AI が技術記事を読み、噛み砕いて説明してくれる時代。
エラーが出たとき、もはやコピペしてググるのではなく、AI に聞くのが当たり前になっています。
それでも技術記事を書く意味はあるのでしょうか?
AI による要約
この記事の内容を要約しました。
AI のメリット
- 早くて正確
- 読者に合わせた出力
- 正確性のチェック
記事を書くモチベーションが減った理由
- いいねがつかない
- 記事は埋もれる
- 個性も求められない
なぜ記事を書くべきか
- ポートフォリオ
- コミュニティへの貢献
- 思考整理
そもそも「技術記事」とは何か
本題に入る前に、まず「技術記事」の特性を整理しておきます。
私自身、インターネット上のすべての記事が AI 経由で読まれるようになるとは思いません。しかし、一般の記事と技術記事には大きな違いがあります。
- 一般の記事:体験を伝える、感情を伝える、物語を語る
- 技術記事:技術のナレッジを共有する、問題解決の手段を提供する
この違いが重要です。
技術記事は本質的に「情報の伝達」が目的です。読者が求めているのは美しい文章や著者の個性ではなく、効率的な知識の習得です。
(なお、いわゆる「ポエム記事」は、ここでいう技術記事には含めません。)
AI に仲介させるメリット
言うまでもなく、AI に仲介させるメリットは多数あります。
1. 圧倒的な時間短縮
直接読むより、内容の理解が格段に速くなります。
- 必要な情報だけを抽出
- 冗長な説明を省略
- 気になった部分をその場で聞ける
2. 読者の熟練度に合わせた出力
記事は静的なため、読者とのレベルミスマッチが理解の妨げになります。
しかし AI を介すと、動的にコンテンツを変換できます。
- 読者の理解度に合わせて調整
- 読者が精通している技術に例えて説明
- 質問形式で読み進める
3. ファクトチェック
技術記事には、間違った情報や古い情報が含まれていることが少なくありません。
AI を使えば、読むだけでなく検証も同時に行えます。
- 信頼できる情報源と比較
- 情報が最新かを確認
- ベストプラクティスに沿っているかの検証
賛否はあるでしょうが、効率・信頼性・理解しやすさのいずれにおいても、AI 経由のメリットは明らかです。
記事を書くモチベーションが減った
AI の普及は、執筆のモチベーション低下につながっていると感じます。
1. いいねがつかない
人間が読まなくなり、いいねやコメントがつきにくくなりました。
加えて、AI 生成記事の氾濫により、記事が埋もれやすくなりました。
X(旧 Twitter)やはてなブックマークでも、技術記事が話題になりにくくなったと感じています。
アドベントカレンダーでも、AI 生成と思われる記事が大量に投稿されています。
なお、AI で記事を書くこと自体は否定しません。
「AI 生成」と判断しているのは、大量投稿されている記事や、既存情報の寄せ集めに過ぎない記事です。
2. 個性が求められない
AI が読者となるため、個性的な文体やユーモアが評価されなくなります。
AI が生成する均質な文体に慣れた結果、人間らしい文章がかえって読みづらく感じられることすらあります。
個性が押し殺され、「効率的な情報伝達」だけが求められる。誰が書いても同じような記事を、わざわざ書き続けるモチベーションを保つのは難しいです。
3. AI のトレーニングデータになるだけ
技術記事を「コミュニティへの貢献」として書くという動機は、本来健全なものです。
しかし貢献先が人間でなく AI だけなら、虚しさを感じてしまいます。
時間をかけた記事が AI に学習され、著者名は消え、著作権は認められない。
このような状況でモチベーションを保つのは、難しいことです。
では、なぜ私は記事を書くのか
1. ポートフォリオとして
AI による量産が可能になり、記事数はスキルの指標にならなくなりました。
とはいえ、記事の中身を見れば、スキルレベルは見抜けます。
AI 時代では、学んだことを形にする能力が重要です。頭の中の知識は AI に見えません。アウトプットに抵抗なく手を動かせること自体が、価値あるスキルだと考えます。
2. コミュニティへの貢献
どうせ LLM に食べられるだけ。
みんなが LLM という焚き火を囲んでいて、そこに薪をくべるようなものです。
でも、それは尊い行為だと思います。
私自身、エラー解決で何度も記事に助けられてきたし、Qiita の記事に魂を震えさせられて React を始めました。
自分の書いた記事が、AI を経由して、未来の誰かを助けるかもしれない。
巨人の肩に乗っていることを自覚し、受け取ったものを次に渡していく。このオープンソース精神こそ、IT エンジニアの文化だと思います。
3. インプットの加速
古くからある話ですが、アウトプットすることで理解が深まります。
呼吸と同じで、吐くためには吸わなければなりません。
AI を使えば、情報の咀嚼と文章化を任せられるため、インプットとアウトプットを同時に行いやすくなりました。
AI で技術記事を書くときに気をつけたいこと
1. 理解して使う
当然ですが、理解していない内容を記事にしても、学びにはなりません。
逆に、理解せず投稿すれば誤情報を広め、自身の信用を失う恐れがあります。
ただし注意したいのは、「自分が理解している」というメタ認知そのものが難しいということです。
2. AI を使ってもいい
AI 臭い文体を気にする人もいますが、個人的にはそこまで重要ではないと思います。
むしろ、AI で書いたものを人間が書いたと誤認させることに、どんなメリットを感じているのか自覚すべきです。
重要なのは、記事の内容と、それを書くまでに自分が理解したプロセスです。
AI に食われる前提で記事を書くなら
匿名で LLM に記事を捧げるスタンスもあっていいと思います。その場合、以下を意識したいです。
1. 新しい知見を含める
ネット上に既にある情報を書いても、LLM への貢献にはなりません。
実際に手を動かして得た気づきや、ニッチな知見には価値があります。
1万文字のまとめ記事より、500文字のニッチなエラー解決策の方が、コミュニティへの貢献度は高いでしょう。
2. コンテキストの圧縮として捉える
ただし、まとめ記事にも価値はあります。
散らばった情報を AI が集めると、時間がかかるうえにコンテキストが膨らんで精度が落ちます。
通常、そうした場合にはコンテキストを分割したり、情報を圧縮したりする手法が用いられます。
まとめ記事は、この圧縮を事前に行っているものとして捉えられるため、価値があります。
3. 画像だけで説明しない
AI フレンドリーな記事を目指しましょう。
画像やスクリーンショットのみでは、AI が内容を把握しにくくなります。
テキストで説明を補完することで、AI が理解しやすくなります。
さいごに
私は本屋さんが好きです。
知らない本ばかりで、「ここで出会わなければ読まなかっただろう」という本に出会えるからです。
Qiita のようなプラットフォームは、IT エンジニアにとっての書店です。
AI に質問するだけでは得られない、セレンディピティがそこにはあると思います。
今後、技術記事が人間に読まれる機会はどんどん減っていくでしょう。
それでも、私は Qiita に書き続けたいです。
名前も知らない先輩方の記事に助けられてきたように、私も誰かの役に立ちたい。
これからもずっと、Qiita がエンジニアの可能性を広げる場であり続けてほしいと思います。