが役目なので単価の交渉・請求/注文/勤怠管理作業・確定申告・資産形成などのお金周りは全て自己責任です。エージェントとはビジネス視点でコミュニケーションを取りましょう、貴方の上司ではないので。
またエージェント選定の際にはマージン率は要チェックです。平均的には単価の20%がマージンの相場と言われています。30%などは高すぎ、フリーランスとしての旨味がないです。私が利用しているエージェントは10%です。
そして見えない多重下請け構造が存在することは知っておいた方がいいです。エージェントから直で現場に派遣はほぼありません。他のSES企業を1,2社は必ず挟んでいるでしょう。単価決めにおいては直接的に意識する必要はないと思います。

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