釋天嶺『狄島夜話記』(享保19年)は、東北大学附属図書館に手書きの紙折本と巻子本が所蔵(請求記号 丙C/3-13/4)されており、内容の一部が釋天嶺『松島夜話』(松島: 東礬, 元文3年)卷之下に再録されている。これらのうち『狄島夜話記』の巻子本を、縦書き崩し字と戦いつつ、私(安岡孝一)なりに文字起こししてみた。
狄島夜話記
支竺桑三國名勝志流布于
世東奧邊塞之志記如不
聞見余住于此日有大和當
麻之巡國僧梅氏者听松
前狄千島臼岳有善光寺
如来游舎東行参礼畄于
松府数旬月帰日又来松
島話其嶋物色命童侍
記之曰狄嶋在松前府東
西而舩路兩行疏矣厥東
距松府歴五百餘里嶋濱
五十餘所行々至喜伊達
不島是松府朝覲狄族也
其間去府三十里可有波古
多天嶋兹松府商民家居
復従此處阻四十五里有臼
岳一座山松府道俗𮚁糧
詣之便善光寺如来之游
舎者也復厥西距松府四
百餘里嶋数廿五六所至相
也所皆松府朝来之狄也
其間有久末伊之濱去府三
十里許松府商人家居
然而此相也之表嚮千里
可皆松前不庭之夷狄也
松府曰之赤狄此舩路逼北
高麗韃靼地也復是相
也近濱有加羅不途島
此處夷狄恒入北高麗購
金地等織物或巣玉来買
賣松前府俗曰之加羅不
途織加羅不途玉此玉實
瓦陶也又此相也近邊山沢
薮野中夏秋之交鶴雁
相鳩葺巣孚子等秋
尾子又赴諸夏暖國是
世俗曰鶴雁先春帰塞
者是也復此方従府阻二
百六十餘里有伊之加利島
俚俗傳言昔判官源氏逃
扵衣川流浪此地嶋之
里魁其名鬼岩者持羙
媳一子看源氏雄機配
之源氏聿戻止焉云此
濱夷族至今身羙婦
子故曰羙女島也竒熊有
謂矣従是畨俗威源氏
為神天思矣因崇之
曰久畄部加茂伊蓋加
茂伊仰神天主君之畨
語也復此伊之加利有
大河横三里可川遡百
里餘鮏魚夥矣乹鮏名
産此所方物也然而觀
其人物男子鬆髮不結
耳着扵環女子環有
組緒衣服皆単之
葛布限扵膝矣所謂
被髮左襟者也靣㒵眉
間一莖眼子丸而如鳥目
男子色黒四肢葺毛力
量弱也女子極而色白
項力強矣樵山負薪
額系千斤又能入水中
歴時不息漁游恣意
唇吻与爪甲黛矣似知
愧掩兩乳男女不着履
平生赤脚彳亍然足
跟不穢游行徐歩急
走如飛赴大小行堀沙
屏汚是恐日月照臨之
天威也是故不造厠云
平生調度只佩刀一口耳
彫角刻木或造燕器類
工巧精妙非和人所覃
見其食料得米釅酒
不知做飯朝夕食事
禽獣魚肉烹魚油喰
不喰塩味鹵水日々獲山
幇閑充棟云復見其氣
性得物報人又不典不取
不与矣常訪隣家夫
主不處不入其扄固避婦
疑也苟有直有義乎吁
夷狄有義勝諸夏罔矣
復耳常語和人曰志也
茂神天主君曰加茂伊僧
人曰部素利男子曰阿以
農女子曰免農古之米子
曰志也末奴飯曰阿末茂酒
曰部幾利烟筒曰㔟礼保
等畨語不乙也然松府
狄島行程有東西而
舩路疏矣其巡行前
程㑒落北狄也故古来
松前狄島用此狄字云
復松前狄千島之
総管也將帥也云々
夜話已了更點鐘
鳴為梅氏告罷云
享保十九秊夏日記
三住花園燕山中興
現松嶋瑞岩天嶺
書于所居蓮華軒斯歳七月十日
太守中將尊官見抂
玉轅扵松島之日
𣴎
尊命書此記奉
呈進
性空 典
ざっと読んだところでは、喜伊達不、波古多天、相也、久末伊之、加羅不途、久畄部加茂伊、伊之加利、志也茂、加茂伊、部素利、阿以農、免農古之、志也末奴、阿末茂、部幾利、㔟礼保、あたりが音写に見える。順にカタカナで書くと、キイタㇷ゚、ハコタテ、ソウヤ、クマイㇱ、カラㇷ゚ト、クㇽぺカムイ、イㇱカリ、シャモ、カムイ、ペスリ、アイヌ、メノコㇱ、シャマㇴ、アマㇺ、ペケㇼ、セレポ、あたりだろうか。ただし、佐藤知己『18世紀前半のいくつかのアイヌ語資料について』(北海道大学文学研究院紀要, Vol.127 (2009年2月), pp.29-58)は、多少、異なる読みを示しているので、前後の漢文も含め、もう少し検討する必要があると思う。