AIと仕事の構造|第1回
AIについて語られるとき、多くの議論は同じ形をしています。
「プログラマーの仕事はなくなるのか」
「事務職はどうなるのか」
「コンサルタントは生き残れるのか」
職業の名前を挙げて、それが残るか、なくなるかを考える。ニュースでも、書籍でも、社内の雑談でも、だいたいこの形式です。
正直に書くと、私はこの問い方に、あまり乗れていませんでした。
初めてChatGPTを触ったとき、経験の浅い人が担当してきた仕事はかなりの部分が変わる、という感覚は、わりとすぐに持ちました。ただそれは、「プログラマーという職業がなくなる」という話とは、どうも違う気がしていた。
だから、誰かがこの形で話すたびに、自分の感覚とのずれを確かめる、ということを繰り返してきました。何が違うのか、うまく言葉にできないまま、しばらく経ちました。
最近になって、そのずれの正体が少し見えてきた気がしています。
問いの立て方そのものが、違うのではないか。
そもそも私たちは、なぜこれほど多くの人間に仕事を割り当ててきたのだろうか。
奇妙な問いに聞こえるかもしれません。仕事があるから人が必要で、人が必要だから採用する。当たり前のことのように思えます。
けれども、この当たり前をもう一段掘ってみると、少し違う景色が見えてきました。
このシリーズでは、そこを考えていきたいと思っています。
このシリーズについて
以前書いた「AI時代のキャリア戦略」というシリーズでは、変化した環境の中で、個人がどう学び、どう働くかを考えました。
今回の「AIと仕事の構造」は、その一段下を掘るシリーズです。
そもそも、なぜそのような環境変化が起きているのか。
仕事とは、どのように分解され、誰に、どのように割り当てられてきたのか。
そして、その構造にAIが入ったとき、何が起きるのか。
シリーズ全体を通じた問いは、こうです。
AIによって仕事の構造が変わる中で、人間はどのように学び、経験し、熟達し、仕事をしていくのか。
ただし、第1回では、まだそこまで進みません。
今回やりたいのは、「AIによる仕事の代替」という問題の、見方そのものを変えてみることです。
答えを出す回ではなく、問いを立て直す回だと思ってください。
「人手不足」の中身を分けてみる
まず、身近な話から入ります。
日本のIT・DX分野では、長いあいだ「人材が足りない」と言われ続けてきました。
これは実感としても、調査結果としても現れています。
IPA(情報処理推進機構)の「DX動向2025」では、DXを推進する人材の「量」について、「やや不足している」「大幅に不足している」と回答した日本企業が合わせて85.1%にのぼっています。この数字は2022年度調査の83.5%、2023年度調査の85.7%とほぼ横ばいで、改善していません。
「質」についても聞いています。こちらは「過不足はない」と回答した日本企業がわずか3.8%でした。同じ質問で、米国は52.9%、ドイツは25.1%です。
ここまでは、よく知られた話だと思います。
ただし、これらはいずれも「企業がどう感じているか」を聞いた回答です。不足が客観的に測定されたわけではない。この点は先に断っておきます。
そのうえで、私が気になったのは次の点です。
「人手不足」という一つの言葉の中に、実はかなり性質の違う問題が混ざっているのではないか。
少なくとも、次の二つは分けて考えられます。
ひとつは、単純に人数が足りないという問題。
もうひとつは、必要な能力を持つ人が足りないという問題。
この二つは、まったく違う問題です。
前者なら、採用を増やせば解決に向かいます。後者は、採用を増やしても解決しません。
そして、ここで一つ興味深いデータがあります。
IPAが国勢調査などをもとに集計した日米比較によると、日本の情報処理・通信に携わる人材数は、2015年の約104.5万人から2020年には約125.4万人へと、5年間で約21万人増えています。
つまり、少なくとも2015年から2020年にかけて、IT人材の総数そのものは増えていました。
一方で、その後の調査でも、DXを推進する人材への強い不足感は続いています。
もちろん、この二つは調査の時期も対象も違います。「IT人材」と「DX推進人材」が指す範囲も同じではありません。それでも、人が増えても不足感が消えないという状況は、少し立ち止まって考える価値があるように思います。
さらにもう一つ。同じ集計では、日本のIT人材の約73.6%がIT企業(ベンダー側)に所属しています。米国はこの比率が反対で、約65%がユーザー企業側にいます。
ここから、少なくとも三つの解釈がありえます。
ひとつは、やはり絶対数が足りていないという解釈。
ひとつは、必要な能力を持つ人が足りないという解釈。
そしてもうひとつは、人はいるが、いるべき場所にいないという解釈です。
私はここで、「人手不足の正体は、実はできる人不足だった」と言い切りたいわけではありません。それは言いすぎだと思います。
日本には人口動態による構造的な労働力不足も存在します。ただ、それが最も強く現れているのは介護、建設、運輸といった分野で、IT職はそこまで上位ではないという推計もあります。
だから、この三つはどれも部分的に正しいのだと思います。
そのうえで、こう考えてみることはできるのではないでしょうか。
「人手不足」と一言で呼んできたものの中には、単純な人数不足だけでなく、「必要な能力を持つ人が足りない」という問題もかなりの割合で含まれていたのではないか。
もしそうだとすると、少し不思議なことに気付きます。
「必要な能力を持つ人が足りない」という状態は、今に始まったことではありません。おそらく、ずっと前からそうでした。どの時代のどの業界でも、熟練者は常に足りていなかったはずです。
にもかかわらず、仕事は回ってきました。
では、なぜ回ってきたのでしょうか。
全員が熟練者になるのを待っていたわけではない
考えてみると、不思議なことがあります。
どんな仕事にも、その道の熟練者がいます。そして、経験の浅い人がいます。実力には、大きな差があります。
にもかかわらず、多くの企業は、全員が熟練者になるのを待ってから仕事を始めるわけではありません。
新人が入ってきた翌月には、もう何らかの仕事を任せています。まだ十分な経験を持っていない人に、です。
なぜそんなことが可能なのでしょうか。
理由はいくつもあります。先輩がレビューする。失敗しても取り返せる範囲の仕事から渡す。教育の仕組みがある。
そして、もう一つ大きな理由があると思っています。仕事の側が、そういう形に整えられているからです。
私たちは、こういうことをしてきました。
- 大きな仕事を、小さな仕事に分解する
- やり方を手順化する
- 手順を標準化する
- 繰り返し使える形にテンプレート化する
- 判断する部分と、実行する部分を分ける
IT業界なら、分かりやすい例があります。
一つのシステムを作るという仕事を、要件定義、設計、実装、テストといった工程に分けます。
さらにその中で、全体の構造を決める、方式を選ぶといった重い判断は経験のある人が担当します。一方、決まった仕様に沿ってコードを書く、決まった観点でテストケースを作るといった部分は、比較的経験の浅い人にも渡していく。
この構造があるから、経験年数の異なる人たちが、一つのプロジェクトの中で同時に働けます。
ここで、慎重に書いておきたいことがあります。
「能力の低い人を働かせるために分業した」という話をしたいのではありません。
分業と標準化には、はっきりと複数の目的と機能があります。生産性を上げること。品質を安定させること。専門性を深めること。管理しやすくすること。大規模化を可能にすること。同じ結果を再現できるようにすること。
どれも重要です。
そのうえで、私はこう考えてみたいのです。
仕事を、個人の熟練度だけに依存させないこと。これもまた、分業や標準化が持っていた重要な機能の一つだったのではないか。
意図してそう設計したのか、結果としてそうなったのかは分かりません。おそらく、場面によって両方あったのだと思います。
なお、この見方自体は新しいものではありません。
19世紀のチャールズ・バベッジは、作業を分解すれば、それぞれの部分に必要な技能を持つ人だけを雇えばよくなる、という趣旨のことを書いています。20世紀の労働研究にも、分業が熟練を分解していく側面を論じてきた系譜があります。
つまり「分業には能力差を吸収する機能がある」という指摘には、長い歴史があるわけです。
私が考えたいのは、その先です。
その構造に、AIが入ってきたとき何が起きるのか。
従来の構造を、いったん整理してみる
ここまでの話を、単純化して並べてみます。
- 難しい仕事がある
- その仕事を分解する
- 判断する部分と、実行する部分を分ける
- 実行の部分について、手順やルールを標準化する
- 標準化できた部分は、経験の少ない人にも任せられる
- 結果として、多数の人間で仕事を処理できる
もちろん、現実の仕事がいつもこの順番で整理されるわけではありません。あくまで、後から眺めたときの見取り図です。
この構造は、IT業界に限りません。製造の現場でも、会計事務所でも、法律事務所でも、コンサルティングファームでも、形を変えて似たことが起きています。
そして、先ほど保留にした「人はいるが、いるべき場所にいない」という三つ目の解釈も、実はこの構造の話とつながっています。
仕事を分解できるということは、その一部を社外へ切り出せるということでもあります。日本のIT人材の多くがベンダー側にいるという構造は、少なくとも建前としては、「切り出せる形に整えて、外へ渡す」という前提の上に成り立っています。
ただし、それがうまくいっているかどうかは、まったく別の話です。
現場を見れば、ベンダー側からは「ユーザーが要件をまとめてくれない」、ユーザー側からは「ベンダーが業務を理解していない」という食い違いが、何十年も繰り返されてきました。切り出せる形に整えるという前提が、実際には成立していない現場は珍しくありません。この食い違いが、日本のIT活用が進まなかった原因の一つとして指摘されることもあります。
うまくいっている現場もあれば、そうでない現場もある。
ここで言いたいのは成否ではなく、構造としては、そちらを目指してきたということです。分解は、社内で人へ渡すためにも使われるし、社外へ渡すためにも使われる。同じ構造の、違う出口です。
「渡す先」は、以前から人間だけではなかった
ここで、よくある誤解を先に外しておきます。
「これまで仕事の出口は人間だった。そこにAIが現れた」
私も最初はそう書きそうになりました。しかし、これは正確ではありません。
標準化した仕事を機械へ渡すことは、ずっと前から行われてきました。
コンパイラは、機械語を書くという作業を人間から引き取りました。表計算ソフトは、電卓を叩いて転記する作業を引き取りました。自動テストは、手作業のテストの一部を引き取りました。CI/CDは、ビルドとデプロイの手順を引き取りました。RPAは、画面をまたぐ定型入力を引き取りました。
IT業界に限らず、産業用ロボットも、自動仕分け機も、同じことをしてきました。
つまり「分解して、標準化して、機械へ渡す」という流れ自体は、まったく新しくありません。
では、何が違うのでしょうか。
私は、渡せる部分の性質が違うのではないかと考えています。
これまで機械へ渡せたのは、手順が完全に確定している部分でした。入力が決まっていて、処理の手順が決まっていて、出力が決まっている。曖昧さが残っていると、渡せませんでした。
そして、ここが重要だと思うのですが——人間は、そこまで整えなくても仕事を引き受けてくれます。
これは、人間の側の大きな利点でした。
「いい感じにやっておいて」で通じる。書かれていない前提を、常識で埋めてくれる。指示が間違っていれば、「これ、おかしくないですか」と聞き返してくれる。想定していなかった状況が起きても、その場で判断してくれる。
つまり、人間へ渡す場合には、標準化を最後までやりきる必要がありませんでした。 曖昧なまま渡しても、受け取る側が埋めてくれるからです。
これは、コストの問題でもあります。仕事を完全に形式化するのは、そもそも大変です。手順書を書き切るより、「あとはよろしく」と言えるほうが、渡す側は圧倒的に楽なのです。
だから、標準化しきれない部分は人間に残りました。正確に言えば、人間に渡せるうちは、標準化をやりきる理由がなかった、ということだと思います。
そして、その「完全には形式化されていないが、極端に難しくもない」帯域が、経験の浅い人が担当してきた領域とかなり重なっていたように思います。
仕様書は書いてある。でも書いていないことも多い。そこは常識と文脈で埋める。判断が必要だが、大きな判断ではない。そういう仕事です。
生成AIについて私が一番大きいと感じているのは、ここです。
曖昧なまま渡せる相手が、人間以外に現れた。
自然言語で書かれた、抜けのある指示を受け取って、文脈をある程度読んで、足りない部分を埋めて、それらしい形にして返してくる。これまで、それができるのは人間だけでした。
生成AIが入ってきているのは、まさにこの帯域ではないでしょうか。
AIが担当し始めた領域を並べてみる
生成AIが担当し始めている作業として、一般によく挙げられるものを並べてみます。
コードを書く。テストを作る。文書のたたき台を作る。調査してまとめる。要約する。画面を実装する。定型的な分析をする。翻訳する。議事録を整える。
ここで一つ、断っておきたいことがあります。
この一覧は、あくまで「世の中で語られている範囲」です。
私自身は、これよりかなり先の領域まで、実際に組んで動かしています。仕組みの詳細はここには書きませんが、一つだけ言えるのは、「定型作業の自動化」という理解では、現状にまるで追いつかないということです。複数の専門領域にまたがる判断を含んだ仕事を、その場で組み立てながら進める。そういうものが、すでに現実に動く段階に入っています。
なので、この記事は「AIはまだこの程度だから」という前提では書いていません。むしろ境界は、上の一覧が思わせるよりずっと速く動いている、という感覚で書いています。
そのうえで、この一覧を眺めていて気になったことがあります。
これらの多くは、「手順は完全には決まっていないが、経験の浅い人にも任せられるように整えられてきた領域」と重なっているのではないか。
これはあくまで、私が並べて眺めた印象です。データで検証したわけではありません。
反例もすぐに思い付きます。「調査してまとめる」は熟練者も日常的にやっていることです。逆に、単純に見えてAIには難しい仕事もたくさんあります。現場の状況を見て判断する仕事、責任を引き受ける仕事、人と交渉する仕事は、AIにはまだ渡せません。
それでも、重なりはかなり大きいように感じています。
もしそうだとすると、これまでの構造に、一つ新しい問いが加わることになります。
これまでの流れは、こうでした。
難しい仕事を分解して、標準化して、経験の少ない人でもできる形に整えて、人へ渡す。
そこに、こういう問いが生まれます。
その仕事を、そもそも人へ渡す必要があるのか。
これは、「AIが人間の仕事を奪う」という話とは、少し違います。
仕事を分解し、標準化するという行為そのものは、以前と変わっていません。むしろAIに任せるためには、仕事を明確に分解し、何をしてほしいのかを言語化する必要があります。その作業の重要性は、以前より上がっているかもしれません。
変わったのは、分解した先に何を置けるかという選択肢の幅です。
これまで人間にしか渡せなかった帯域に、別の選択肢が現れた。
私は、いま起きている変化の中心には、これがあるのではないかと考えています。
「どの職業がなくなるか」ではなく、仕事を人へ割り当てるときに使ってきた構造そのものが、動き始めているのではないか、ということです。
ただし、「だから人間の仕事はなくなる」とは言えない
ここで一気に結論へ行きたくなるのですが、そこは慎重にいきます。
証拠を並べてみると、話はきれいに一方向へは進まないからです。
なお、以下では「AI曝露度」という言葉が出てきます。これは「その職業の仕事のうち、生成AIが技術的に関与しうる部分がどれくらいあるか」を数値化した指標です。仕事が奪われる度合いではありません。
職業が消えるより、内容が変わる
ILO(国際労働機関)が2025年に公表した研究では、世界の労働者の約4人に1人が、生成AIへの何らかの曝露を持つ職業に就いているとされています。
ただしILOは、こうも述べています。ほとんどの職業は人間の関与を必要とするタスクで構成されている。だから最も起こりやすい影響は、職業の消滅ではなく職業の変容である、と。
実際、この研究で最も曝露度が高いと分類された区分に該当するのは、世界の雇用の3.3%にとどまります。
「職業ごと消える」という絵は、少なくともこの研究からは支持されにくい。ここは押さえておくべきだと思います。
AIは若手を強くするのか
もう一つ、重要な論点があります。
Microsoft、Accenture、Fortune 100企業の開発者、合計4,867人を対象にした大規模な実験があります。AIコーディング支援によって、完了タスク数が約26%増加したという結果が報告されています。
そしてこの研究では、在籍年数の短い開発者ほど生産性の伸びが大きい傾向が示されています。数字としては、在籍年数の短い開発者が27〜39%の増加、長い開発者が8〜13%の増加でした。
これを見ると、「AIは若手を強くする」と言いたくなります。
ただし、重要な留保があります。
論文の著者自身が、この経験年数による差は統計的に有意な水準に達していないと明記しています。 平たく言えば、この差が偶然によるものである可能性を、まだ排除できていないということです。三つの指標すべてで同じ傾向が出ることを根拠に「そう見える」と述べている段階です。
AIはベテランを強くするのか
そして、ほぼ正反対の結果を報告している研究もあります。
科学誌Scienceに2026年に掲載された研究で、GitHub上の3,000万件を超えるコミット、約16万人の開発者を分析したものがあります。
ここでの結論は、AIの恩恵を受けていたのは経験のある開発者のほうだった、というものでした。彼らは生産性を上げ、新しい領域へも進出していた。一方、キャリア初期の開発者には、有意な恩恵が確認できなかったと報告されています。スキル格差は縮まるどころか、広がりうるという指摘です。
研究の方法はMicrosoftの実験とは異なりますが、こちらではまったく違う傾向が観測されています。
一方で、METRという組織の実験では、さらに違う結果が出ています。開発者16人・246課題という小規模な実験ですが、対象者はいずれも、自分が長年関わってきた大規模なOSS(オープンソース)プロジェクトの開発者でした。
結果は、AIを使ったほうが完了までの時間が約19%長くなるというものでした。
しかも興味深いのは、その開発者たち自身は、作業を終えたあとになっても「20%くらい速くなった」と感じていたことです。実際は遅くなっていたのに、です。
つまり、決着していない
三つの研究は、それぞれ違う方向を指しています。
若手のほうが伸びる。若手には有意な恩恵がない。熟練者はむしろ遅くなる。
現時点で言えることは、こうだと思います。
AIが経験の浅い人を代替するのか、それとも拡張するのか。これはまだ決着していません。
おそらく、両方が同時に起きています。どちらが強く出るかは、仕事の内容、対象システムの規模や成熟度、本人の使い方、組織の設計によって変わる。そう考えるほうが実態に近いのだと思います。
ここで、少し落ち着かない問いが出てきます。
仮に「AIは若手を強くする」という側面のほうが強かったとしましょう。一人の若手が、以前より多くの仕事を処理できるようになる。それは本人にとって良いことです。
しかし、同じ量の仕事を片付けるために必要な若手の人数は、そのぶん減るのではないでしょうか。
個人の能力が上がることと、その能力を持つ人が何人必要かということは、別の問題です。
もちろん、仕事の総量そのものが増えれば、この計算は変わります。歴史的には、生産性が上がった分野で仕事が増えた例もたくさんあります。だからこれは予測ではありません。
ただ、「AIは若手を強くするのだから心配ない」という言い方だけでは足りないのではないか。そう感じています。
そもそも、統計が追いつかない
ここまで研究を並べてきましたが、これらには共通する限界があります。
どの研究も、過去のある時点のAIについて測っています。METRの実験で使われたのは2025年前半のツールですし、Microsoftの実験に至っては2022年から2023年にかけて行われたものです。
ところが、この分野が変わる速度は、研究が結果を出すまでの期間より速い。データを集め、分析し、査読を通し、公表される頃には、測った対象はもう別物になっています。
つまりこれらの研究が答えているのは「あの頃のAIはどうだったか」であって、「今どうなのか」ではありません。
だから研究に価値がない、という話ではありません。傾向や構造を知るには、これに頼るしかない。
ただ、AIの変化が速いために、公表された研究結果だけで「今この瞬間」を捉えることには、どうしても時間差があります。 ここは正直に書いておくべきだと思います。
では、実感としてはどうなのか
ここから先は、私自身が現場で使ってみての感覚です。検証されたものではありません。そう断ったうえで書きます。
効果が大きく出るかどうかは、経験年数よりも、使う人が判断できるかどうかで決まるように感じています。
その技術が何なのか。どういう思想で作られているのか。何に効いて、何には効かないのか。それを幅広く押さえている人がAIを使うと、効果は作業時間の短縮にとどまりません。
その人ひとりで、完結してしまうからです。
これまで、複数人で仕事をするには調整が必要でした。他人に説明するための資料を作る。設計書を書く。認識を合わせるために打ち合わせをする。この調整のコストは、実はかなり大きい。分業には、そういう見えないコストがついて回ります。
判断できる人がAIと組むと、この調整のかなりの部分が消えます。そのうえで、作業のほうもAIが引き受ける。効果が大きく出るのは、この二つが重なるからだと感じています。
逆に、判断できる人がいない場合はどうでしょうか。
こちらは、あまり良い結果になりません。
よく言われるハルシネーションよりも、私が問題だと感じているのは、指示の側が曖昧だったり、間違っていたりする場合です。AIは、曖昧な指示でも、間違った前提でも、それなりの量を生成してきます。しかも、もっともらしい形で。
判断できる人がいなければ、それが妥当かどうかを誰も評価できません。結果として、大量に生成されたものを直す作業が発生し、その手間が、最初から自分でやるより大きくなることさえあります。
もしこの感覚が当たっているとすれば、先ほどの三つの研究が食い違っていたことにも、一つの説明がつくかもしれません。
分かれ目は経験年数ではなく、判断できるかどうかだったのではないか。
経験年数は、判断力の代わりとしてよく使われますが、同じものではありません。年数が長くても判断できない人はいますし、短くても押さえている人はいます。研究が経験年数で線を引いている限り、この差は見えません。
これも仮説です。ただ、シリーズを通して確かめていきたい仮説の一つになりました。
若手の採用は減っているのか
雇用側のデータも見ておきます。
Stanford Digital Economy Labが、米国最大級の給与データを使って行っている研究があります。2026年8月に更新された版では、AI曝露度の高い職業において、22〜25歳の若年労働者の雇用が約19%低い水準にあると報告されています。
「19%低い」というのは、曝露度の低い職業にいる同年代と同じペースで増えていたと仮定した場合との比較です。
同程度の差は、経験のある労働者には確認されていません。そして、その調整は解雇ではなく、若年層の採用を減らすことを通じて起きている可能性が示されています。
これは、今回の話と非常に相性のよいデータです。
だからこそ、慎重に扱う必要があります。
まず、この研究の著者たち自身が、経済全体で広範なAIによる雇用代替が起きているとは結論づけていません。これは観察された事実の記述であって、生成AIの普及によって引き起こされたものなのか、単に同時期に起きているだけなのかを判定するには、さらなる研究が必要だと明記しています。
そして、対立する説明も複数あります。
たとえば、AI曝露度の高い職種の求人減速は、ChatGPTが公開された2022年11月より前、2022年春から始まっていたという分析があります。だとすれば、原因は同時期に始まった急激な金融引き締めではないか、という指摘です。
これに対して研究チーム側は、AI曝露度の高い職種はむしろ金利の影響を受けにくい傾向がある、と反論しています。初期の減少にはAI以外の要因も含まれるが、AIの影響がより明確に見えてくるのは2024年頃からだ、という立場です。
リモートワークの定着によって、企業が若手を採用して育てる価値が下がったという説もあります。コロナ期の過剰採用が是正されているだけだ、という見方もあります。
デンマークの労働者を対象にした調査では、生成AIの収入や労働時間への平均的な効果は、ほぼゼロだったという結果も出ています。
つまり、「若手の入り口が狭くなっている」という現象は観測されているものの、それがAIによるものだと確定したわけではありません。
この留保は、必ず書いておくべきだと思っています。都合のよいデータほど、慎重に扱う必要があります。
「新しい仕事が生まれる」の中身
もう一つ、よく言われることがあります。AIによって新しい仕事が生まれる、という指摘です。
これも否定しません。ただ、中身は分けて考えたいと思っています。
新しい職種名が生まれることと、仕事の構造の中で重みが変わることは、別の話だからです。
たとえば「プロンプトエンジニア」という職種が一時期よく話題になりました。しかし、うまいプロンプトを書くことは、まさにAI自身が得意になっていく領域です。AIができるようになる仕事を新しい職種として数えても、それは長続きしません。生まれても、消えます。
一方で、重みが増すのではないかと感じている領域はあります。
一つは、そもそも何を作るかを決めること。もう一つは、品質を保証すること。そしてもう一つが、作ったものを立ち上げ、動かし続けるための技術です。
生成する側のコストが下がると、価値の重心は「作ること」から、その前後へ移っていくのではないでしょうか。前には、何を作るべきかを決めること。後ろには、作られたものが妥当だと保証すること、動き続ける状態にすること。
ここで参考になりそうだと思っているのが、化学や素材のようなプロセス系の生産業です。あの世界では、ものを作る作業そのものは設備が担っています。人の価値は、何を作るかを決めること、プロセスを設計すること、立ち上げること、品質を保証すること、保全することの側にあります。
ただし、これは類推であって、置き換えではありません。ソフトウェア開発がプロセス生産になる、という話ではないので、そこは注意が必要です。見るべきなのは工程の形ではなく、バリューチェーンの中で価値の重心がどこへ移るか、という点です。
そして、これはIT分野に限らないと思っています。マーケティング施策の企画・立案・実行でも、サービス業の価値提供でも、同じことが起きるのではないか。
ただ、ここを掘るのは第1回の範囲を超えます。
このシリーズが考えたいのは、雇用の総数がどうなるかという予測ではありません。一つの仕事がどう分解され、どこに価値が残り、誰に割り当てられるのか。その構造の話です。
新しい仕事が生まれたとしても、それが形式化できる部分を含むなら、やはり分解され、標準化され、誰か(あるいは何か)に割り当てられていくでしょう。構造の問いは、そこでも同じように立ちます。
見るべき単位は「職業」ではないのかもしれない
ここまで来て、最初の問いに戻ります。
「プログラマーの仕事はなくなるのか」
「事務職はどうなるのか」
「コンサルタントは生き残れるのか」
この問い方で研究成果を読むと、答えは「なくならないが、変わる」になります。ILOの結論も、おおむねそうでした。
これは、おそらく正しい答えです。
ただ、この答えには困ったところがあります。次に何をすればいいかが、まったく分からない。
「変わる」と言われても、自分の仕事の何が変わるのかが分からなければ、動きようがありません。
これは、答えが間違っているからではなく、問いの単位が粗すぎるからではないかと思います。
同じ「プログラマー」という肩書きの中に、設計を決める人も、決まった仕様を実装する人も、既存システムを保守する人もいます。この三人を「プログラマー」として一つにまとめて論じても、それぞれの人にとって有用な答えは出てきません。
そこで、単位を変えてみます。
職業ではなく、一つの仕事が、どのように分解されているかを見る。
- この仕事は、どういう部分に分かれているのか
- そのうち、どの部分が「判断」で、どの部分が「実行」なのか
- それぞれを、いま誰が担当しているのか
- その人が担当できているのは、なぜか
- そして、そのどこにAIが入ってきているのか
この見方をすると、答えの粒度が変わります。
同じプログラマーでも、判断側にいる人と実行側にいる人では、受ける影響が違うはずです。同じ会社の同じチームの中でさえ、違うはずです。
逆に、職業が違っても、仕事の構造の中で似た位置にいる人たちは、似た変化を受けるのではないでしょうか。設計書どおりに実装する人と、指示どおりに書類を作成する人は、肩書きは違っても、構造上は近い場所にいるかもしれません。
これが、このシリーズのタイトルを「AIと仕事の構造」にした理由です。
見るべきなのは職業の名前ではなく、その内側にある構造なのではないか。
私は、そう考えています。
次回への問い
今回は、問いを立て直すところまでで止めておきます。
「人間はどう育つべきか」「若手はどう経験を積むべきか」といった話には、まだ進みません。その前に、確認しておきたいことがあるからです。
私たちは、経験の少ない人でも仕事ができるようにするために、これまでどのような仕組みを作ってきたのでしょうか。
思い付くものを並べてみます。
業務マニュアル。チェックリスト。テンプレート。そしてソフトウェアの世界なら、ライブラリ(よく使う機能をまとめた部品集)、フレームワーク(設計の型をあらかじめ決めた土台)、デザインパターン(よくある問題への定石集)といったものがあります。
これらは、単に便利な道具なのでしょうか。
それとも、熟練者が頭の中に持っていた知識や判断の型を、外に取り出して形にしたもの——という側面も持っているのでしょうか。
もし後者の側面があるとすると、落ち着かない問いが出てきます。
それらがやってきたことは、AIがやっていることと、どこが違うのでしょうか。
次回は、そこを考えてみたいと思います。
参考にした主な資料
- IPA「DX動向2025」(2025年6月)
- IPA「情報処理・通信に携わる人材数の日米比較」(2023年3月)
- ILO Working Paper 140 "Generative AI and Jobs: A Refined Global Index of Occupational Exposure"(2025年5月)
- Cui, Demirer, Jaffe, Musolff, Peng, Salz "The Effects of Generative AI on High-Skilled Work: Evidence from Three Field Experiments with Software Developers"(Management Science, 2025)
- Daniotti, Wachs, Feng, Neffke "Who is using AI to code? Global diffusion and impact of generative AI"(Science, 2026, Vol.391 No.6787)
- METR "Measuring the Impact of Early-2025 AI on Experienced Open-Source Developer Productivity"(2025年7月)
- Brynjolfsson, Chandar, Chen "Canaries in the Coal Mine? Six Facts about the Recent Employment Effects of Artificial Intelligence"(Stanford Digital Economy Lab, 2026年8月改訂版)
- Iscenko & Millet "Looking for the Ladder: Is AI Impacting Entry-Level Jobs?"(Economic Innovation Group, 2026年1月)
- Humlum & Vestergaard "Large Language Models, Small Labor Market Effects"(2025年7月)
- リクルートワークス研究所「未来予測2040」
この記事のnote版はこちらです。
