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こんにちは、わかとです。

最近、自分の中で大事にしている考え方があります。

それは、何かに迷った時に、「やらない理由」よりも「やる理由」を探したいということです。

登壇応募をする時。

イベントに申し込む時。

インターンに出す時。

作品を展示に出す時。

記事を書く時。

こういう時、やらない理由は本当にすぐ見つかります。

「まだ実力が足りないかもしれない」

「周りの人の方が強そう」

「落ちたら恥ずかしい」

「忙しい」

「もっと完成度を上げてからでいい」

「今じゃなくてもいい」

たぶん、探せばいくらでも出てきます。

しかも、やらない理由はだいたいそれっぽいです。

普通に正しいこともあります。

実力が足りないのも事実かもしれないし、忙しいのも事実かもしれないし、完成度がまだ低いのも事実かもしれません。

だからこそ厄介です。

やらない理由は、正しい顔をして出てきます。

やらない理由は、ちゃんと大事にした方がいい

もちろん、本当に無理な時はあります。

お金がない。

予定が合わない。

体力的に厳しい。

精神的に余裕がない。

今は別のことに集中した方がいい。

そういう理由は、ちゃんと大事にした方がいいと思っています。

無理して全部出ればいいとは思っていません。

イベントもインターンも登壇応募も、出せば出すほど良いという話ではないです。

自分の生活や体調を削りすぎてまで、全部に手を出す必要はないと思います。

ただ、最近思うのは、全部のやらない理由を「事情」として尊重しすぎると、いつまでたっても何もできないということです。

「まだ自分には早い」

「もう少し強くなってから」

「今回は見送って次にする」

「今はタイミングじゃない」

そう言い続けていたら、たぶん一生タイミングは来ません。

「自分には早い」は、自分だけで決めなくていい

特に、自分には早いかどうかは、自分だけで決めることではないと思っています。

イベントに合っているか。

登壇プロポーザルとして通るか。

インターンで評価されるか。

作品が刺さるか。

それを最終的に判断するのは、自分ではなく、運営や採用側や選考する人です。

もちろん、自分で準備することは大事です。

雑に出せばいいとは思っていません。

登壇応募なら、何を話すのかを考える。

インターンなら、自分が何をやってきたのかを整理する。

作品展示なら、何を見てほしいのかを考える。

記事なら、何を伝えたいのかを言語化する。

そういう準備は必要です。

でも、「自分にはまだ早い」と自分だけで決めてしまうのは、少しもったいないと思っています。

本当に早いかどうかは、出してみないとわかりません。

今の自分のレベルが合っているかどうかも、自分だけでは判断できません。

自分では弱いと思っていても、相手から見たら面白いかもしれません。

自分ではまだ足りないと思っていても、選考する人から見たら十分挑戦する価値があると思われるかもしれません。

逆に、自分ではいけると思っていても普通に落ちることもあります。

だからこそ、実力が足りているかどうかを、自分だけで決めすぎない方がいいと思っています。

「自分には早い」

「自分のレベルじゃない」

「どうせ通らない」

そう思って出さないのは、自分で自分を落としているのとあまり変わらない気がします。

落とすかどうかは、出した先の人が決めることです。

自分がやるべきなのは、勝手に自分を落とすことではなく、ちゃんと出してみることだと思っています。

自信は、外に出してからつく

自信がついてから出す。

実力がついてから出す。

準備が完璧になってから出す。

そう考えるのは自然です。

でも、実際には、自信は外に出てからつくものだと思っています。

出す前から自信があることなんて、あまりないです。

少なくとも自分はあまりないです。

出す前はだいたい不安です。

「これで大丈夫なんかな」

「普通に落ちそうやな」

「周り強そうやな」

と思いながら出しています。

でも、出してみるから、自分の現在地が少しわかります。

落ちるから、何が足りなかったのかを考えます。

通るから、少し自信になります。

見てもらえるから、次も出してみようと思えます。

そうやって、外に出した結果として、少しずつ自信がついていくのだと思っています。

だから、自信がないから出さない、というのは少し順番が逆なのかもしれません。

自信があるから出すのではなく、出すから自信がついていく。

実力があると確信してから出すのではなく、出すことで今の実力を知る。

そういう感覚の方が、自分には合っています。

出さなかったら、落ちることすらできない

これは自分に対してかなり強く思っています。

やらない理由を探し始めたら、自分は普通にいくらでも逃げられるからです。

「まだ弱いし」

「落ちそうだし」

「周り強そうだし」

「今じゃなくてもいいし」

そう言っていたら、たぶんずっと出さないです。

でも、出さなかったら何も残りません。

落ちたという結果すら残りません。

悔しさも残りません。

振り返りも残りません。

改善点も残りません。

ただ、出さなかったという事実だけが残ります。

自分はそれがけっこう嫌です。

落ちるのは普通に悔しいです。

登壇プロポーザルに落ちるのも、展示に落ちるのも、インターンに落ちるのも、普通にしんどいです。

でも、落ちた後には何かが残ります。

今の自分の立ち位置が少し見えます。

何が足りなかったのかを考えるきっかけになります。

次に出す時の材料になります。

少なくとも、挑戦したという記録は残ります。

だから、自分はできるだけ、やる理由を探して動きたいです。

通ることだけが価値ではない

登壇応募、インターン応募、展示、イベント参加、記事投稿。

こういうものは、通るかどうか、受かるかどうか、評価されるかどうかに目が行きがちです。

もちろん、通ったら嬉しいです。

受かったら嬉しいです。

評価されたら嬉しいです。

でも、通ることだけが価値ではないと思っています。

応募する過程で、自分が何をやってきたのかを整理できます。

登壇プロポーザルを考える中で、自分の考えを言語化できます。

インターンに出すために、今の自分の強みや弱みを見直せます。

作品展示に出すために、何が面白いのか、何を見せたいのかを考えます。

記事を書くことで、自分が何を考えていたのかが残ります。

結果がどうであれ、外に出そうとした時点で、自分の中には何かが残ります。

出してみて通れば、それは自信になります。

落ちたら、次に考える材料になります。

見てもらえたら、フィードバックになるかもしれません。

誰かの目に入れば、次の機会につながることもあります。

だから、自分は「通らなかったら意味がない」とはあまり思っていません。

もちろん、落ちたら悔しいです。

普通に落ち込みます。

でも、何も出さなかった時よりは、次に進みやすいと思っています。

人に勧める時の距離感

ただ、この考え方を人に向ける時は少し難しいです。

自分が知り合いにイベントやインターンや登壇応募を紹介することがあります。

「これ合いそう」

「これ出たら面白そう」

「この人なら刺さりそう」

と思って共有することがあります。

その時に、相手がやらない理由を探しているように見えることもあります。

「自分にはまだ早そう」

「レベル高そう」

「落ちそう」

「知らない人ばっかりで怖い」

「忙しいかも」

そういう反応を見ると、自分の中では少し思ってしまいます。

それ、いつまで言うんだろう。

その理由を大事にし続けたら、いつ出すんだろう。

もちろん、相手には相手の事情があります。

時間も違う。

お金も違う。

体力も違う。

精神的な余裕も違う。

今の優先順位も違う。

だから、外から見ている自分が簡単に「出た方がいい」と言い切るのは違うと思います。

でも同時に、やらない理由を全部そのまま肯定するのも違うと思っています。

本当に大事な制約なのか。

それとも、ただ怖いだけなのか。

本当に今じゃないのか。

それとも、今じゃないことにしたいだけなのか。

本当に準備不足なのか。

それとも、完璧じゃないと出せないと思い込んでいるだけなのか。

そこは分けた方がいいと思っています。

背中を押すことと、押し付けることは違う

人にイベントやインターンを紹介する時、自分がしたいのは説得ではありません。

無理に出させたいわけではないです。

相手の予定や体力や気持ちを無視して、「絶対出た方がいい」と言いたいわけでもありません。

でも、ただ情報を渡して終わりでもない気がしています。

「これ合いそうやと思ったから共有する」

「予定とか負担がきつかったら全然スルーでいい」

「でも、“自分には早いかも”だけで迷ってるなら、一回出してみてもいいと思う」

たぶん、これくらいの距離感がちょうどいいのかなと思っています。

相手の事情は尊重する。

でも、逃げる理由まで全部きれいに肯定しすぎない。

無理に動かすのではなく、やる理由も一緒に見えるようにする。

その上で、最後に決めるのは相手です。

自分の人生ではないので、そこはちゃんと分けたいです。

「強い人だけが出る場所」ではない

イベントや登壇応募やインターンを見ると、どうしても強い人ばかりに見えます。

すごい実績がある人。

有名な人。

技術力が高い人。

すでに登壇経験がある人。

何かを受賞している人。

そういう人を見ると、「自分が出す場所じゃないかも」と思いやすいです。

でも、実際には、最初から強い人だけが出ているわけではないと思っています。

出したから強くなっていく。

見てもらったから改善できる。

落ちたから次を考える。

通ったから少し自信になる。

そういう積み重ねの結果として、強そうに見えているだけかもしれません。

もちろん、本当に強い人はいます。

普通にすごい人もいます。

でも、その人たちと比べて「自分はまだ無理」と思い続けていたら、ずっと外に出せないままです。

強い人がいる場所だからこそ、見に行く価値があることもあります。

強い人がいる場所だからこそ、出してみる価値があることもあります。

自分との差分が見えるからです。

今の自分に足りないものが見えるからです。

自分の現在地が少しわかるからです。

やらない理由よりも、やる理由

やらない理由は、探せばいくらでも見つかります。

しかも、かなり正しそうに見えます。

「まだ早い」

「忙しい」

「完成度が低い」

「周りが強い」

「落ちそう」

「今じゃない」

どれも、完全に間違いとは言い切れないです。

だからこそ、それだけを握りしめ続けるのは危ないと思っています。

本当に大事な制約は大事にする。

でも、怖さから来ている理由まで全部「正しい事情」として扱いすぎない。

自分には早いかどうかは、自分だけで決めなくていい。

実力が足りているかどうかも、自分だけで決めなくていい。

出した先で判断してもらえばいい。

落ちたら、そこから考えればいい。

通ったら、少し自信にすればいい。

出さなかったら、落ちることすらできません。

でも、出せば何かは残ります。

結果が良くても悪くても、次に進む材料になります。

だから自分は、これからもやらない理由より、やる理由を探していきたいです。

そして、人に対しても、事情は尊重しつつ、ただ優しく見送るだけではなく、少しだけやる理由も渡せる人でいたいです。

おわりに

この記事を書いたのも、正直少し迷いました。

こういう考え方を書くのは、少し偉そうに見えるかもしれないです。

自分が全部できているわけでもありません。

普通に迷うし、怖いし、落ちたらしんどいです。

でも、それでも最近の自分にとってはかなり大事な考え方なので、残しておきたいと思いました。

やらない理由は、いつでも見つかります。

でも、やる理由もちゃんと探せばあります。

自分には早いかどうかを、自分だけで決めなくていい。

自信は、外に出してから少しずつついていく。

出さない限り、受かることもない。

そして、出さない限り、落ちることすらできない。

これからも、できるだけ外に出していきたいです。

登壇応募も、イベントも、インターンも、作品も、記事も。

やらない理由よりも、やる理由を探して動ける人でいたいです。

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