近年、多くの企業がカスタマーサポートの自動化を進めてきました。
その目的は明確です。
- 応答時間を短縮する
- 問い合わせ対応コストを削減する
- オペレーターの負荷を軽減する
しかし、生成AIとAIエージェントの進化によって、この前提そのものが変わりつつあります。
AIはもはや単なるチャットボットではありません。
顧客対応、営業支援、予約受付、請求回収、テクニカルサポートなど、これまで人が担っていた業務を自律的に遂行する存在へと進化しています。
つまり、多くの企業において「顧客が最初に接する従業員」が人間ではなくAIになる時代が始まっているのです。
AIエージェントは新しい「従業員」である
この変化は想像以上のスピードで進んでいます。
McKinseyの2025年調査によると、企業の88%が少なくとも1つの業務領域でAIを日常的に活用しています。
また、Deloitteは生成AIを導入する企業の25%が2025年までにAIエージェントを導入し、2027年にはその割合が50%に達すると予測しています。
さらにGartnerは、2029年までにカスタマーサービスにおける一般的な問い合わせの80%をAIエージェントが自律的に解決すると予測しています。
こうした数字を見ると、多くの経営者がAIに期待を寄せる理由は明らかです。
しかし、ここで重要な問いがあります。
AIエージェントは、誰のために設計されているのでしょうか。
インクルージョンは人事の課題だけではない
「インクルージョン(包摂性)」という言葉は、これまで主に人材や組織の文脈で語られてきました。
- 多様な人材を採用する
- 公平な職場環境を整備する
- 誰もが活躍できる組織を作る
しかし、AIが企業を代表して働くようになった今、インクルージョンの対象はAIシステムにも広がるべきです。
たとえば、
- 地方の訛りを理解できない
- 高齢者の話すペースに合わせられない
- 緊急性や不安を察知できない
- 人間へのエスカレーション経路が分かりにくい
そんなAIエージェントが存在した場合、それは単なる技術的な欠陥ではありません。
企業の最前線で顧客を排除してしまう「従業員」になってしまいます。
APAC市場だからこそ重要になる多様性への対応
アジア太平洋地域(APAC)は世界でも特に多様性の高い市場です。
顧客は会話の中で、
- 英語
- 日本語
- 中国語
- タガログ語
- ベトナム語
- タイ語
- インドネシア語
などを切り替えながら話すことがあります。
さらに、
- 強い地域アクセント
- 口語表現
- 高齢者特有の話し方
- デジタルに不慣れなユーザー
など、多様なコミュニケーションスタイルが存在します。
デモ環境では高い精度を示すAIでも、現実の顧客環境では期待通りに機能しないケースは少なくありません。
特に音声AIでは、この課題が顕著に現れます。
音声には単なる言葉以上の情報が含まれているからです。
- 感情
- 不安
- 焦り
- 年齢
- アクセント
- 周囲の環境音
AIがそれらを正しく理解できなかったとき、ユーザーは「AIの限界」とは感じません。
「この会社は自分を理解してくれない」と感じるのです。
インクルージョンは倫理ではなくCXの課題
企業はしばしばAI導入による効率化に注目します。
しかし、顧客体験(CX)の観点では逆の結果を生む可能性もあります。
例えば、
金融機関
コールセンター負荷は減ったが、不正利用の相談がうまくできず顧客の信頼を失う。
保険会社
保険請求の受付は自動化できたが、高齢者が手続きを完了できない。
EC・マーケットプレイス
サポートの効率化には成功したが、小規模事業者が適切な支援を受けられない。
医療機関
予約業務は効率化されたが、不安を抱える患者が人間の担当者につながれない。
これらは単なるUXの問題ではありません。
ブランドへの信頼、顧客維持率、そして事業成長に直結する経営課題です。
AIエージェントをインクルーシブに設計するために
では、企業は何をすべきでしょうか。
1. 実際の顧客環境でテストする
静かな会議室での評価だけでは十分ではありません。
- 年齢層
- 地域アクセント
- 言語切替
- 感情状態
- 騒音環境
などを含めた現実的な検証が必要です。
2. 多様なデータを収集する
AIの性能は学習データによって決まります。
多様な話者を含む音声データは「あると良いもの」ではなく、AIインフラそのものです。
MozillaのCommon Voiceプロジェクトのような取り組みは、この重要性を示しています。
3. 人間へのエスカレーションを前提にする
優れたAIとは、人間を不要にするAIではありません。
必要な場面で適切に人間へ引き継げるAIです。
特に、
- 医療
- 金融
- 苦情対応
- 緊急対応
では透明なエスカレーション設計が不可欠です。
4. 包摂性をKPIに組み込む
企業は通常、
- 応答時間
- 自動解決率
- コスト削減率
を測定しています。
しかし、それだけでは不十分です。
次のような指標も見る必要があります。
- どのユーザー層が離脱しているか
- どの言語で失敗率が高いか
- どの顧客層が頻繁にエスカレーションするか
- 自動化後に苦情は増えていないか
5. 文化的・感情的な理解を組み込む
アジア市場では、顧客が直接的に不満を表現しないことも珍しくありません。
技術的には正しい回答でも、
- 冷たい
- 不親切
- 配慮がない
と受け取られることがあります。
重要なのはAIが感情を持つことではありません。
利用者に対して、
- 丁寧さ
- 忍耐強さ
- 分かりやすさ
- 尊重
を持って応答できるよう設計することです。
AIエージェントの未来は「人間らしさ」だけでは決まらない
MicrosoftやSalesforceのレポートが示すように、今後は人間とAIエージェントが協働するハイブリッドワークフォースが一般化していくでしょう。
重要なのは、AIがどれだけ人間らしく話せるかではありません。
どれだけ多様な人々に公平なサービスを提供できるか。
そこが企業の競争力を左右する時代になっています。
最後に
AIエージェントを導入するすべての企業に、ぜひ考えてほしい問いがあります。
このシステムは、誰を取り残してしまうだろうか?
その答えは単なる技術的な改善点ではなく、
- 新しい市場機会
- 顧客との信頼構築
- 持続的な成長
につながるヒントになるかもしれません。
AIエージェントは新しい労働力になりつつあります。
だからこそ、人間の従業員と同じように、
- トレーニング
- 評価
- 監督
- 説明責任
が求められます。
Agoraは、AIがより多くの人々に価値を届ける未来を目指しています。
AIエージェントが企業を代表するのであれば、そのAIは顧客の多様性も正しく理解できる存在であるべきではないでしょうか。
Effie Fang
Agora APAC Director of Business。
アジア太平洋地域におけるリアルタイムコミュニケーション技術の普及を推進し、ヘルスケア、会話型AI、メディア、教育、Future of Workなど幅広い分野の企業を支援している。
特に、多言語・多文化環境が共存するAPAC市場において、音声・動画・AIを活用した顧客エンゲージメントやコミュニケーション体験の設計に注力。企業がより信頼性が高く、インクルーシブで、人間中心のデジタル体験を構築できるよう支援している。
