本稿は G’s ACADEMY -Advent Calendar 2022- の 21日目の記事になります。
ジーズアカデミー福岡 DEVコース 12期生 島田です。
一昨日と昨日は、私と同じ DEVコースを受講しているクラスメイトの @guolam さんと @saki_suematsu さんの記事でした。
私も最後まで読みましたが、2人のことが知れるとても面白い記事でした。
そして明日はチューターの @ykiyoshima さん、4日連続で福岡勢... 熱いです!!
未読の方は、ぜひそちらもあわせて読んでください。
さてこちらの記事ですが、エンジニアの役に立つ Tips なんてそう上手い具合に持ち合わせているはずもなく。
ですが、せっかく皆さんに知っていただけるまたとない機会。
受かりたい一心で IQ 試験を受け、熱意のあまり ZOOM 退出と同時に鼻血を出した私のジーズライフを少しだけご紹介させてください。
人知れず決めたこと
2022年10月15日、待ち望んだジーズアカデミーの入学式。
私はオンラインで参加することを選びました。
礼儀や節目は大事だし、人が集まることには必ず意味がある。
時間がなかったわけでも、式に参加できない理由があったわけでもなく。
ただ、入学式だから現地に向かうという今までの思考や行動を否定したかった。
私は GEEK ではない。
46歳で学生となった私の延長線上にもおそらく GEEK はない。
だから何かを成し遂げようとするこの 6ヶ月はこれまでの自分と決別する。
人知れず決めた自分にとって大きな目標でした。
二つ名を授かる
html と css を学んで、最初の課題はチーズアカデミー。
架空の学校の Webページをつくるというもの。
1週間後の期限までに指定された通りのものをつくってみました。
けれど何の特徴もなく出来上がった自分のプロダクトに愕然としました。
これのどこに自分でつくったと言える部分があるのだろうか?
さらに1週間かけて魔改造してもよいとのアドバイス。動揺と混乱。
予習を兼ねて JavaScript で動きをつけてみようか?
みんな魔改造って言っているけれど、自分にいったい何ができるのだろう?
一生懸命考えた末にたどり着いた答えは
- html と css のみでつくるという縛り。
- UI と UX をすべてなくすという極み。
はい、暴挙。
いざ壊し始めると、その中にもバランスがあったり、思いつきで加えていくコードで動かなくなったり。
出来上がりからは想像できないような苦労がありました。
ただ自分でつくったものを壊していく経験と、みんなが思いもよらないものをつくっている自分自身を面白く思えたのはとても新鮮で刺激的でした。
そして出来上がったものはこちら。(閲覧注意)
おかげでクラスのみんなからは GEEK ではなく、良い意味で 変態 という二つ名を授けていただきました。
レビュー会での発表を終えて、その後、高い評価までいただいてしまいもうジーズの生活で思い残すことはないというくらい満足しました。
そのままやめていれば 伝説の という冠も付いたかもしれません。
うまくいったのは、まず何よりも先にこうしてみたいと強く思ったことが要因だったように感じます。
決めごとがかえって余計なものに気を取られず機能しました。
学生は最高
義務教育下にあった学生のころは、周りのことを気にしていました。
単純ですが、頭が悪いと思われたくない。
変な目で見られたくない。
当時、同調圧力を感じていたかは記憶に残っていませんが、少なくとも個性を出そうという発想はありませんでした。
あれからもう30年にもなりますが、まだ学生をやれるわけです。
当時と違うのは明らかに自分への評価を気にすることはなくなり、自分の色を出すことに夢中になっています。
いくつかの課題を通じて気づいたことは、ひとつの目的を達成するためのやり方や考え方はいくらでもあるということ。
クラスメイトの数だけ表現が違っていて、どれも魅力的だったこと。
だからこそまだまだ何か自分の中に変えられるものはないだろうか?とまた思考覚悟を始めました。
そして A型の長男である私は無謀にもメモを取ることをやめました。
あとで見直すための資料作りが好きな私にとってこの決断は人が思うよりもはるかにつらいものがありました。
そして何かアイデアがあるときに事細かに調べないことも徹底しました。
理由としては、明らかに長考する癖があったためです。
コード is 量を実践するにはこれしかないとひたすたに頑張ったわけですが
- 人に教えられない
- 人に伝わらない
- 人に聞けない
- 人に頼られない
完全なる四重苦です。
誰がどう考えても弊害が生じています。
今の自分ではまだ理解があとからついて来ない。
最近 API や PHP を受講したのですが、明らかに手が止まるようになり量どころの話ではないとわかりました。
やっぱりバランスは大事。
何とも遠回りに感じられるかもしれませんが、極端な行動も最後までしっかり自走するためと考えれば今しか出来ないと思っています。
自分や人の当たり前にこそ疑う余地も価値もあるはず。
自分を変えるために入ったジーズ、学生という立場を自分なりの解釈で最大限に遊んでいます。
考えることが楽しい、学生は最高です。
変えられないもの
これまでを振り返って、一番変えられなかったことは、やはり何があっても行動しない、行動できない自分でした。
三つ子の魂百までと言いますが、昔から決断しなければならないことに対しても後回しにすることがよくありました。
しかもやらない。
良いことでも、正しいことでも、人は動かない。
どんな些細なことも面倒に思えて行動できなかったのです。
けれど、そんな私でさえ変えてしまうような出来事がありました。
3.11
その日を境に、私は色々と考え込むようになりました。
自分の地元でも、被災したわけでもありません。
ただ、知っている景色が流されました。
使っていた駅も、美味しかったお店も、好きだった花屋も。
その後、子供が生まれたことや自身が心筋梗塞を引き起こしたことで否が応でも生きることと死ぬことを考えるようになりました。
人生観がすっかり変わってしまったわけです。
だから当時は子供のようになんで?なんで?を繰り返していたように感じます。
それでも死にたくないという方向に気持ちが動いたのは幸運でした。
そして昨年末、偶然に再会した人と話が弾み、気がつくと自分の中にしかなかった考えや思いを話していました。
ほんの小さな出来事ですが、詰め込んでいたものを言葉にしたのです。
それから自分の中でいろんなものがグルグルと忙しく動いて、ネガティブに沈み込んでいた人間が、1年だけ何かをやってみようとポジティブな考えへと変化したのです。
そうなると不思議なもので、色々な機会を得ました。
ジーズの説明会案内もその1つでした。
ポジティブな姿勢がそうさせるのか、見えなかったものが見えてくるだけなのか。
何にせよこんな好機を逃すはずもなく。
ジーズは繋がりと皆さんおっしゃいますが、本当にその通りです。
私のように仕事をしながら学んでいる者には自分の日常と違う別の日常を生きている人との繋がりを持てたことは何事にも変えがたい財産です。
自分の中の何かを変えようと直観的、感覚的、衝動的、感情的、思いつくままに行動して今、思うことは、背景や信念のような変えようのないものが自分の中に存在しているということです。
おそらくそれが自分の Why me? になるのではと感じています。
だから今はずっとこのあたりを掘り下げています。
答えなのかわからないですし、戻れなくなるかもしれません。
着地点も用意しないまま、自分でも無謀だと思っています。
ただせっかくこんなにも 贅沢な環境 で学んでいるので何一つ後悔のないようすべてを出し切りたい。
自走する武器を手に入れるために入ったジーズアカデミー、何かを成し遂げたいとする人が集まるこの場所で、成長していく自分自身が納得できる結果を必ず出したいと思います。