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LLMトークン0円のグラフRAG「LinearRAG」を完全実装したら、使いどころが数字で見えた

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LLMトークン0円のグラフRAG「LinearRAG」を完全実装したら、使いどころが数字で見えた

TL;DR

  • グラフRAGの弱点である「LLMによる関係抽出」を丸ごと捨てる論文 LinearRAG(arXiv:2510.10114)を、論文の数式だけからクリーンルーム実装した
  • 索引構築のLLMトークン消費はゼロ。658文書の索引がGPUで124秒、検索は0.14秒/クエリ。論文が使った4データセット全部で評価し、2WikiMultiHopQAで論文と同水準(72.9% vs 論文70.2%)
  • 素のベクトル検索と比べると、multi-hop質問で2〜3倍、単一ホップでは逆に負ける——グラフRAGの使いどころが数字ではっきり見えた
  • 日本語でも検証。spaCy標準モデルのNERが英語の1/10しか取れない壁はGiNZAで突破(密度2.5倍)し、日本語multi-hop(JEMHopQA)でもdenseの1.6倍を確認
  • 実装はClaude Codeのスキルとして公開: nahrun1682/LinearRAG-Skill

1. なぜLinearRAGか — 「関係抽出、それ本当に要る?」

GraphRAG系の手法は、multi-hop質問(「Beatrice Iの夫の国籍は?」みたいに複数文書をまたぐやつ)に強いとされる一方、実運用ではnaive RAGに負けるという報告が相次いでいます。

原因としてLinearRAGの著者らが指摘するのが、グラフ構築時の関係抽出(OpenIE)の品質です。

  • 局所的な誤り: 「アインシュタインは相対性理論ではノーベル賞を取っていない」→ (アインシュタイン, ノーベル賞受賞, 相対性理論) と否定が消える
  • 大域的な不整合: 文書ごとに独立に抽出するので、コーパス全体で三つ組が矛盾する
  • そして何より高い。LLMで全文書を舐めるので、LightRAGだと2Wikiの実験全体(索引+検索)でpromptトークン35M超・completion 51M超(論文Table 2)

LinearRAGの答えは過激で、関係を抽出しない。

文書をまたいで情報をつなぐ主役は「関係」ではなく「エンティティの一致」であり、関係の意味は三つ組に圧縮せず原文に残して、読むのは推論時のLLMに任せればいい

グラフには関係ラベル付きエッジが存在せず、あるのは3種類のノード(passage / sentence / entity)と2つの疎行列だけです。

Tri-Graph:
  C行列 (passage × entity):  パッセージpがエンティティeを含むか
  M行列 (sentence × entity): 文sがエンティティeに言及するか (0/1)

(論文の式1・2ではどちらも二値の指示関数。ただし後段の式7がエンティティの出現回数 N_pi を使うため、実装ではCを出現回数で保持し、使う場面で二値化しています)

構築に必要なのは文分割とNER(spaCy)だけ。LLM呼び出しゼロ、コーパスサイズに線形です。

pipeline.png
construction_walkthrough.png

2. 図解: グラフ構築とグラフ検索を3エンティティで追う

数式に入る前に、論文の2つの中核——グラフ構築とグラフ検索——を、手で追える最小の例(パッセージ2つ・エンティティ3つ)で見てみます。

グラフ構築: やっているのは「出席簿づくり」だけ

p0: 夏目漱石は松山で教師をしていた。夏目漱石は『坊っちゃん』を書いた。
p1: 『坊っちゃん』は松山が舞台の小説だ。

このコーパスからLinearRAGが作るものの全てが、次の1枚に収まります:

construction_walkthrough.png

やっていることは3つだけです。

  1. 文分割: パッセージを文に切る(句読点ベース、spaCy)
  2. NER: 各文から固有表現を拾う(漱石・松山・坊っちゃん)
  3. 集計: 「どのパッセージ/文に、どのエンティティがいたか」を2つの疎行列に記録する

C行列は「パッセージの出席簿」、M行列は「文の出席簿」です。「漱石が坊っちゃんを書いた」という関係そのものはどこにも記録していないことに注目してください——それは原文が持っていて、読むのは最後のLLMの仕事。グラフはあくまで「誰がどこにいたか」の索引に徹します。だからLLM抽出が不要で、誤抽出も起きようがない、というのが論文の主張の核です。

グラフ検索: 「同じ文にいた仲間」を伝って正解に近づく

このグラフに「『坊っちゃん』の舞台はどこ?」と聞いてみます:

retrieval_walkthrough.png

  • Stage 1(エンティティ活性化): クエリから「坊っちゃん」を抽出してシードに。坊っちゃんが出席している文のうち、クエリと意味が近い文(s2「…松山が舞台…」、σ=0.9)にいた「松山」へ活性が染み出します。一方、意味が遠い文(s1「…を書いた」、σ=0.4)経由の「漱石」は閾値δに届かず枝刈り——これが探索の暴走を防ぐ安全弁です
  • Stage 2(PageRank): 活性化した「坊っちゃん」「松山」を起点に、C行列の二部グラフ上でPersonalized PageRankを回し、両方のエンティティが集まるパッセージp1を1位に押し上げます

つまり検索の直感は「クエリの登場人物と同じ文に居合わせたエンティティを仲間に加え、仲間が一番集まっている文書を選ぶ」。関係ラベルなしでmulti-hopが解ける理由が、この2ステップに凝縮されています。次章でこれを数式と実装コードに対応させます。

3. 数式と実装 — 検索は2段階「橋を渡してから、街の重要度を測る」

Stage 1: エンティティ活性化(意味の橋渡し)

クエリのエンティティを種として、文×エンティティの二部グラフ上で活性を伝播させます。論文の式5がこれ:

a_t = \max\left(M^\top(\sigma_q \odot (M a_{t-1})),\ a_{t-1}\right)

日本語にすると「活性エンティティを含む文のうち、クエリに意味的に近い文にいる他のエンティティへ、活性が染み出す」。実装は疎行列演算3回とmaxだけです:

for it in range(2, max_iterations + 2):
    spread = M.T @ (sigma * (M @ a))     # 文経由で隣のエンティティへ
    updated = np.maximum(a, spread)
    newly = (levels == 0) & (updated >= delta)   # 動的枝刈り
    ...

これが効く実例として、論文(Table 7のケーススタディ)は次の連鎖を示しています:

Q: What nationality is Beatrice I's husband?
  hop 0: Beatrice I           ← クエリ直結
  hop 1: Frederick Barbarossa ← 「Beatriceの夫は…」の文経由で活性化
  hop 2: Germany              ← 「Frederickはドイツ王に…」の文経由で活性化

activation_chain.png

クエリと意味的に全く似ていない「ドイツ」の文書に、エンティティの橋だけでたどり着きます。ベクトル検索には原理的にできない芸当です。

なお私の再現実装で同じクエリを実行すると、活性化の経路は論文と同一にはなりません(枝刈り閾値などの設定が違うため、Burgundy系のエンティティが活性化されます)。それでも正解「Germany」を含むパッセージはrank 1で返ってきました——特定の連鎖に依存せず、活性化された近傍+PageRankの合わせ技で正解に到達するのがこの手法の頑健さです。日本語での本物の活性化ログは後半の可視化セクションでお見せします。

Stage 2: Personalized PageRank(大域的な重要度)

Stage 1の活性値をシードに、passage×entityの二部グラフでPPRを回して、上位k件のパッセージを返します。回答生成はしません——そこはスキルを呼んだClaude本人の仕事、という設計です(だから検索側のLLMコストもゼロ)。

4. Claude Codeスキルとしての実装

.claude/skills/linearrag/
├── SKILL.md            # トリガー条件と使い方(Claudeが読む)
└── scripts/
    ├── build_graph.py  # 索引構築CLI
    ├── query_graph.py  # 2段階検索CLI(JSONを返す)
    └── evaluate.py     # バッチ評価CLI

こだわった点:

  • クリーンルーム実装: 公式実装のコードは見ても使わない。論文の式1〜7から書き起こし、公式からはハイパーパラメータの意味と値だけを事実情報として参照(ライセンス面の配慮)
  • PEP 723 + uv: 各スクリプト先頭のインラインメタデータで依存を宣言。uv run だけで環境が立ち上がる。リポジトリ本体は依存ゼロ
  • 遅延import設計: spaCy/sentence-transformersは関数内import。おかげでユニットテスト47本はnumpy/scipyだけで0.2秒で回る
  • TDD: 式5の伝播は「2-hopで橋渡しエンティティが活性化する合成グラフ」を手計算で検算してからテストを書いた

手元で試すのは3コマンドです(初回はモデルDLで数分かかります):

git clone https://github.com/nahrun1682/LinearRAG-Skill && cd LinearRAG-Skill
uv run .claude/skills/linearrag/scripts/build_graph.py \
  --input <あなたの文書フォルダ> --output linearrag_index/mydocs
uv run .claude/skills/linearrag/scripts/query_graph.py \
  --index linearrag_index/mydocs --query "聞きたいこと"

top-5パッセージと活性化エンティティの推論チェーンがJSONで返ります。あとはそれをLLMに読ませれば回答が得られます。

5. 論文の全データセットで検証する

論文が使った4つのデータセット(HotpotQA / 2WikiMultiHopQA / MuSiQue / Medical)+日本語のJSQuADで、索引構築→検索評価を全部回しました。

データセット 索引構築(GPU) Retrieval-Contain@5 論文のContain-Acc
2WikiMultiHopQA 124秒 72.9% 70.2%
HotpotQA 562秒 75.4% 64.3%
MuSiQue 536秒 51.2% 33.9%
Medical 57秒 (※) GPT-Accのみ

指標に注意。論文のContain-Accは「生成した回答に正解が含まれるか」、こちらのRetrieval-Contain@5は「検索したtop-5パッセージに正解文字列が含まれるか」で、後者は前者の上限側に出ます。「HotpotQA 75.4 > 64.3だから論文超え」ではなく「生成精度を成立させるのに十分な検索品質」と読むのが正しいです。2Wikiの72.9% vs 70.2%は同水準と言ってよい範囲でした。

※Medicalは正解が長い記述文で文字列一致が原理的に効かないため、論文もGPT評価のみ使用(実測でもContain@5は0.4%となり、この指標が機能しないことを確認済み)。

一番面白かった実験: 素のベクトル検索との直接対決

同じ埋め込みモデル・同じコーパスで「cos類似度top-5だけ」のベースラインと比較しました。

データセット 素のdense検索 LinearRAG 差
2Wiki (multi-hop) 23.9% 72.9% +49.0pt(3.1倍)
HotpotQA (multi-hop) 42.7% 75.4% +32.7pt
MuSiQue (multi-hop) 29.7% 51.2% +21.5pt
JSQuAD (単一ホップ) 81.2% 74.3% −6.9pt

contain_comparison.png

multi-hopでは圧勝、単一ホップでは負ける。 質問と正解文書が語彙的に近い単一ホップQAではベクトル検索がほぼ最適で、グラフの重み付けは介入するほどノイズになります。グラフRAGを「入れるべきか」の判断基準が、この4行に凝縮されています。

6. 日本語で動かしたら、NERが壁だった

JSQuAD(1,145パッセージ・4,442問)に言語自動判定+spaCy日本語モデルで挑んだところ、パイプラインは無修正で動いたものの:

エンティティ/パッセージ クエリでエンティティ0個の率
英語 en_core_web_trf 35.7個 —
日本語 ja_core_news_sm 3.7個 40%
日本語 ja_core_news_trf 4.1個 —

日本語標準モデルのNEアノテーションは英語の約1/10。しかもTransformer版にしても+10%しか増えません(学習データのアノテーション自体が疎)。グラフの背骨がスカスカでは橋渡しのしようがない。

entity_density.png

そこでGiNZA(関根拡張固有表現・約200カテゴリ)を組み込んだところ:

  • エンティティ密度 3.7 → 9.4個/パッセージ(2.5倍)
  • クエリのエンティティ0個率 40% → 20%
  • smが完全に取りこぼしていた「梅雨」のようなトピック語も拾える

ただしGiNZAは最新spaCyとの互換問題(split_mode: Noneが設定バリデーションで弾かれる)があり、ロード時の設定上書きが必要でした:

spacy.load("ja_ginza", config={
    "components": {"compound_splitter": {"split_mode": "C"}}})

日本語でもmulti-hopならグラフが勝つのか? — JEMHopQAで検証

JSQuADは単一ホップなので、「multi-hopでの優位」が日本語でも成立するかは別の検証が必要です。日本語で唯一の本格multi-hop QAデータセット JEMHopQA(理研・NII、CC BY-SA 4.0)のdev 120問で試しました。根拠が [エンティティ, 属性, 値] の三つ組で付いている、2WikiMultiHopQAの日本語版のようなデータセットです。

コーパスは同梱されないので、各問題の根拠記事(219記事)をWikipedia APIから取得して3,578パッセージに分割し、GiNZA索引を構築。同一条件で素のdense検索と比較しました:

区分 n LinearRAG 素のdense 倍率
実質評価可能(YES/NO答を除く) 75 49.3% 30.7% 1.6倍
比較型(「AとB、早いのは?」) 28 78.6% 46.4% 1.7倍
合成型(「Aの夫の国籍は?」) 47 31.9% 21.3% 1.5倍

日本語でもmulti-hopならグラフが1.5〜1.7倍。英語の2Wiki(3.1倍)ほど劇的ではないものの、方向は完全に一貫しています。GiNZAで整備したエンティティ密度(この索引では25.6個/パッセージ)がグラフの背骨として機能した証拠でもあり、JSQuADで負けてJEMHopQAで勝つ——という対比が「グラフRAGは連想が必要なときだけ効く」という本記事の結論をそのまま裏書きしてくれました。

注意点も正直に:答えが「YES/NO」の45問はContain指標では測れないため除外しています。また正解は2021年のWikipedia由来なのに対しコーパスは2026年時点の本文なので、時間依存の7問はほぼ全滅でした(時点ズレ)。

7. おまけ: 索引の中身をグラフで覗く

作ったJSQuAD索引の実データを可視化してみると、この手法の「形」が直感的に掴めます。

まずTri-Graphの構造。「梅雨」記事の近傍で、パッセージ(青)とエンティティ(緑)を結ぶのがC行列、文(菱形)とエンティティを結ぶ破線がM行列です。関係ラベルを持つエッジがどこにもないのがLinearRAGの本質:

trigraph_structure.png

次に、実クエリ「日本で梅雨がないのは北海道とどこか。」を投げたときの2段階検索の実挙動。クエリ(オレンジの箱)からlevel 1エンティティ「日本」「北海道」(オレンジ)が立ち、意味伝播でlevel 2(緑)——正解の「小笠原諸島」もここで活性化——を経て、青いパッセージがランク付けされます:

trigraph_activation.png

rank 2に「サケ」の記事が混入しているのが見えますが、これは「日本」「太平洋」のようなハブ的エンティティ経由のノイズで、グラフ検索の弱点がそのまま可視化された正直な図です。インタラクティブ版(ドラッグ・ズーム・ホバー可)はリポジトリのdocs/results/にあります。

8. まとめと次にやること

  • 関係抽出を捨てたグラフRAGは本当に安くて速い(トークン0、線形構築、ミリ秒検索)
  • multi-hopでの優位は劇的だが、単一ホップでは素のベクトル検索に負ける。銀の弾丸ではなく、質問の性質で使い分けるもの
  • 日本語はNERの密度が最大の壁。GiNZAでかなり戦える。そして日本語のmulti-hop(JEMHopQA)でも1.6倍の優位が再現した

次はこれを個人のObsidian vaultのLLM記憶に使う計画です。Obsidianの[[wikilink]]やタグは人手でキュレーション済みのエンティティリンクそのものなので、NERに頼らずグラフを張れる——「連想記憶」というグラフRAGの一番おいしい使い方になるはず。

リポジトリ: https://github.com/nahrun1682/LinearRAG-Skill
論文: LinearRAG: Linear Graph Retrieval-Augmented Generation on Large-Scale Corpora (arXiv:2510.10114)


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