1. はじめに
「プログラミング宗教戦争」は, いつもどこかで勃発しています.
もちろんこの Qiita 上でもいざこざは絶えません.
近しい記憶でいけば, 「オブジェクト指向が5000%理解できる記事」や「ゴミ記事書くな記事」にまつわる争いがありました.
果たしてこの「プログラミング宗教戦争」は 悪 なのでしょうか?
2. 「オブジェクト指向が5000%理解できる記事」から学ぶ宗教戦争
昨今のプログラミングといえば, オブジェクト指向 で書かれることが多いですが, その概念は非常に難解な上に捉え方が幾通りもあり, プログラマたちを日夜苦しめています.
そんな殺伐とした中, 当該記事が投稿されたわけです.
しかし, その内容は万人に受け入れられるものではありませんでした.
ある人にとっての「オブジェクト指向」と, また別なある人にとっての「オブジェクト指向」は全くの別モノだったわけです.
その結果, コメント欄で "宗教戦争" が勃発しました.
そして次第にコメント欄の枠を超えて, 記事 vs 記事 での大戦争となったわけです.
あたりまえですが, 人によって考え方はさまざまです.
だからこそ, この記事は大変盛り上がったわけです.
おのおのが考える "理想のオブジェクト指向像" を大いに語らいあいました.
さて, ここで冷静になってコメント欄や関連記事を眺めてみましょう.
今まで「こうだ!」と思って疑わなかったことを, 「否定」ないし「肯定」されていませんでしたか?
もしかすると, 今まで知らなかったような知識や知見を得られた人もいるのではないのでしょうか?
当該記事のコメント欄の中でも「宗教戦争」という言葉がでてきていましたが, この「宗教戦争」があったおかげで自身の知識に対して何らかの刺激があったかと思います.
こういった白熱した 戦争 が勃発したおかげで新たな発見が生まれたわけですね.
それだけでもこの 戦争 が勃発した意味があったのではないでしょうか.
3. 建設的な "宗教戦争" をしよう!
すべての宗教戦争が 悪 だとは私はまったく考えていません.
むしろ宗教戦争には 良い面 がたくさんあると思っています.
ここで断っておきますが, 何も皆さんに 宗教戦争 をしまくって欲しいわけではありません.
建設的な宗教戦争をしましょうという提案にすぎません.
「宗教戦争なのに建設的とはコレいかに?」と思われるかもしれません.
しかし, たしかに「建設的な宗教戦争」は存在しています.
それは, お互いを罵倒しあうものではなく, 対象の「何がダメ」かを指摘し,
自案の「何がよい」のかを展開するのです.
「お前の意見はクソ. 俺の意見が至高.」
これではいけません.
対象を dis るにはそれなりの理由があるはずです.
まずはそれを指摘し, それに勝る案を披露してあげればよいのです.
そうすることによって相手にとってもプラスになり,
また, 自分の意見をさらに上回る素敵な考え方に突っ込まれるかもしれません.
しかし, それもまた自身の知識や技術力の糧となると考えれば, 良き出会いだと言えるでしょう.
そして, "建設的な宗教戦争" は すなわち ディスカッション と同義なのです.
相手の意見を聞き, 自分の意見とすり合わせ, さらに良いものを作り上げていく上で ディスカス は必要不可欠な存在です.
ディスカスを通じてのみ成長できると言っても過言ではないでしょう.
みなさんも, 「建設的な宗教戦争」ライフを楽しんでいきましょう.
4. おわりに
コメント欄で「宗教戦争するな」的なコメントをよく見ます.
そこでの宗教戦争の内容が, いわゆる「無価値な宗教戦争」であったならば止めにかかるのはありだと思います.
ただ「建設的な宗教戦争」であるならば, さらに活発にしても良いのでなかろうかと思います.
そして, この記事もまた, 私個人の意見であり, 全体に対して強要するようなものでもありません.
この記事自体が「宗教戦争」の火種なのかもしれません.
が, それでまた知見が広がるのであるならば, それはそれで有意義なものだったのでしょう.