Wyckoff, Seamans et Benedict『Les machines à écrire』(Le Génie Civil, Tome XIX, No.26 (1891年10月24日), pp.430-431)には、Remington No.3のキー配列が掲載されている。この時点でWyckoff, Seamans & Benedictは、フランス向けにはAWERTY配列を採用しており、QWERTY配列でもAZERTY配列でもなかったことが見て取れる。
Octave-Maximilien Rochefort『Machine a Écrire Pratique «DACTYLE»』(Le Sténo-Dactylographe, 2e Année, Nos.15-16 (1897年3-4月), p.106)には、Dactyle (Blickensderfer No.5のフランス向けモデル)が掲載されていて、キー配列が見て取れる。私(安岡孝一)の見る限り、上段がWZYBHFXKと並んでいて、孤高のキー配列である。
『Annuaire-Almanach du Commerce』(Didot-Bottin) 1901年版のpp.2001-2003には、パリのタイプライター販売業者が一堂に会しているのだが、図版中のキー配列にAWERTY配列やAZERTY配列は見当たらず、Remington No.7もQWERTY配列のようだ。
『Remarques et Observations sur la Mécanographie des dix doigts』(La Machine à Écrire, IIe Année, No.1 (1901年1月), p.6)では、AZERTY配列でのタッチタイピングが議論されている。この記事では、AZERTY配列を標準キー配列(clavier universel)と呼んでおり、その意味でも注目すべきだが、無署名であり筆者が誰なのかわからない。Louis-Arsène Schönenbornではないかとも思われるが、1901年8月に亡くなっていて(cf.『Nécrologie』La Machine à Écrire, IIe Année, No.9 (1901年9月), p.138)、ウラが取れない。『Méthode de Mécanographie “des Dix Doigts” ou du “Toucher”』(La Machine à Écrire, IVe Année, No.2 (1903年2月), pp.20-21)でも同様に、AZERTY配列でのタッチタイピングが議論されているが、こちらの記事も無署名である。A. Pérès『Que Devient la Machine a Écrire?』(Cosmos, No.996 (1904年2月27日), pp.277-279; No.997 (1904年3月5日), pp.306-308)では、いわゆる標準キー配列(clavier dit universel)としてのAZERTY配列への統一が議論されている。
『European Manager G. Hemes Pays a Visit to the German Typewriter Factories』(Typewriter Topics, Vol.VI, No.4 (1907年8月), pp.151-158)には、AZERTY配列のIdeal A3が掲載されている。ただしSeidel & Naumannは、フランス向けキー配列をAZERTY配列で統一していたわけではなく、当時の広告の中には、特殊なキー配列のIdeal A2(あるいはベルギー向け)があったりする。
『la dactylographie à 20 élèves lorsqu'on ne possède que deux machines à écrire』(Almanach Stenographique, 11e Année (1912年), p.39)には、Clavier Écolier Navarreが掲載されており、AZERTY配列である。L'École Longin『Méthode Pratique et Théorique de Dactylographie dite «des Dix Doigts» sur le Clavier Universel』(Fontana/Alger, 1916年)は、標準キー配列(clavier universel)にAZERTY配列を採用したタイピング教本である。少なくとも、これらの速記学校やタイピスト学校は、この時期にパリでAZERTY配列を教えていたわけだ。
Remington Typewriter Company『La Remington Portative』(L'Escrime et le Tir, 2e Année, No.19 (1922年8月), p.44)には、AZERTY配列のRemington Portable No.1が掲載されている。フランスRemingtonの標準キー配列(clavier universel)は、この時点でAWERTY配列ではなくAZERTY配列になっていた、ということである。
QWERTY配列の成立過程を考えると、数字のシフト側収録は1878年、AとQの交換は1882年から1890年の間で、AWERTY配列は成立したことになる。ZとWの交換は、その後1900年までに起こって、AZERTY配列が現れたはずである。ただし、AZERTY配列の出現後も、様々なキー配列が群雄割拠する状態がフランスでは続いていて、それらが収斂するのが1922年あたりということだろう。




