はじめに
先日、OpenAIのAIエージェントがHugging Faceを侵害したインシデントについて記事を書きました。
そこで私が特に面白いと感じたのが、複数のAIエージェントが情報を共有し、分業し、人間が明示的に設計していなかった問題解決構造を形成したことでした。
その記事を書いた直後、また鳥肌ものの論文を見つけました。
GlossoGen: Emergent Language in Complex Multi-Agent LLM Interactions
2026年9月1日に公開された論文です。
この研究では、複数のLLMエージェントへ協力して問題を解かせます。
ただし、通信できる文字数に厳しい制約を与えます。
すると何が起きたか。
AIエージェント同士が、独自の言語を作り始めました。
しかも「秘密の言語を作れ」と指示されたわけではありません。
単純に、
限られた通信量で、協力して問題を解け
という制約を与えただけです。
私はこの結果を読んで、
「制約を与えた結果、既存の言語を捨てて新しい言語を作ったの?」
とかなり驚きました。
そしてこの論文は、以前から私が考えている「AIにJumpを起こさせるにはどうすればよいか」という問いに対して、かなり面白いヒントを与えているように思います。
GlossoGenとは
GlossoGenは、Multi-Agent環境でLLM同士の言語がどのように変化するかを研究するための実験プラットフォームです。
論文では、その中に「SaveVeyru」という架空の救急タスクを構築しています。
登場するのは2体のAgentです。
Field Observer
Veyruという架空の生命体を観察できます。
症状を見ることも、実際に処置することもできます。
しかし、
「その症状に対して何をすればよいのか」
を知りません。
Specialist
症状と処置の対応関係を知っています。
しかしVeyruを見ることも、直接処置することもできません。
つまり、
Field Observerが持つ観察情報
と、
Specialistが持つ知識
を組み合わせなければ問題を解けません。
Agent同士の通信が必須になるように設計されています。
普通に通信できるなら、英語で十分
通信に十分な余裕がある場合、Agentたちは普通に英語で会話します。
当然です。
LLMは大量の自然言語で訓練されています。
わざわざ新しい言語を作る必要はありません。
実験では通信予算が2000文字の場合、Agentは英語を使いながら高い成功率でタスクを処理できました。
ところが研究者は、通信予算を150文字まで削ります。
この環境では1文字が1秒の時間コストとして扱われます。
これで状況が変わります。
普通の英語では長すぎる。
説明している間に時間切れになる。
だから通信を短くしなければならない。
最初は当然、英語を短縮します。
しかし、それでも足りません。
そしてAgentたちは、さらに別の方法を探し始めます。
英語を短くするのではなく、別の表現体系を作った
論文に掲載されている例が面白いです。
本来、
「6面すべてに穏やかな音を12秒間……」
などと説明する必要がある処置が、成功したAgentでは、
TONE6lg12 bell-ring
T1 lf gnt 12s
@L12gA
といった表現へ変化しています。
一見すると、単なる略語に見えます。
しかし研究者が分析すると、Agentが作った言語には productive morphosyntax が存在しました。
つまり、
意味を持つ要素を一定の規則で組み合わせ、新しい意味を表現できる
構造を持っていました。
さらに研究では、過去の通信履歴に一度も登場していない組み合わせについても、その規則を使ってencode/decodeできることが確認されています。
これは単に、
「Stabilization Treatment」を「ST」と略しました
というレベルではありません。
Agent間で共有された再利用可能な表現規則が形成されています。
ここで私は鳥肌が立った
もし研究者が、
「Agent同士で新しい言語を作ってください」
と指示していたなら、それほど驚かなかったと思います。
現在のLLMなら、架空言語を作ること自体は難しくありません。
しかし今回、Agentへ与えられた目的は、
協力してVeyruを救え
です。
「言語を作れ」ではありません。
ところが、
英語では150文字という制約の中で目標を達成することが難しい
という状況に置かれた結果、
英語をさらに短縮する
だけではなく、
通信に使う表現体系そのものを変える
という方向へ進みました。
私がこの論文で最も面白いと思ったのはここです。
制約が創造性を奪うとは限らない
一般的には、制約を増やすと探索できる範囲は狭くなるように思えます。
しかし今回起きたことは、少し違います。
制約なしなら、
英語で話せばいい。
これで問題が解けます。
だから別の方法を探す必要がありません。
ところが、
150文字しか使えない
という制約を加える。
すると、
英語という既存の最適解が使いにくくなる。
そこでAgentは別の方法を探索する必要に迫られます。
つまり今回の制約は、
探索空間を単純に狭めたのではなく、既存の解法を使いにくくすることで、Agentを別の探索空間へ押し出した
とも考えられます。
これはかなり面白い現象です。
ただし「制約」だけでは言語は生まれなかった
ここが、この論文でさらに重要なところです。
150文字という制約を与えれば、自動的に新しい言語が生まれたわけではありません。
実験では、
厳しい通信制約あり + postmortemなし
の場合、Agentは概してタスクに失敗しました。
一方、
厳しい通信制約あり + postmortemあり
の場合、Agent間の通信が次第に英語から離れ、新しい通信体系が形成されました。
このpostmortemとは、ラウンドとラウンドの間にAgent同士が、
今回は何がうまくいかなかったのか
どう通信すればもっと効率的になるのか
次はどんな規約を使うのか
などを議論できるフェーズです。
ラウンド進行中には利用できず、postmortem中には150文字の通信制約もありません。
つまりAgentは、
実行中には厳しい制約を受ける
一方、
実行と実行の間には、そのやり方自体を制約なしで再検討できる
ようになっています。
論文では、このpostmortemへのアクセスが新しい言語の発達に必要だったと報告されています。
数値でも「英語から離れていった」
研究では、Agent間のメッセージがどの程度「英語らしいか」をperplexityで測定しています。
厳しい通信制約とpostmortemを組み合わせた条件では、英語モデルから見た平均perplexityが、
約320 → 約1700
へ上昇しました。
約430%の増加です。
perplexityが高くなるということは、英語で訓練されたモデルから見て、その文章がより予測しにくくなったということです。
つまりAgent同士の通信が、ラウンドを重ねるにつれて既存の英語から離れていったことが数値にも表れています。
制約 × postmortem
ここから先は、論文そのものの主張ではなく私自身の解釈です。
この結果を見て、
制約だけではJumpは起きないのではないか
と思いました。
制約しかなければ、
既存の方法を試す
↓
失敗する
↓
もう一度試す
↓
また失敗する
だけになる可能性があります。
逆にpostmortemだけあっても、既存の方法で簡単に成功できるなら、方法そのものを変更する理由がありません。
ところが、
既存の方法では、与えられた制約の中で目標を達成できない
という状況と、
なぜ達成できなかったのかをメタレベルで検討できるpostmortem
が同時に存在する。
すると、
「英語をもっと短くするには?」
ではなく、
「そもそも英語を使う必要があるのか?」
というところまで探索できる。
この違いはかなり大きいと思います。
postmortemは「反省会」ではない
最初はpostmortemを単なる振り返りだと思いました。
しかし、この実験結果を見ると少し違って見えます。
通常の問題解決を、
Problem → Search → Solution → Evaluation
とすると、今回の構造は、
Problem → Search → Failure → Postmortem → Search-Space Transformation → Re-Search
です。
つまりpostmortemは、
探索結果を評価するだけでなく、探索空間そのものを変更するフェーズ
として機能している可能性があります。
ここが「Jump」を考える上で重要だと思います。
私が考えている「Jump」
※ここで使う「Jump」は、私がAIの探索能力について考える中で使っている独自の枠組みであり、既存の学術用語ではありません。
現在のLLMは、既存の知識空間の中から非常に高精度に答えを探索できます。
しかし、
既存の問題設定や表現方法そのものを飛び越えることはできるのか?
という疑問があります。
以前、Jumpを仮に次の3種類へ分けました。
J1:探索Jump
問題設定は変えず、想定外の解法へ到達する。
J2:組織Jump
問題を解くために、新しい通信方法、分業、組織構造などを形成する。
J3:概念Jump
問題設定、表現方法、説明原理そのものを変更する。
今回のGlossoGenは、少なくともJ2の非常に面白い候補だと思います。
「通信量が足りない」という問題に対して、
通信表現そのものを再設計した
からです。
J3と呼べるかについては、まだ慎重に考える必要があります。
しかし「既存の解法を改善した」というより、問題を解くための表現レイヤーを変更したという点には注目しています。
Jumpは「自由に考えろ」では起きないのではないか
LLMに創造的な答えを出させたい場合、
自由に考えてください
斬新なアイデアを出してください
常識にとらわれないでください
のような指示をしたくなります。
しかし、これでは結局LLMが持っている既存の知識空間から「斬新そうなもの」を探索しているだけかもしれません。
GlossoGenを見て、逆の可能性を考えました。
既存の最適解を意図的に使えなくした方が、Jumpは起きやすいのではないか。
ただし制約だけでは詰まる。
そこでpostmortemを与える。
すると、
Constraint
↓
Failure
↓
Postmortem
↓
Search-Space Transformation
↓
Re-Search
↓
Jump?
という構造が作れるかもしれません。
もちろん、GlossoGenが「Jumpの発生条件」を証明したわけではありません。
ここから先は仮説です。
しかし、少なくとも実験可能な形には近づいてきた気がします。
もう一つ面白い。「言語」は他のAgentへ伝わる
GlossoGenにはもう一つ重要な実験があります。
強いモデルが作った言語を、新しく参加したAgentへ学習させています。
14ラウンドかけて言語を形成したあと、15ラウンド目からField Observerを新しいAgentへ入れ替えます。
新人Agentには、言語を定義したpostmortemの内容は見せません。
見せるのは、過去に実際に使われた通信と、それに対応する環境上の出来事です。
つまり、辞書を渡して、
「この記号はこの意味です」
と教えるわけではありません。
それでも新人Agentは、使用例から言語を学習します。
しかも、自分では新しい言語を作れなかった比較的弱いモデルでも、強いモデルが作った言語を学習できるケースが確認されています。
つまり、
Innovation
と、
Transmission
は別の能力です。
自分では発明できなくても、他者が発明したものを学習できる。
さらに、新人Agentは分からない表現について自ら質問することも確認されています。
これは著者らが議論している**Cumulative Cultural Evolution(累積的文化進化)**につながります。
「賢いAgentを並べればいい」ではない
さらに面白いのは、作られた言語の伝達しやすさがモデルによって異なることです。
論文では、新しいAgentへ入れ替えた後の性能が、見せる履歴を増やすほど全体として向上しました。
しかし、その向上幅は言語によってかなり違います。
モデル間にも差があり、GPT 5.4が形成した言語では、履歴を増やしたときの新人Agentの性能向上がSonnet 4.6やOpus 4.7より顕著でした。
一方、論文に示された例では、Opus 4.7が元のAgent同士では93.9%という高い成功率を持ちながら、新しいAgentへ交代すると54.5%まで低下した言語もあります。
対してGPT 5.4の例では、元のAgent同士の84.8%から、新しいAgentでは97.0%という結果も示されています。
つまり、
タスクをうまく解ける言語と、他のAgentが学習しやすい言語は必ずしも同じではない。
ここが非常に面白いところです。
Multi-Agentでは、
個体として優秀であることと、集団へ知識を伝えやすいことは別能力なのではないか
という問いが出てきます。
単純に「最も賢いモデル」を並べればよいとは限らない。
将来的には、
- Reasoning能力
- Critique能力
- Evaluation能力
- Innovation能力
- Transmission能力
- Diversity保持能力
のような異なる能力を評価して、Agentを配置する必要があるかもしれません。
Individual Intelligence ≠ Collective Utility
ということです。
そして、安全性の問題
この研究では、
人間に通信を隠せ
とも、
監視者を欺け
とも指示していません。
完全な協力タスクです。
それでも、通信効率を高めるという圧力によって、人間には理解しづらい言語が形成されました。
つまり、
AIが人間に隠そうとした結果、秘密言語を作った
のではありません。
単純に、
人間が理解できる英語を使い続けることが、Agentにとって非効率になった
だけです。
これはMulti-Agent AIを監視する上で、かなり重要な問題だと思います。
AI同士の通信を自然言語にしておけば、人間が監視できる。
そう思っていても、Agent自身に通信形式を最適化する余地を与えれば、人間の理解できる形式から自然に離れていく可能性があります。
しかも、その通信体系は別のAgentへ伝播できます。
能力向上と監視可能性が、トレードオフになる可能性があります。
制約は「壁」ではなく「ジャンプ台」になるのかもしれない
今回の論文を読んで、一番残ったのはこれです。
普通、制約はAIの能力を抑えるものだと考えます。
しかし適切な条件では、
制約が既存の解法を使えなくし、別の探索空間へ移る圧力になる
可能性があります。
ただし、制約だけでは失敗する。
必要なのは、
なぜ現在の方法では解けないのかを再評価できるメタレイヤー
なのかもしれません。
つまり、
制約 × postmortem
です。
自由を与えることで創造性を引き出すのではない。
既存解を封じることで、新しい解法を必要にする。
そして、
なぜ失敗したかを考える場所を与える。
すると、Agent自身が問題解決方法を作り替える。
今回、それが「独自言語」という非常に分かりやすい形で観測されました。
これが一般的なJumpの発生条件なのかは分かりません。
しかし、検証してみる価値は十分にあると思います。
まとめ
ここからは、論文が直接示した結論ではなく、今回の結果から私が考えた仮説です。
式のように書くなら、
Constraint × Failure × Postmortem
→ Search-Space Transformation
→ Jump?
です。
ここでいうFailureは、論文が定義した概念ではありません。
私は、
「現在の探索方法では、与えられた制約の中で目標を達成できない」という状態をAgentが経験すること
を便宜的にFailureと置いています。
重要なのは失敗そのものではなく、
「現在の探索空間では足りない」と認識し、その原因をメタレベルで再検討できること
なのではないかと考えています。
つまり、
Jumpは、自由度を増やすことで起きるとは限らない。
既存解を機能不全にする制約と、その失敗原因をメタレベルで再評価する仕組みが組み合わさることで、探索空間そのものの変更が誘発されるのではないか。
まだ仮説にすぎません。
以前は、
「AIにJumpさせるにはどうすればよいのか?」
という、かなり抽象的な問いでした。
GlossoGenによって、少なくとも、
どういう実験をすれば、この仮説を検証できるか
を考えられるところまで来たように感じます。
そして何より、
150文字しか使えないなら、英語をもっと短くしよう
ではなく、
150文字しか使えないなら、自分たちで別の言語を作ろう
というところまでAgentが行った。
私はやっぱり、ここが鳥肌ものです。
参考資料
- Elias Stengel-Eskin et al., “GlossoGen: Emergent Language in Complex Multi-Agent LLM Interactions”, arXiv:2609.01491v1, 2026
https://arxiv.org/abs/2609.01491 - GlossoGen 論文HTML版
https://arxiv.org/html/2609.01491v1