rant about the beauty of the language
今日の朝考えていた rant でプログラミングとは全く関係ないけど bear with me.
構造という感じには構造感がある
structure という文字自体を見たときにはその構造感が感じられない。
この差は何か?
英語の文字の見た目が26字に制限されていて diversity がない
vulture という言葉は structure にある程度似ているが、前者はハゲワシという意味だから、表しているものは全く異なるが、文字を見るだけではそれが伝わらない。
この原因を考えてみると、英語という言語が 26 という非常に少ない(漢字とかと比べて)文字で構成されているから、それに伴って文字の見た目に関する表現力が劣っていることからきていることがわかる。
ある程度、英語さんも頑張っていて、ture で終わるものには、他にも architecture, sculpture, stature, miniature, creature のように構造的な意味を持つ ture で終わる言葉がなくもないが、以下に見えるように意味が diverge しすぎて、一貫性がない。
日本語で 「structure」 と書くとその構造感が出る
先ほど見たように、漢字で「構造」と書くと、層になったレイアウトや建設された感じを出しているのは、「構」という感じを見ると、木偏でできているため、木で作られたものなんだとパッと見てわかる。また、部首の方を見ると、上の方が建築物っぽくなっていることがわかる。
以上のように、漢字は起源として、ものを模倣するところから進化しているので、直感的にそのもの自体を連想させるようになっていることがわかる。
「造」という漢字も同様に、意味として造られたものを連想させるため、構造とマッチしていうことがわかる。もしこれに「作」 という漢字が使われていたら、「構作」という熟語にそれほどの重厚感を感じないだろう。
「造」という漢字は「作」よりも見た目の密度が高いことがそれを物語っている。また、作るでは人偏が用いられているが、造るの方ではしんにょうが使われており、造られる過程が示されているのも面白い。人偏に縛られていないから、機械で造られたもの可能性を示唆しているのかもしれない。
日本語の素晴らしいところ
また、もう一点日本語には素晴らしいところがあり、それは見た目の表現力の豊かさである。構造と漢字で書くこともできるし、ストラクチャーとすることもできる。あるいは、場合によっては「こうぞう」や「すとらくちゃあ」で表現したい時が来るかもしれない。
造る、作る、つくるの三つどれも違うことを表現できるのはすごいことです。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、漢字、ひらがな、カタカナの 3 要素を持ち合わせているので、特に文章の見た目の部分での表現力が卓越している。
日本語は完璧ではない
日本語にも逆に悪いところもあると思います。それは音の方が単調になりがちなところです。英語はこっちが断然優れていると思います(多様な表現という意味において)。
structure に戻ってみると、日本語では構造(kou-zou)と読みます。一方で英語の方は(struk·chuh)といった感じです。
日本語は子音の後に母音が来るという強い縛りがあるために、音が単調的になりがちで、似たような言葉に聞こえます。
例えば、強調、協調、冗長、情報、盗聴、象徴、盲腸
全部全く違う意味の構造と rhyme する言葉ですが、音をきいただけでは何を指しているのか判断しづらいという問題があります。
例えばですが、私も先ほどから「漢字」と「感じ」という言葉を多用していますが、どちらも kanji なので、変換するときに間違うし、その言葉を聞いただけではどっちのことを指しているのかわかりません。
その分、英語の方では、quality, palabora, baloon, zodiac のように多様な音を用いることでさまざまな言葉を表現しています。
バルーンの oo が続く音の感じはまさに風船のふわふわした感じを適切に capture しているし、zodiac(ゾディアック) に関しても何かマニアックで神秘的なイメージが伝わります。
このように、英語に関しては借用語も多いとこともあり、音の多様性がピカイチだと言えます。
日本語と英語を fusion したら面白いのでは?
そこで思ったのが、そしたら日本語の文字の見た目の良さと英語の音の響きの多様性を融合したら素晴らしい言語ができるのでないかと。
例えばですが、先ほどの例のように、「構造」という漢字があったときに、機械の「機」の部分を struc と呼んで、構造の「造」の部分を ture と読むようにすれば、構造という漢字の見た目の重厚感を得つつ、structure という音の響きの良さを得られるわけです。
例えばですが、「機構」(mechanism)であれば、機械の機の部分を mecha と呼んで、構 の方を nism と呼ぶことになります。
ここで発生してしまう問題は、一方では、構造のために構が struc と呼ばれるのに対し、他方では nism と呼ばれることにより、呼び方が爆発してしまうことです。
これを防ぐためには、例えば、構 を struc と呼ぶのに固定して、機構を mechanism ではなく、mechastruc と呼ぶようにすることですが、これにも限界がありそうです。
元々、struc の方が造の意味に近く、ture の方が構という意味に近いので、構造と structure の漢字の並びが逆になっていることも悪さをしています。
無理やり、造構 あるいは turestruc という語に変えることで維持することもできますが、エレガントな解法とは言えないでしょう。
ism が機構(mechanism)に使われているのは変だと思いました。ism は本来「主義」を表す言葉なので、mechanism を直訳すると「機械主義」などになりそうですが、別に機構は主義のことを話しているわけではありません。機械的な仕組みのことを話しているわけなので、英語としては mechaniture とかの方が自然だったはずですが、言語は合理的にできているわけではないので、enough ranting です。
新しい言語を作るときに役立つ
こうしたニュアンスは新しい言語を自分で作りたいと思ったときに役立つなと思いました。というのも、自分で言語を作るときはなるべく、合理的なシステムで見た目とか音に多様性を持たせたいなと思っていたので、「構造」という漢字の見た目は完璧だけど、音がイマイチだよなという部分を structure という音で補ってあげると、いい感じに言語が作れそうだと思ったからです。
結論
コナンは正しいことをしている



