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生成AIで学生生活はどう変わったか

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Last updated at Posted at 2026-01-29

はじめに

都内の情報系大学生をしてるtakachanman_JPと申します。
大学に入った頃と比べて、勉強の仕方や課題への向き合い方が、いつの間にか変わっていました。授業の形式が大きく変わったわけでも、課題が急に簡単になったわけでもないんです。それでも、日々の作業の進め方や思考の流れは、確実に以前とは違っていると感じます。その変化の中心にあるのが、生成AIの存在です。

生成AIは、何かを劇的に置き換えたというより、大学生活のあらゆる場面に静かに入り込んできたと感じます。気づけば当たり前のように使っていて、気づけばそれを前提に行動しています。この記事では、個人の実感をもとに、生成AIが大学生活をどう変えたのかを振り返ってみたいと思います。

勉強は「一人で悩むもの」ではなくなった

以前は、講義資料を読んで分からないところがあっても、とりあえず自分で考えるか、後回しにするしかなかったです。質問できるタイミングは限られていて、疑問を抱えたまま次の内容に進んでしまうことも多かったと思います。特に高校のレポート等では、わからなくても 正解そうなもの を探して、こなしていたという感覚でした。
しかし今は、分からない概念や数式があれば、その場で言葉にして投げてみることができます。ChatGPTsのWolframは数学系で重宝してます。説明がしっくりこなければ、言い換えてもらったり、具体例を出してもらったりすることもできます。この「考えが止まらない環境」ができたことで、勉強に対する心理的なハードルはかなり下がったと感じます。

レポートは「文章を書く作業」ではなくなった

レポート課題への向き合い方も変わったと感じます。以前は、構成を考え、文章を組み立てる作業そのものに多くの時間を取られていた気がしますが、今は論点の整理や構成案づくり、推敲といった部分を補助してもらいながら進められます。なんなら、「レポート書こう!」と思った後に開くのは Wordではなく、 Cursorになったことが一番大きいと感じます。Cursorでmdファイルを作り、Codexを使いながらレポートを書いていく。。これが自分なりのスタンダードになってることは流石に驚きです。

ただ、レポートにAIを使うことによって「自分は何を言いたいのか」「この主張は妥当か」といった中身の部分に時間を使えるようになった一方で、任せきりにすると内容が薄くなるのも事実で、最終的な判断や責任は自分にある、という感覚はむしろ強くなったように思います。

研究や個人開発のハードルが、少し低くなった

研究、個人での開発や制作においても、生成AIの存在は大きいです。先行研究をざっと把握したり、アイデアの方向性を整理したり、コードを書き進める際の補助をしてもらったりと、使い道は多いです。
特に感じるのは、「やってみよう」と思うまでの距離が短くなったことです。知識や経験が足りないことを理由に諦めていたテーマにも、以前より踏み出しやすくなりました。SlackBotはじめ、Dify, n8nなどのノーコードツール, GitHub Pagesを利用したWebサイト、RenderやRailwayを利用したWebアプリなどなど、どんどん作るからこそわかる「これ、改善できそう」という直感が指数的に増している気がします。その結果、挑戦の回数そのものが増えた気がしています。

学外活動や将来のことにも影響している

生成AIの影響は、授業や課題だけにとどまりません。インターンの準備や、何かを企画するとき、将来について考えるときにも、思考の整理役として自然に使うようになりました。自分よりも自分のことを知っている存在であり、情報にアクセスしやすい立場として、AIを使っている感じです。(知らない間に使われているのかもしれません。)ただ、学外活動や将来のことについても調べる、まとめる、形にするまでのスピードが上がったことで、「とりあえずやってみる」という選択が取りやすくなったと感じます。就活関連の企業研究もDeepResearch-> NotebookLM-> 音声解説生成の流れは自分の中で形になったと感じます。その一方で、今日は何を自分でやったか、AIの活動量よりも良い活動ができたか、行動量の差が以前よりはっきり見えるようになったとも感じています。

それでも「考える役割」は人間に残る

生成AIが身近になったからこそ、考えることの価値はむしろはっきりしたように思います。答えらしきものはすぐに出てくるが、それが正しいか、納得できるかは別問題です。AIがすごいと思うけども、それでおしまいでいいのか、わかった気になっているだけではないのか、AIのアウトプットを自分ごととして, 自分のモノ・武器にして使いこなせるようになったと言えるのか、何を問い、どこを深掘りし、どこで立ち止まるか。その判断をするのは結局自分自身で、そこを放棄してしまうと何も積み上がらないです。生成AIは便利だが、考えることを代わってくれる存在ではなく、考えようとしなければ非常に危険な存在だと改めて感じます。

おわりに

生成AIは、大学生活を根本からひっくり返したというより、日常を少しずつ書き換えてきた存在だと思います。分からないことをすぐ聞けて、考えを整理する相手になってくれる結果、立ち止まる時間が減り、試してみる回数が増えました。これからも生成AIは、当たり前のように使い倒すと思いますが、頼りすぎず、考えることを手放さずにいられるかどうかは、自分次第です。そのバランスを探しながら過ごす大学生活も、悪くないなと思っています。だからこそ、QiitaやZennのアウトプットは継続したいと思います。

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